【読物】満州国皇帝即位の陰に歴史認識を覆す電報が存在した
ラストエンペラーで知られる清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)を取り巻いたさまざまな思惑。
溥儀は1934年に満州国皇帝に即位したが、現在言われるような「日本軍は中国侵略のために溥儀を引き入れ
ようとした」という歴史に疑問符を打つ一通の「密電」が残されていた。歴史の認識を覆す資料をここに公開する。
約20年前、大手新聞社の記者が夕刊1面掲載予定で1カ月間にわたる取材を続けたにもかかわらず、なぜか
掲載予定日前日に急きょボツになったネタがある。そのネタが溥儀をめぐる一通の電報だった。
書籍やインターネットなどを見る限り、現在多くの人が抱いているであろう「日本軍は中国侵略のために溥儀を
引き入れた」という認識を覆し、「ある日本人が個人プレーで溥儀の身柄を受け入れた結果、溥儀は日本軍に
侵略の道具として利用された」と推測できる密電。
「中国侵略のために溥儀が担ぎ出された」という結果には変わりがないが、この推測が事実だとすれば、現在
語られる歴史に大きな影響を与えることになる。
密電は溥儀の側近・鄭孝胥(ていこうしょ)が天津の軍閥・段祺瑞(だんきずい)に援助を求めた電報への返電
である。
当時、鄭と段は共に日本軍と親密な関係にあり、2人の間の通信には日本軍の電報ルートが利用されていた。
その通信内容については当然日本軍が承知し同意するところであった。資料1がその密電だ。
電報にある「東交民巷」とは外国公使館区域であり、溥儀が日本も含めた外国に身を投じることがないように
という指示であった。
密電が送られたのは、溥儀が紫禁城を追われた翌日。この密電を見る限り、この時点で日本軍側には、
言われるような溥儀を中国侵略の道具として利用するために引き入れよう≠ニいう明確な意図はなかったと
思われる。 >>2以下に続き
http://www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/080809_01.shtml http://www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/image_news/08080901mi.jpg
当時の中国をめぐる世界情勢は列強八カ国が互いをけん制し合う「八すくみ」の状態。清朝復興を願い、新たな
身の置き場を探していた溥儀。しかし、先行き不安定な情勢の中で、どの国も彼の身柄に対して積極的な姿勢
をみせようとはしなかった。
実際に溥儀は家庭教師・ジョンストンを通じてイギリス公館に保護を申し出たが、受け入れを拒否されている。
こういった状況で日本政府・軍が政策的に溥儀を引き入れようとしたとは考えにくい。背後にどのような勢力が
あったかはともかく、溥儀の受け入れは日本軍にとっては予期しない出来事であったかもしれない。
溥儀の身柄の受け入れを表明した日本。当然、中国国内に租界を設けている他国からの風当たりは強かった。
資料1
溥儀が紫禁城を追われた翌日日本軍のルートで送られた密電
「鄭孝胥へ 段祺瑞より。電見た 皇室のことは余が全力をもって維持保護すべく その財産もまた保全せしむ
ただし宣統帝が東交民巷に入ることは中止するを可とすと考う、すでに馮の代表を上京せしめ適宜処置せしむ
べく命じたり」
この密電の存在はよく知られており、溥儀の自伝(とされる)「我が半生」(翻訳・新島淳良ほか、筑摩叢書)には
次のようなくだりがある。「陳宝ちん(ちんほうちん)は日本軍から転送されてきた段祺瑞の密電をもたらした。
その電文には、『皇室のことは余が全力をもって維持し、かつ財産を保全す』とあった」−。
奇妙なことに、当時の日本側の姿勢を示すともとれる「ただし」以下の後半部分は削られている。
不透明な中国の先行きをにらみながら、各国が互いをけん制し合っていた状況で、突然溥儀が飛び込んで
きたことは日本政府・軍にとっては予想外だったろう。なぜ日本は受け入れたのか。
そこには一人の日本人の存在があった。当時、北京の日本公使館付き武官だった陸軍中佐・竹本多吉である。
竹本は1924年11月6日、すなわち溥儀が紫禁城を追われた翌日、天津の日本駐屯軍参謀・金子定一から
問題の「密電」を受け取った。
そして、この電文を読んでいながら、命運まさに風前のともしびの溥儀をあえて自宅に受け入れた。
竹本の思いや、溥儀に対する態度を明確にする資料は見つかっていないが、このとき溥儀は色紙に「義勇可欽」
(義勇つつしむべし=あなたの勇気を謹んで受ける)と謝意を揮毫して竹本に贈っていることから2人の親密さが
伺える。皇帝の座にあった人間としては異例中の異例の行動だ。
その後、1927年田中義一内閣の誕生あたりから日本は急速に満州国の建国に向けて動き始める。1927年、
竹本は京都連隊指令部付きの閑職に左遷された。1929年8月2日、日ごとに高まる軍靴の音を聞きながら竹本は
沈黙のうちに自ら48歳の命を絶った。
直後に日本軍憲兵が竹本邸に入り、あらゆる書類を運び去った。たまたま仏壇にあって没収を免れ現在は
竹原市の愛新覚羅美術館に保管されている竹本自署のアルバムには、親交のあった中国の著名人士数十人から
竹本に書き贈られた親書がつづられている。
http://www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/080809_02.shtml
4 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 15:38:56 ID:JmPgBgIK
ホモだったのか
6 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 15:41:48 ID:uPJSQF1g
ソースがなぁ・・・聞いたこと無いソースなんだよなぁ
毎年、夏になると「新発見」が出てくるけど
一体どこまで本当なのやら・・・
7 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 15:42:35 ID:HRjQNRbu
場所まで晒さなくても
8 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 15:46:28 ID:PBP2zElQ
当時も今も、形を変えて大陸進出を画策する勢力が日本にある。
それが根本的な大間違いなのに、誰も言わない。
今は、マスゴミがせっせと大陸の犬のようにふるまい売国報道を餌にして大陸進出を図っているんだよ。
シナ大陸と縁切れば日本は発展する。菅原道真の先見の明が再評価される日がない限り、
日本は、大陸でまた間違いを犯し、滅亡の道をたどるだろう。
10 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 15:51:45 ID:swvI4Qcy
ベルリンの壁の崩壊も1人の勘違いから始まった
>>9 / ̄ヽ
/⌒⌒⌒ヽ/|
⊂| ◎ ‖
ヽ ゚∀゚丿\|
__ 〃`ヽ〈_
γ´⌒´-−ヾvーヽ⌒ヽ-:,,
/⌒ ィ ./\ ); `ヽ-:,,
/ ノ^ 、_| 萬 | ._人 | . "-:,,
! ,,,ノ爻\_. \/.ノr;^ > ) \,
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|ヽ_/ \ )ゝ、__,+、_ア〃 / \
| ヽ、___ヽ.=┬─┬.〈 ソ. "-.,
| 〈J .〉 | 亀 |, |ヽ-´ ゝ
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| レ | 男 .| リ "-:,,
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l ̄ ̄/ l ̄ ̄| ,,,-
〉 〈 `ー-ー-| |-ー"
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(__ノ \___)
紫禁城の黄昏を読んでいるので全く驚くには値しない。
13 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 15:56:13 ID:lrH9JZ20
>>2の「陳宝ちん(ちんほうちん)は日本軍から転送されてきた段祺瑞の密電をもたらした」への
ツッコミで埋まっていると思ったが、違ったか・・・
14 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 16:07:43 ID:spfh05JP
新聞記者ってのはいまだに政治・外交の駆け引きでは
官僚やら軍人・政府エージェントが「メインで」関わってると思ってんの?w
アニメじゃあるまいしww
孫文も周恩来もアウンサンもパールも知らないんだね いい商売だw
15 :
はじめまして:2008/08/11(月) 16:08:58 ID:oSWJHJNV
昔も今も,大陸に投資すれば,投資しただけみんな盗られてしまいますよね。
最初から,そのつもりでいた方が良いですね。
そうしないと台湾みたいに,主力工場を人質に取られて,中国の言うがままに
ならざるを得なくなりますから。
17 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 17:22:16 ID:FaBN7voG
>>1 ややこしい内容で分かりにくいが要するに
× 日本軍が溥儀を利用するため無理やり身柄を確保した
○ 溥儀が自らの意思で日本軍に身を寄せた
ってことだな。
18 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 17:28:35 ID:Ctb1q4gB
19 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 17:46:00 ID:Xsv0CnR7
日本を悪者にしたいマスゴミにとっては、都合の悪い事実だ。
20 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 17:51:16 ID:7o/+CFhx
溥儀は「我が半生」で、自分が東京裁判で証言した内容は全部嘘で、
日本軍に責任をなすりつけようとしたと告白しているよ。
それと、英国人家庭教師ジョンストンも、溥儀は自分から進んで
関東軍に満州国建国を依頼したと暴露している。
21 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 17:54:00 ID:QSsURVhD
愛新覚羅ってどういう意味だっけ?
清の土地を愛し・・・みたいな意味合いがあった気がするんだけど。
22 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 18:01:45 ID:R2uM1Fhp
いや、まあ事実だとしてもさ、韓国みたいなマネはやめないか?
23 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 18:02:11 ID:UfHlGBJz
>>21 アイシンギョロ。
満州語の姓を音訳しただけだろ。
24 :
名前をあたえないでください:2008/08/11(月) 19:44:38 ID:Hqi2cUIc
>>5 まぁホモではあるがな。ソースはフケツの奥さん。
竹原市ってことは広島県か。
26 :
名前をあたえないでください:2008/08/12(火) 10:39:36 ID:TbiP5WTA
>>20 >それと、英国人家庭教師ジョンストンも、溥儀は自分から進んで
>関東軍に満州国建国を依頼したと暴露している。
「紫禁城の黄昏」
これ大昔から邦訳は出てるけど
溥儀が満州皇帝に即位する下りがある章は
日本ではつい最近まで削られていたw
27 :
名前をあたえないでください:
東京裁判(極東軍事法廷)は文明諸国における法律の二大原則である「罪刑法定主義」と「刑罰不遡及」
の要件を両方とも満足せず「裁判」とか「法廷」の名に値しないものであり、戦勝国による敗戦国への
戦後報復(リンチ)というのが実態だ。
同法廷の判事の中で国際法の権威はインドのパル判事一人しかおらず、そのパル判事は被告無罪を主張
している。百歩譲って、これが裁判と言うのなら「再審」は出来るのか?「再審」をしようではないか。
東京裁判では、中共に支配されていたラストエンペラー溥儀による偽証に対しての反論として、溥儀の
家庭教師であったサー・レジナルド・F・ジョンストンの著による満州国の成立史である「紫禁城の黄昏」
を証拠申請したのだが、却下され、溥儀の偽証が証拠採用されている事例などがあり、現在の感覚では
「再審すべき内容」である。
結局は、戦後報復を「裁判」「法廷」を隠れ蓑にした復讐劇だったのである。然るに東京裁判の「判決」
というもの座標軸にしての論評は空虚なものとなるのである。中韓が盛んに政治宣伝している靖国神社
のA級戦犯合祀に関する論難も、その前提が「正当な東京裁判で有罪死刑になった」という点にあり、
「不当なる復讐劇」という事実を認識すれば、中韓の政治宣伝の虚構も明白になる。
戦後、マッカーサーは自分が日本列島防衛の責任を負う立場になった時に、はじめて朝鮮半島の不安定
が日本列島の脅威であることに気がつき、公聴会に於いて「防衛戦争であった」と証言したのである。
東京裁判の再審により、日本の行動が中韓の言うバカな行動ではなかったことを明確化すべきだ。
日本は本当に負けたのか? :
http://iimovie.com/syuusenn.html