・昭和の粋人 晴乃ピーチクさん死去 (スポニチアネックス)
漫才コンビ「晴乃(はるの)ピーチク・パーチク」で人気を集め、
コンビ解消後は似顔絵漫談で活躍した晴乃ピーチク(本名直井利博=なおい・としひろ)さんが
肺がんのため23日午後4時10分、入院先の都内の病院で死去した。82歳だった
栃木県出身。葬儀日程は未定。病院の許可を得て出演した6日の高座が最後の舞台となった。
油絵でも才能を発揮した粋人だった。
昭和の香りを漂わせた漫才界の人気者が天国に旅立った。
長男の直井孝一さん(53)によると、ピーチクさんは肺がんが見つかり
9月10日に東京・豊島区の病院に入院。放射線治療などを受けて、
同15日に自宅近くの足立区の病院に転院した。
順調に回復し、リハビリに励んでいたピーチクさん自身、
「(お迎えが来るのは)まだ先だろう」と話していたという。
今月28日には落語芸術協会(桂歌丸会長)の仕事も入れ、孝一さんに
「その時は(サポートを)頼むよ」と話していたほどだった。
22日夜にも食欲はあったそうだが、この日朝に急変。
長男夫妻、孫、ピーチクさんの妹の4人が見守る中、眠るように息を引き取った。
今月6日、東京・府中の森芸術劇場で務めた高座が最後となった。
立川志の輔(53)らとの共演舞台で、車イスながら昼夜2回計30分ほどの
時間を元気に務め、ファンを喜ばせた。退院を信じて疑わなかったピーチクさんは、
12日にも病室に医師や看護師、他の入院患者ら約30人を集めて似顔絵漫談を
披露していたほどだったという。
孝一さんは「大好きな志の輔さんと最後に仕事ができて、
芸人としては幸せな人生だった」と語った。
ピーチクさんは榎本健一、古川緑波にあこがれて芸能界入りし、
1953年に大沢ミツルさん(00年没、享年74)とのコンビで漫才界にデビュー。
58年には大沢さんと「晴乃ピーチク・パーチク」を名乗り、
翌59年前期の第6回NHK漫才コンクールで1位に入賞。
「見たかや聞いたかや」の流行語も生んだ。
73年のコンビ解消後は独学で似顔絵をマスターし、漫談家として再スタート。
68歳になった83年には油絵も始め、日展、都展、二科会などにもたびたび入選を果たした。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2007/10/24/03.html