【週刊新潮】 私はただ君に絶望する…光市母子殺害事件遺族・本村洋氏手記

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1エマニエル坊や(第拾一期次席卒業生)φ ★
▼私はただ君に絶望する [特別手記]「光市母子殺人事件」遺族 本村洋

 芝居は終わった。涙をすすり、涙声の証言を続けた被告人・福田孝行(26)は、最後の最後に、ボロを出した。
「(自分を)なめないでいただきたい」。反省と償いどころか、証言台を離れて検察官に詰め寄り、裁判官にまで迫るという“傲慢と狂気”を
余すところなく見せたのである。「砂上の楼閣は崩れた」と、遺族の本村洋氏(31)がその思いを手記に綴った。

 9月20日、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審第10回公判は、遺族の意見陳述や福田への被告人質問など、
最大にして最後のヤマ場を迎えた。34枚の傍聴券を求めて並んだのは、実に1188人。
競争率35倍の券を入手した傍聴人が見たのは、唖然とする光景だった。

 意見陳述の日、私は妻・弥生(23)=当時=と娘・夕夏(11ヶ月)=同=のために、してあげられることは
これしかないという思いで、法廷に臨みました。
翌日から広島高裁で3日間の集中審理が始まるという9月17日夜、私は意見陳述を書きました。
A4の用紙に5枚。3時間から4時間かけて、私は心の中にわき起こってくること、被告人に言っておかなければならないこと、
そして裁判所への感謝とお願いを、一気に綴りました。もし、まわりに人がいたら、その姿はおそらく何かに取り付かれたように見えたと思います。

 私は5年9ヶ月前の01年12月26日、場所も同じ広島高裁で、意見陳述をおこないました。
死刑ではなく、被告人には無期懲役が下されるだろうと予想される中での意見陳述でした。

 私は、その時、「妻と娘の最期を知っているのは、F君、君だけです。妻は君に首を絞められ、息絶えるまでの間、
どんな表情をしていたか、どんな言葉を残したか、母親を目の前で殺された娘は、どんな泣き声だったか……、
君はそれを忘れてはいけない。妻と娘の最期の姿。それが、君の犯した罪だからです。
君がどんな家庭環境で育ち、どのような経験を経て犯罪に至ったかが罪ではない。君が殺した人の夢や希望、
人生そのものを奪ったことが罪なのだ」
と、述べました。そして、
「君は妻と娘のことを何一つ知らない。だからこそ反省もできないし、己の犯した罪の大きさを知ることすらできない。
君は妻と娘の最期の表情や言葉を毎日思いだし、そして己の犯した罪の大きさを悟る努力をしなければならない」
そしてその上で、最後に、
「君が犯した罪は万死に値します。いかなる判決が下されようとも。このことだけは忘れないで欲しい」
と結びました。

 あの時、死刑判決は出なくても、君に二度と同じ過ちを犯して欲しくないと思い、少しでも反省を深め、
人間としての心を取り戻せるように、私は一生懸命話しました。

 それから5年以上の歳月が流れ、最高裁が広島高裁に差し戻し、こうして私は2度目の意見陳述の機会を与えられました。
しかし、死刑判決の可能性が高まり、弁護人が代わり、君は主張を一変させた。弁護団は、これを全て、被告人が言い出したことだと言っています。
 私はこの差し戻し控訴審で、君が本当のことを言っているのかと、一生懸命、君の証言を聞きました。
しかし、どんなに余談を排除して聞いてみても、そして、今まで上がってきている物的証拠とどう照らし合わせてみても、
君が本当のことを言っているとは思えない。明らかに君が言っているのはおかしいのです。

 君が裁判の中で発言できる機会は残り少なくなっている。もし、罪から逃れようという“弱い心”があってこんな嘘を言ったのなら、
法廷でそれを告白し、君自身の名誉の回復のためにも、そして、私たち被害者遺族のためにも、正直に真実を述べて欲しいと思う。
今からでも遅くない。君にそれを伝えたいと考え、今回の意見陳述を行なったのです。

>>2以降に続きます。
ソース:週刊新潮 07年10月4日号 58〜60ページ(エマニエル坊やがテキスト化)
2エマニエル坊や(第拾一期次席卒業生)φ ★:2007/09/28(金) 23:21:27 ID:???
>>1続き

▼葬り去られた真実

 君が法廷で6年以上も維持してきた“事実”を捨て去り、新たに主張した荒唐無稽なことは、今も刻々と変化し続けている。
それは最高裁での弁論が始まる直前、弁護団が主張したときからも変わっている。

 捜査段階で君は、妻に乱暴しようとしたら大きな声を出して抵抗され、乱暴するには殺して黙らせるしかないと思って殺した、と供述した。
しかし今では、(12歳の時に自殺した)実母に重ね合わせ、「甘えたい」と思って抱きついただけで、妻が光るようなものを振り上げているのを見て、
とっさの判断で押さえていたら動かなくなったと「傷害致死」を主張している。

 しかし、昨年の最高裁での弁論の前、弁護人は妻が叫んでいたので、「手で口を押さえた」と言っていたのに、
今、君は、妻が実際に叫んでいたのではなく、頭の中で声がしただけで、「現実にはその声を聞いていない」と言い始めている。
 また、泣いている夕夏をあやそうと紐で蝶々結びをしたら死んでしまった、と最高裁で主張したはずなのに、
今では、紐を結んだことさえ覚えていないという。

 一体、君の主張はどれが本当なのか。

 君は、妻の遺体を押し入れに入れ、座布団で隠していた。一審でこのことを検察官に追及された君は、
「隠したのではない」と言い逃れしようとしたが、さらに追及されると、「死んだ人の顔が怖くなり、みえなくした」と証言し、
検察官に尚、そんな怖い顔を見ながらお前はセックスできるのか!と責められると、「すみません。隠そうとしました」と認めている。

 一審での君は、検察官に対しておどおどして、矛盾を追及されることを何より恐れていた。
しかし、今の弁護団がついて以降の君は、自分で「犬」と呼んでいる警察や検察などの国家権力に立ち向かっていく、
あたかもヒーローであるかのような昂揚した気分さえ抱いているように見える。

 少なくとも、今回の差し戻し控訴審で見せた、検察官や裁判官の質問に、「意味が分かりません」「記憶にありません」
という言葉を繰り返すような、ふてぶてしい態度は以前にはなかった。
 君にそういう錯覚を植えつけ、そういう態度にさせてしまったのは、おそらく今の弁護団ではないか、と思う。
そして、それは同時に「真実」を葬り去ることを意味している。しかし、それを選択したのは君自身だ。

 君は主張を一変させたことで、さまざまな矛盾を法廷で露呈させた。
法廷で「強姦」という言葉さえ知らなかったと、君は主張した。そんな人間が、なぜ「魔界転生」などという言葉を知っているのか、私には理解できない。
 死んだ人間とセックスしたことを「復活の儀式」だったと主張する君に、私はもはや言葉を持たない。

 君が今、主張していることが真実なら、検察側の起訴事実を大筋で認め、反省しているとして情状酌量を求めていたこれまでの証言は、
すべて嘘だということになる。私が信じ、妻と娘の墓前で報告してきた犯行事実は、すべて嘘だということになる。

 私は、ただただ、君に絶望するだけだ。

>>3以降に続きます。

ソース:週刊新潮 07年10月4日号 58〜60ページ(エマニエル坊やがテキスト化)
3エマニエル坊や(第拾一期次席卒業生)φ ★:2007/09/28(金) 23:21:54 ID:???
>>2続き(最後)

▼遺族を見下した目

 そのシーンは、突然、訪れた。
弥生さんの母親と本村氏の意見陳述のあと、最後の被告人質問に立った福田は、弁護側の主尋問に対しては涙を流しながら、
「拘置所で本村さんにお会いしたい」とまで述べた。
 しかし、検察官に、遺族の意見陳述の際、「証言をメモしていた」というのは嘘だとの指摘を受けると、突如、激昂。
証人席から立ち上がって被告人席にあったメモを取り出し、つかつかと検察官に歩み寄って、そのメモを渡し、今度はそれをひったくって
裁判官にも渡したのである。その後、福田は、弁護人の質問を受けて、「検察官には、なめないでいただきたい」と言ってのけたのだ。

 1分前まで涙を流し、反省の言葉を述べていた人間が、突然、そういう行動をとったのです。
弁護団は、きっと「しまった」と思ったことでしょう。

 彼らも被告人の本性が現れるそういうシーンが、最後に生まれるとは、予想していなかったと思います。
慎重に証言を重ね、涙を流させ、反省と償いを強調していた弁護団の方針は最後の最後に崩れたのです。
 あの態度にはさすがに唖然としましたが、私は、「人を殺す人間とは、こういう人間なのだ」と思い、そこに全てが凝縮されていると思いました。
これは不思議でも何でもない。もともと彼は反省しているふりをしているだけで、本当の反省などしていないのです。

 それは、以前に証拠採用された彼自身の手紙にも現れています。
「誰がゆるし、誰が私を裁くのか…そんな人間はこの世にいないのだ。神になりかわりし、法廷の守護者たち、
…裁判官、サツ、弁護士、検事たち…。私を裁ける者はこの世におらず…」
被告人は、拘置所から友人に宛てて出した手紙にそう表現しています。
「私を裁けるものはこの世にいない」、すなわち「検察官には(私を)なめないでいただきたい」という態度は、以前から一貫しているのです。

 私はそれと共に、7月26日に開かれた差し戻し控訴審第7回公判の時の彼の態度を思い出しました。
昼休みの休憩で退廷する時、被告人は、傍聴席の私と初めて目が合いました。

 その時、彼は、私だけでなく、隣にいる妻の母も含め、遺族を睨みつけました。
 6、7秒はあったのでしょうか。じっと睨んだ被告人は、廊下に出ても、まだガラス越しに、私たち遺族を睨みつけていました。

 あの目を私は忘れることができない。

 それは遺族を冷ややかに見下し、私たちに殺意さえ抱いているような目でした。

 「この男は、絶対に社会に出してはいけない人間だ」

 私はそう思いました。

 その意味で、「罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていると認めることは困難」として、差し戻し判決を下した
昨年の最高裁の判断は正しかったと思います。
 結局、「弁をもって非を飾ることはできない」のです。いくら真実を取り繕っても、真実は必ず現れるものだと私は思っています。

 弁護団が必死でつくり上げた「砂上の楼閣」は崩れ去りました。
私は、いくら弁護団と被告人がいろんな言辞を弄そうと、この差し戻し控訴審で、全てが明らかになったと感じています。
荒唐無稽な主張を裏付ける証拠はついに出てこなかったし、法廷での被告人の証言は、誰も納得させることができませんでした。

 この法廷で、君は、必死に生きようとした妻と娘の最期の姿も記憶にないことを証言した。
つまり、君は、もう反省のしようがない。君に対する私の淡い期待は、完全に裏切られたのです。

 苦労ばかりかけて何の贅沢もさせてやれなかった妻と、自分の名前の由来さえ教えてあげることができなかった娘──
私に家族の大切さと命の尊さを教えてくれた二人のために、そして社会正義のためにも、裁判所には真実を見つめて、
敢然と死刑判決を出してくれることを願っています。