戦国時代、上杉家の家臣で現在の新潟県朝日村大場沢地区に居城を構えていた武将鮎川氏は、
家来を引き連れて川西町玉庭地区に移り住んだといわれている。
新潟に残った家臣団もおり、大場沢一帯に末裔(まつえい)が住む。先祖が移り住んだ土地を見たいと、
大場沢の人たちが10日、玉庭地区を訪ねた。離れ離れになった両地区の住民が約400年ぶりに“対面”。
互いに共通した風習があることなどが分かり、感慨深げに歴史談議に花を咲かせた。
諸説あるが、玉庭村史などによると1598(慶長3)年、上杉景勝は越後から会津に移封され、
景勝の重臣・直江兼続は米沢などの領地を与えられた。兼続の家臣だった鮎川氏はこの時、
兼続に従って米沢方面へ移ったのではないか、と伝えられている。
交通手段もなかった時代、両地区の交流はすっかり途絶えていたが、玉庭には鮎川氏が開基した
普済寺があり、大場沢にも同じ名の寺があること、「鮎川の党」がなまったとされる「あえのと」と呼ぶ
自治組織が今も玉庭地区の西原、馬場明才地域に残っていることなどが、両地区のつながりをうかがわせる。
昭和後期になって両地区の郷土史研究家がそれぞれ、鮎川氏のルーツを調べていくうちに、
普済寺の存在などが分かり、1990、95年に、一方の寺の檀家(だんか)がもう一方の寺を訪ねる交流があった。
この日は、大場沢の約30人が訪問。
鮎川氏が住まいを建てたとされ、今は水田になっている「古館」の場所を確認した。玉庭地区の住民らも
大勢出迎え、同地区公民館で交流会を開き、歴史に詳しい住民の説明などを聞いて理解を深めた。
子どもが15歳になると集落の家々を回ってあいさつをする風習が両地区に残っていること、どちらの
地区にも「貝沼」「高橋」の名字が多いことなどが判明し、参加者らは結び付きをあらためて実感した様子。
玉庭地区公民館長の大滝喜作さん(73)は「歴史の奥深さを感じた。先祖に感謝しながら、これからも
交流を続けたい」と話していた。
ソース:
http://yamagata-np.jp/newhp/kiji_2/200802/10/news20080210_0177.php 武将・鮎川氏の末裔とされる川西町玉庭地区の住民と、新潟県朝日村大場沢地区の住民が
郷土歴史家の話に耳を傾け、理解を深めた交流会
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