>>1の続き
甲子園出場はかなわなかったが、水戸短大付高時代、高校通算43本塁打を放ち、
強打の外野手として注目を浴びた。2005年高校生ドラフトで中日が3巡目で指名。
入団1年目の夏には二軍選手中心のオールスター戦のメンバーにも選ばれ、
プロ野球選手として順風満帆の滑り出しだった。
好調の陰で、中学時代からの持病だった椎間板(ついかんばん)ヘルニアの症状が悪化していた。
2年目、落合博満監督の目に留まり、内野の練習を始めると、腰を落とす練習が増え、
激痛が走るようになった。春のキャンプでは「若手注目株」と期待されたが、腰の痛みでバットを振っても
踏み込みが甘くなる。腰が抜けるような感覚にも襲われた。
手術も考えたが、プロの練習に耐えられるまで回復する望みは薄くなっていた。
「どう乗り切ろうか」。毎日、そればかり考え、不本意な2年目が終わった。
11月、悩みながらも契約更改を済ませた後、将来を真剣に考えた。
「腰の痛みを抱えながら中途半端に野球を続けたら、人生に後悔する」
現役を続けたくても戦力外の烙印(らくいん)を押され、球界を去る選手が多い中、契約更改直後の引退は異例。
「何で春田を辞めさせるんだ」。事情を知らないファンから引退を惜しむ声が上がったのが、うれしかった。
水戸の実家に戻り、最初は就職を考えた。しかし、小学校時代の恩師に「大学に行けば4年間考える時間がある。
少し野球を休んで、じっくり将来を考えたら」と助言された。
今春、流経大のスポーツ健康科学部にAO入試で入学。今は朝の5時半に起床し、電車やバスで
1時間以上かけて通学し、「頭が痛くなるほど勉強している」。
甲子園を目指す球児たちの熱闘が県内でも5日に始まる。
「強い、弱いは関係ない。一番輝いているときだから、悔いを残さない試合をしてほしい」とエールを送る。
終わり