■背景に格差拡大、根深い対立
昨年末の大統領選に端を発したケニアの騒乱は
死者約600人、避難民25万人を出す惨事になった。
現地紙デーリー・ネーションは「1963年の独立以来、
最も深い闇」と民族間の殺戮(さつりく)を嘆く。
キバキ大統領と最大野党オレンジ民主運動(ODM)の
オディンガ氏の対立は深刻で、アナン前国連事務総長は
仲裁を延期した。選挙の不正が火をつけた民族対立の
癒やしは容易ではない。(ロンドン 木村正人)
発火点となった大統領選の投票は昨年12月27日に行われた。
複数の民族が暮らす首都ナイロビの貧困地区では住民は整然と
投票所に並び、この時点で民族対立の予兆はなかった。
開票の最終段階までオディンガ氏がリードし、勝利宣言まで行った。
しかし、30日に選挙管理委員会が突如として国営放送を通じ
キバキ大統領の「再選」を発表して状況は一変する。
大統領を支持した選挙区の投票率は異様に高く、
投票率115%というところすらあった。
大統領選と同時に行われた議会選(直接選挙は210議席)では、
大統領の国家統一党(PNU)は43議席で閣僚の約半数が落選。
ODMは99議席とPNUの倍以上の支持を集め、大統領選の結果とは
様相を異にした。欧州連合(EU)の選挙監視団の目を盗み、
選管が不正を働いた疑いが濃厚という。
オディンガ氏は、「大統領は選挙を盗んだ。再選は認められない」
と反発した。同日夜からナイロビの貧困地区、同氏の出身民族ルオの多い
西部のキスムで暴動が発生。今月1日には西部リフトバレー地区の
エルドレットでも、大統領の出身である最大民族キクユの避難所に
なっていた教会がモイ前大統領の出身民族カレンジンの暴徒に焼き打ちされ、
子供を含め多数が焼死した。
続きは
>>2 ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/080118/mds0801180809000-n1.htm >>1の続きです
40以上の民族からなるケニアでは、汚職にまみれた
モイ政権下でさえ他民族に配慮して、1991年の
複数政党制導入に伴う民族の亀裂の危機を脱した。
カレンジンが少数民族で、他民族の協力が
欠かせなかったという政治力学もあった。
2002年に誕生したキバキ大統領は
過去5年間でマイナス0・3%だった経済成長率を
7%まで引き上げ、小学校の教育費を無料化する
などの政治手腕を発揮した。
しかし、主食であるトウモロコシ食品の価格が
6年間で2倍になるなど、同国の過半数を占める貧困層は
格差の拡大に苦しんでいた。さらに、大統領は役所や
国営企業にキクユばかりを登用したため、あからさまな
「キクユ優遇策」に、他民族の不満は鬱積(うっせき)していた。
オディンガ氏の支持者は不満を投票にぶつけたが、
その大統領選でも公然と不正が行われた上、キバキ大統領の
再選に快哉(かいさい)を叫ぶキクユの住民を見て他民族の怒りが
爆発したようだ。リフトバレー地区では、キクユの入植者から
土地を収奪する狙いがあったとの指摘もある。
現地紙デーリー・ネーションのニュース編集者、シモリ氏は、
「祖国を救うとすれば民族の調和を唱える中産、上流階級だろう。
しかし、経済的な問題を抱える貧困層はそうはいかない」と
問題の根深さを指摘している。
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