【壬生】壬生城の歴史を調査していた町歴史民俗資料館は二十一日までに、
これまで「伝説」とされてきた城の「元禄の大改修」の詳細を示す史料を確認した。
史料は、当時の城主が改修責任者の家臣に具体的な工事内容を指示する書簡で、
改修で現在の足利銀行壬生支店の西側に弓形堀などが新設されたことが分かるという。
同資料館は「大改修が史実として裏づけられた」とし、城下町だった壬生の歴史を知る上で
貴重な史料となりそうだ。
城は戦国時代に建てられ、城主や形を変えながら明治時代の廃藩置県まで約四百年続いたとされる。
大改修したのは譜代大名松平輝貞で、一六九二(元禄五)年から三年間、城主だった。
確認された史料は、松平が改修責任者「御城御普請惣奉行」の山本十左衛門にあてた指示書。
静岡県沼津市在住の山本の子孫が二〇〇四年暮れに町に寄贈し、資料館が調査していた。
指示書には松平独特の花押(かおう=サイン)があり、
資料館は「既存の史料と照らして差出人は松平本人」と判断。
あて先の山本の名も記されている。
一六九三年十二月七日から翌年十月十一日までの二十二通で、縦約十八センチ、
長さが約二十メートルの巻物二巻にまとめられ、二百件にも上る松平の指示が示されている。
内容から、大改修が城の東部分と本丸の一部で施され、街道に面した東部分では見栄えのする
二階建て櫓(やぐら)門の姿、弓形堀の深さ、土塀の高さや構造などが明らかになったという。
これまで大改修については、古い文献に「元禄年中東郭(くるわ)を築かれ大手御門を建てられし」
などの表記があるだけで裏付ける史料はなかった。
町立図書館に勤務する傍ら壬生城研究を続け、指示書解析に協力した
笹崎明さん(日本城郭史学会委員)は「江戸中期の城郭改修を示した史料でもある。
壬生城は徳川将軍が日光東照宮御成(おなり)の際のルート。
城の東部を大改修し、藩の威信を示すためのものだったのだろう」とみている。
ソース:下野新聞
http://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/news/php/s_news.php?f=k&d=20080122&n=11 資料の写真
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