「現実では誰にも相手にされませんもの。ネットならかろうじて話してくれる方が…」「秋葉原で人を殺します」。東京・秋葉原
の無差別殺傷犯、加藤智大(ともひろ)容疑者(25)は社会からの疎外感を強める一方で、携帯サイトには5月以降3000回
以上も書き込み、当日は犯行を予告・中継までしていた。現実社会での疎外感と、ネットへの異様な傾斜。重大事件に絡み
若者がネットに予告、過程を書き込むケースが目立つが、その心理とは孤独の裏返しか、それとも自己顕示欲なのだろうか。
「携帯電話は生活の一部だった」
警視庁万世橋署捜査本部の調べに対する加藤容疑者の供述である。
加藤容疑者は犯行前、携帯サイトに職場への不満、異性関係の悩みや他者への敵意などを書き込んでいた。5月中旬
以降には頻度も増加し、犯行当日までの数週間で書き込みは実に3000回以上にも及んだ。
《携帯ばかりいじっていてはダメということらしいですけれど、現実では誰にも相手にされませんもの ネットならかろうじて、
奇跡的に話してくれる方がいます》(5月10日)
加藤容疑者はサイトにこう記していた。
対人関係の希薄さがうかがえる記述だが、ネット上で「会話」をすることが目的のサイトでも、ほとんどが加藤容疑者の
記述ばかりだった。
誰からの反応もないブログ状態で、ここでも「孤独」だった。
それでも加藤容疑者はネットに依存した。その理由を次のように記している。
《ネットから卒業すれば幸せになれるという人が居ます 私の唯一の居場所を捨てれば幸せになれるのでしょうか
すなわち、死ね、ということなのでしょう》(4月15日)
「唯一の居場所」と表現した加藤容疑者。ネットに“居住”し現実の社会から乖離したことが、事件に何らかの影響を与えた
のだろうか。
「ネットに依存したから犯行に及んだわけではない。孤独を受け止めてくれる人がいなかったから、依存せざるを得なかった
のだろう」
上智大名誉教授(犯罪心理学)の福島章氏は、加藤容疑者がネットに“逃げ込んだ背景”をそう分析する。
「ネット上でも誰からも相手にしてもらえず、単なる独り言のように書き込んでいるだけだった。(スレッドが「炎上」するなど)
あおられて犯行に及んだわけでなく、書き込みをしていなかったら事件もなかったということではないでしょう」
福島氏はそう話し、ネットに依存したことで加藤容疑者の攻撃性が高まったとの見方には懐疑的な態度を示した。
(中略)
加藤容疑者は警視庁の調べにこうも供述しているという。
「(書き込みを見た人に)犯行を止めてほしかった」
だが、3000回以上に及ぶ書き込みの末に犯行に及んだ真意は、それだけとはちょっと信じがたい。
「学生時代に優秀でも、社会に出てうまくいかなくなると『すべて他人のせいだ』と社会を恨む。このタイプは、世界に
もう1回自分の存在を知らしめたい、大きな事を残したい、と考える。書き込みは犯行を誇示したいという心理だ」
聖学院大客員教授(犯罪心理学)の作田明氏はそう分析し、ネットへの犯行予告は自己顕示欲の象徴だという見方を示す。
帝塚山学院大の小田教授もこう指摘する。
「逆恨みとも報復ともとれるが、大きなことをやって有名になることで自己実現を果たそうとした」
「肥大化した自我を抑えられずに凶行に及ぶ事件は少年に多い。今回は25歳だが、少年事件が成人にまで波及した
結果ともとれるが、少年が大人になりきれなかっただけなのかもしれない」
そう語る小田氏は、“未成熟な一面”が事件の背景にあるとの見方を示した。
ソース(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080615/crm0806151045006-n1.htm