平成7年1月に発生した阪神大震災の犠牲者の名前を刻む神戸市中央区東遊園地の
「慰霊と復興のモニュメント」に16日、計23人の銘板が新たに追加された。
神戸市垂水区の会社員、前川和紀さん=当時(29)=は直接の犠牲者ではなく、
震災後の復興作業中に亡くなった。23人のうち、震災の遠因死者は11人。
父親の佐紀夫さん(67)は「震災で直接亡くなった人と一緒に追悼してもらえてよかった」と静かに語った。
銘板の掲示は今年で8回目。当初は神戸市内の犠牲者が対象だったが、15年12月からは震災の影響で亡くなった
「遠因死」の人や市外の犠牲者の名前も掲示されるようになり、総数は、遠因死187人を含む4838人になった。
震災当時、和紀さんは同区のマンションで妻と長女の3人暮らし。被害は茶碗(ちゃわん)が数個割れた程度。
しかし建設会社に勤め、橋梁(きょうりょう)を扱う担当課長だった和紀さんが震災当日、甚大な被害を受けた
神戸市長田区など市街地に行くと、悲惨な光景が広がっていた。
建物が倒れ、阪神高速3号線(神戸線)の橋脚は倒壊。山陽新幹線の高架も一部が崩れていた。
阪高3号線と新幹線の復旧工事を請け負うことになり、和紀さんは部下30人以上を率い、現場の責任者に。
倒壊した現場に寝袋を持参して仮眠をとり、昼夜問わず工事の指揮を執った。
帰宅できない日が続いた。気が付くと、汗で服が破れたこともあったという。
そんな生活が半年以上続いたが、和紀さんは復旧工事に没頭した。「橋脚を直せるのは僕らだけ。
愛する神戸を早く元の姿に戻し、震災後に誕生した長男に見せてあげたい」。
その思いが和紀さんを支えていた。佐紀夫さんにとって自慢の息子だった。
しかし和紀さんは8月9日、同市東灘区の復旧現場からバイクで会社へ帰る途中、タンクローリーと衝突。
29歳の若さで命を落とした。震災による直接の犠牲ではないが、佐紀夫さんには「震災が息子を奪った」
という悔しさだけが残った。
震災から12年が経過した今年1月17日。東遊園地のモニュメントを訪れた佐紀夫さんは、震災の遠因死が
銘板掲示の対象になることを知り、掲示を申し込み認められた。
佐紀夫さんは「孫が銘板を見て、父親の姿を思いだしてくれれば」と話した。
産経新聞
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