>>2続き(最後)
▼遺族を見下した目
そのシーンは、突然、訪れた。
弥生さんの母親と本村氏の意見陳述のあと、最後の被告人質問に立った福田は、弁護側の主尋問に対しては涙を流しながら、
「拘置所で本村さんにお会いしたい」とまで述べた。
しかし、検察官に、遺族の意見陳述の際、「証言をメモしていた」というのは嘘だとの指摘を受けると、突如、激昂。
証人席から立ち上がって被告人席にあったメモを取り出し、つかつかと検察官に歩み寄って、そのメモを渡し、今度はそれをひったくって
裁判官にも渡したのである。その後、福田は、弁護人の質問を受けて、「検察官には、なめないでいただきたい」と言ってのけたのだ。
1分前まで涙を流し、反省の言葉を述べていた人間が、突然、そういう行動をとったのです。
弁護団は、きっと「しまった」と思ったことでしょう。
彼らも被告人の本性が現れるそういうシーンが、最後に生まれるとは、予想していなかったと思います。
慎重に証言を重ね、涙を流させ、反省と償いを強調していた弁護団の方針は最後の最後に崩れたのです。
あの態度にはさすがに唖然としましたが、私は、「人を殺す人間とは、こういう人間なのだ」と思い、そこに全てが凝縮されていると思いました。
これは不思議でも何でもない。もともと彼は反省しているふりをしているだけで、本当の反省などしていないのです。
それは、以前に証拠採用された彼自身の手紙にも現れています。
「誰がゆるし、誰が私を裁くのか…そんな人間はこの世にいないのだ。神になりかわりし、法廷の守護者たち、
…裁判官、サツ、弁護士、検事たち…。私を裁ける者はこの世におらず…」
被告人は、拘置所から友人に宛てて出した手紙にそう表現しています。
「私を裁けるものはこの世にいない」、すなわち「検察官には(私を)なめないでいただきたい」という態度は、以前から一貫しているのです。
私はそれと共に、7月26日に開かれた差し戻し控訴審第7回公判の時の彼の態度を思い出しました。
昼休みの休憩で退廷する時、被告人は、傍聴席の私と初めて目が合いました。
その時、彼は、私だけでなく、隣にいる妻の母も含め、遺族を睨みつけました。
6、7秒はあったのでしょうか。じっと睨んだ被告人は、廊下に出ても、まだガラス越しに、私たち遺族を睨みつけていました。
あの目を私は忘れることができない。
それは遺族を冷ややかに見下し、私たちに殺意さえ抱いているような目でした。
「この男は、絶対に社会に出してはいけない人間だ」
私はそう思いました。
その意味で、「罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていると認めることは困難」として、差し戻し判決を下した
昨年の最高裁の判断は正しかったと思います。
結局、「弁をもって非を飾ることはできない」のです。いくら真実を取り繕っても、真実は必ず現れるものだと私は思っています。
弁護団が必死でつくり上げた「砂上の楼閣」は崩れ去りました。
私は、いくら弁護団と被告人がいろんな言辞を弄そうと、この差し戻し控訴審で、全てが明らかになったと感じています。
荒唐無稽な主張を裏付ける証拠はついに出てこなかったし、法廷での被告人の証言は、誰も納得させることができませんでした。
この法廷で、君は、必死に生きようとした妻と娘の最期の姿も記憶にないことを証言した。
つまり、君は、もう反省のしようがない。君に対する私の淡い期待は、完全に裏切られたのです。
苦労ばかりかけて何の贅沢もさせてやれなかった妻と、自分の名前の由来さえ教えてあげることができなかった娘──
私に家族の大切さと命の尊さを教えてくれた二人のために、そして社会正義のためにも、裁判所には真実を見つめて、
敢然と死刑判決を出してくれることを願っています。