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雑誌のグラビアやインターネットの普及などで、近年は性的な描写をしたものに触れる機会が増加。
また、かつては「わいせつ図書」として摘発された文芸書も、一般書店で普通に販売されている。
メイプルソープ氏の写真集を「わいせつ書籍ではない」と判断した19日の最高裁判決は、こうした
性表現に対する社会意識の変化を考慮したとみられる。
わいせつとは何かが争点になった先駆けは昭和25年、性描写を含んでいた英国の小説「チャタレイ
夫人の恋人」の訳者で文学者、伊藤整氏(故人)らが刑法のわいせつ物頒布罪で起訴された事件だった。
この事件の最高裁大法廷判決(昭和32年)は、わいせつを「いたずらに性欲を興奮または刺激する」などと定義。
この定義に当たるかの判断基準を「その時代の健全な社会通念」に求めた。判決で伊藤氏らの有罪が確定した。
その後、判例が重ねられて、わいせつの判断基準はより精巧になったものの、最終的には社会通念に照らすと
いう枠組みは変わっていない。
ところが、平成8年にわいせつとして削除していた部分を掲載した完全訳の「チャタレイ夫人」が出版されても、
「とくに問題になっていない。警察も何も言ってきていない」(出版元の新潮社)という。
完全訳版の訳者の1人で伊藤氏の二男のエッセイスト、礼さん(75)は「週刊誌などで裸体のグラビアが
あふれるようになり、世の中の感性が広がっているのでしょう」と話す。
また、多くのヘアヌード写真集を手がけた出版プロデューサー、高須基仁さん(60)は「メイプルソープ氏の写真よりも、
普通に売っている雑誌の袋とじの方がよっぽどわいせつだ」と、社会の激変を指摘した。
ソース:
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080219/trl0802191119004-n1.htm 依頼スレ#817より