・豊岡弘さん、S級競輪選手から保健体育教員へ (スポーツ報知)
競輪選手から、長崎県立鹿町工業高校の保健体育の教員になった豊岡弘さん(38)が、
スーツにネクタイ姿で奮闘している。現役時代から理論派レーサーとして活躍。
まだまだ、トップクラスで走れる力がありながらの転身に誰もが耳を疑った。
持ち前の明るさに加え、競輪で培われた強い精神力で熱血指導。
未来の五輪選手と共に日夜、汗を流している。
いつも大観衆の視線を浴びて走っていた。
でも子供たちの純真な瞳に見つめられるプレッシャーにはかなわない。
「この子たちの気持ちを受け止めたい」と豊岡さんは固く誓って教壇に立っている。
バンクとの決別に迷いはなかった。
「教師になることは昔からの夢だった。大学に進学したのもそのため。
結果的に競輪選手になったけど、今回のことは突発的なものじゃないんです」。
そうは言っても周囲の誰もが驚いた。38歳、まだ競輪の世界で十分活躍できたはずだ。
事実、昨年は1461万8200円を稼ぎ出している。
今年も引退するまで15走して獲得賞金は230万7000円に上った。
長崎県の教員の年収は、豊岡さんの年齢で約630〜640万円といったところ。
現役時代の半分以下だ。「お金は関係ない。使う時間もないし。
自分の中で、S級で活躍できなくなったら、潮時かなって思っていたから」
豊岡さんの転身は、最近の教育現場の荒廃が大きく関係している。
いじめが原因で自殺に追い込まれ、いじめた方の同級生が逮捕…。そんなことは日常茶飯事だ。
そんな風潮に歯止めをかけようと、各自治体では教員採用試験を受験出来る年齢枠を拡大したり、
民間から校長を招請するなどして、教育改革に乗り出した。
長崎県の場合、1991年から「広く人材を求めて」採用の年齢を40歳未満に引き上げた。
保健体育の教員は、過去の実績に応じて面接と小論文で合否が決まる。
豊岡さんの場合は、88年のソウル五輪に出場しているため、十分に条件は満たしていた。
教員になって半年が過ぎた。
最初は子供たちが教師を敵と思っているんじゃないかと不安だったという。
だが、休み時間に一人一人と話すうち、お互いを分かり合えるようになった。
「ありのままの自分を出すこと、それが子供の興味を引くことでした」
引退したとはいえ、アスリート時代のボディーは維持している。
そんな豊岡さんに課せられたのが、2014年の長崎国体・自転車競技で優勝すること。
しかし長崎県には今、自転車部がある高校がない。
「そうなんですよ。ゼロからの出発です」と4月の赴任と同時に5人の生徒と同好会を立ち上げた。
目指す教員像はヤンキー先生こと義家弘介参院議員。
「普通の人より特殊な人生経験がある。それをうまく子供たちに伝えてあげたい」
◆豊岡 弘(とよおか・ひろし)1969年1月14日、長崎・佐世保市生まれ。38歳。
私立・西海学園高から早大に進み、在学中の88年ソウル五輪に出場。
千メートルタイムトライアルで16位。卒業後、日本競輪学校第69期生として入学。
G1などの特別競輪で大活躍、競輪では最上位のS級優勝が5回。通算167勝。
通算獲得賞金は3億4954万1000円。今年3月1日の小倉競輪で引退。
家族は万美夫人(31)、長男・聖樹くん(10)、長女・あずみちゃん(8つ)、
二女・みずきちゃん(6つ)。171センチ、72キロ。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20071029-OHT1T00004.htm