【話題】明治のスパコン、小倉にあった 最古の国産機械式計算機…福岡[08/07/30]
福岡県豊前市出身の発明家矢頭(やず)良一(1878〜1908)が1902年に作った
「自働算盤(じどうそろばん)」が、現存する最古の国産機械式計算機であることを
日本機械学会が確認した。
現物は北九州市小倉北区の市立文学館(佐木隆三館長)に寄託、保管されており、同学会は近く
機械遺産に認定する。
この自働算盤は外観はタイプライターのような形。そろばんと同じように2、5進法で数値を入力する
方式で、レバーを回すと22枚の歯車が数を記憶し、15〜16けたの四則計算ができるという。
機械遺産の選考委員の西日本工業大学工学部の池森寛教授は「日本人になじみのそろばん方式を
採り入れた点が独創的なところ。欧米の計算機が主流だった当時、国内の技術者に国産計算機を
使うきっかけを与えた」と評価する。
同館などによると、矢頭は1878(明治11)年、福岡県の黒土村(現在の福岡県豊前市)に生まれた。
鳥を見て空を飛ぶことに興味を持ち、中学を中退して鳥類や理工学の勉強のために大阪に出向いた。
99(明治32)年に徴兵検査で帰郷。航空機エンジンの研究や開発の資金を得るために、計算機の
発明に取り組んだとされる。
計算機の模型は、官営八幡製鉄所が開業した1901(明治34)年に完成。同年2月22日、矢頭は
資金援助を受けるため、軍医として小倉に赴任していた森鴎外を訪問。その様子は鴎外の「小倉日記」
にも記されている。矢頭は鴎外から支援を受けて上京し、計算機を量産。1台250円という価格は
「家が一軒建つほど」だったが、陸軍省や内務省などに約200台売れたという。
文学館は秋にも、矢頭の企画展を開く予定。
(画像) 矢頭良一が開発した自働算盤について説明する北九州市立文学館の佐木隆三館長
http://www2.asahi.com/culture/update/0728/images/SEB200807270022.jpg ソース
http://www.asahi.com/culture/update/0728/SEB200807270023.html
すげぇ
てか、欧米では既にあったの?
3 :
名前をあたえないでください:2008/07/30(水) 12:16:08 ID:oFTYTmNm
よく残ってたな、大事にしてもらいたい
4 :
名前をあたえないでください:2008/07/30(水) 12:19:22 ID:+eB6TSM1
>>2 似たようなものはあったはず
>>1 メモリとプログラムがないんだからコンピュータと呼ぶな
5 :
名前をあたえないでください:2008/07/30(水) 12:20:42 ID:oOA5j5D/
意外にコンパクトでかっこいいな
その昔
PC88が出た頃、工業高校にあがった。まだ計算尺なんざも使ってたんだが、(関数電卓ももちろん)
その計算尺は「アナログ計算機、そろばんはデジタル計算機」と教師が説明したら、
小学校の頃からマイコンいじってたという奴が
「おまえ!嘘を教えるのか!」といって、そろばんはアナログ計算機だ、この教師は間違っている!
と威張って演説を始めたのを思い出した。
8 :
名前をあたえないでください:2008/07/30(水) 12:45:22 ID:Pe3NX00m
で、どこら辺がスーパーなん?
9 :
名前をあたえないでください:2008/07/30(水) 12:47:57 ID:jZahmAfV
まーた日本人のホルホル記事か
10 :
名前をあたえないでください:2008/07/30(水) 13:24:43 ID:93Awk9Gz
>>4 コンピュータ?
コンピュータってどこに書いてあるの?ねえ!ねえってば!
12 :
名前をあたえないでください:2008/07/30(水) 13:35:45 ID:8OLzaKtG
矢頭(やず)良一(1878〜1908)
30で死んだのかーーー
13 :
名前をあたえないでください:2008/07/30(水) 13:40:08 ID:pGK3QX02
すぱこん(笑)
ヤズヤは矢頭屋で、社長の矢頭の店って意味な
15 :
名前をあたえないでください:2008/07/30(水) 14:35:12 ID:QUOOa+3d
明治じゃせいぜいファミコン並みだろうな
コンピューターの定義にもよるけどノイマンが創始者っていう説もあるよな。
それだと20年代。明治の話は結局計算機だからな。それなら江戸時代にもあった
っていう話になる。
10進で15〜16けたかと思った