1 :
拾弐代目 おまコン(070712)φ ★:
慰霊の日を前に沖縄戦について理解を深めようと「平和月間フィールドワーク ガマを訪ねて」
(主催・沖教組中頭支部)が3日あり、本島中部の中学生約50人が、「集団自決」があった読
谷村のチビチリガマなど中部の戦跡を巡った。生徒たちは、この日の体験を慰霊の日に向け
た平和学習で活用する。
米軍が上陸した1945年4月にチビチリガマであった「集団自決」について、沖教組教文部長
の山本隆司さん(50)は「捕虜になることへの恐怖心を植え付けた戦時中の教育などが背景
にあった」と説明。亡くなった83人のうち多くを子どもが占めたことを挙げ、「『自決』といっても
自分で死を選んだといえるだろうか」と問い掛けた。
生徒たちは犠牲者の名前が刻銘された平和祈念碑や、彫刻家の金城実さんが作った「世代
を結ぶ平和の像」などに見入った。うるま市立具志川中学校2年の安里美咲さんは「出れば
助かるということを知らずに亡くなり、かわいそう。もしわたしがそこにいたらと考えると、怖い
けど少しでも生き残る方法を考え逃げ出すと思う」と話した。
対照的に、米兵の呼び掛けに応じて壕を出たため、中に避難していた約千人が助かった同村
のシムクガマも訪れた。うるま市石川のヌチシヌジガマでは、沖縄戦体験者の山城武子さんが
ガマでの体験を語った。生徒らは全長約200メートルのガマの中で懐中電灯を消し、真っ暗な
避難生活を疑似体験した。
ソース:琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24333-storytopic-7.html
2 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:04:56 ID:/jrNIEZC
おやおや?
軍命令が原因じゃなかったのか?
今度は教育のせいかい?
3 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:11:39 ID:knrZ6N8H
現実に火炎放射器で焼かれてたろ
4 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:14:04 ID:q0Ibyzex
さっさと沖縄は独立したほうがいい。
5 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:15:08 ID:X4P4Ivib
実体験が伴わない人々には絶対理解できない。
6 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:15:23 ID:VSaNX+EY
うんそうだね、本当にそうだと思うよ。
左翼はこれで満足か?
7 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:21:57 ID:sYF4R4Xh
母から聞いた沖縄
佐藤 優 (起訴休職外務事務官)文藝春秋 07/03
幼い時期、母の膝に抱かれて沖縄の話をいろいろ聞かされた。母の実家、久米島の西銘集落
から海がよく見え、ときどき鯨の家族が潮を吹いて泳いでいった話。
・・・・・・・・・・
母は子供の頃から好奇心が強く、女学校への進学を望み、十二歳のときから親元を離れて、那覇
で下宿することになった。そして十四歳のときに沖縄戦に遭遇する。女学校二年生だった母は、帰
郷を命じられたが、既に米軍の空爆で連絡船は撃沈されたので久米島に戻る手だてがなかった。母
は第六十二師団(通称「石部隊」)の軍属になった。子供の頃、毎年、梅雨の時期になると、母は
沖縄戦の話を何度も繰り返した。
壕の中で通信兵から「いま戦艦大和が沖縄を助けにくる」という話を聞いたときの情景。また
「沖縄があまりに頑強に抵抗するのでルーズベルト大統領がショック死した」という情報が流れた
ときの様子。
前田高地の激戦で、斬り込みで死に赴く将校から「米軍は女子供には危害を加えないから、かな
らず降伏して捕虜になれ」と耳打ちされた話。
米軍の弾が飛んでくると母の上に覆い被さり、文字通り盾となってくれた日本軍将兵の話。
摩文仁の丘で米軍の毒ガスを浴びたときの模様(それから母は慢性喘息になった)。
昭和二十年六月二十三日、母たちが隠れていた摩文仁の洞穴に下士官が飛び込んできて「今牛
島(満)司令官と長(勇)参謀長が自決するのを見届けてきた」という話を聞いたときの情景。
更にその三日後に米軍に発見され、母は手榴弾の安全装置をはずし、自決の準備をしたが、栓を
岩に叩きつけることができず躊躇していた隙に、隣にいた京都出身の鬚面の伍長が手を上げて降伏
し、命拾いをしたときの話など。
母から沖縄戦の物語を聞くなかで、知らず知らずのうちに私の中で愛国心が育ってきた。外交
官になって北方領土問題の解決に寝食を忘れて取り組んだのも、スターリンによって故郷を追われ
た元島民の運命と母から聞かされた沖縄の人々の物語が私の心の中でシンクロしたからである。
・・・・・・・・・・
8 :
うみ:2007/06/04(月) 11:22:52 ID:16/aQrHS
あれぇー
9 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:23:00 ID:GOXotmUm
「自決するように教育されたから自決した」とか言う奴は人間理解が足りないね
「心の教育や道徳教育をすればいじめがなくなる」と言ってる奴等と大差ないね
10 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:23:43 ID:MqIqeBto
支那の射程に入ったな
11 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:26:51 ID:0qUgxnpX
12 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:30:24 ID:ebLcgiyi
生きて虜囚の憂き目に遭うよりはとは普通に言われてたのは確かだろうな
13 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:32:47 ID:JlTDbkWJ
沖縄も琉球国として独立させると、
自立する苦しみから韓国みたいに謝罪と賠償を!
と、言い出すのは目に見えるなw
もともと朝鮮人みたいに大和民族で無いしw
沖縄の人間には、大和民族に有るような、
「共に生きよう!」って、気は無いのなw
14 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:36:21 ID:QdstgCe+
15 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:37:49 ID:XBG9RVPw
>>戦時中の教育などが背景
ということは当時の沖縄の大人にも責任があるわけだ。
16 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:39:33 ID:1uihDZLq
生きて虜囚の辱めを受けずというのは
シナで残酷な取り扱いをされたから現実的になったのである。
17 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:40:30 ID:of34toKa
>>14 >おまえが一番やばいぞ
訳分からんな反論したいならちゃんと反論しような
ま。無理だけどな
18 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:42:11 ID:QdstgCe+
19 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:46:23 ID:0qUgxnpX
>>16 散々陵辱された挙句の惨殺ですからな。自分らが玉砕した後に同胞の婦女子がどんな目に遭うかと考えたら、自決を止める決意の鈍った下士官もいたことでしょうな。
20 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:46:48 ID:Wz2EoZhk
14 :名前をあたえないでください :2007/06/04(月) 11:36:21 ID:QdstgCe+
>>9 おまえが一番やばいぞ
18 :名前をあたえないでください :2007/06/04(月) 11:42:11 ID:QdstgCe+
>>17 やはりオマエが一番ヤバイ
↑何これ?知恵遅れ?ヤバイしか言葉知らねーの?
21 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:50:22 ID:DZLRcD20
当時の感覚としては米軍は人情すらない鬼畜であると言うのが常識だった
国が言うだけでは国民はそれを信じないが、米軍の連日の民間地区への大空襲で国民もそれを確信したのだ
よって集団自決は当時の感覚として当然の成り行きだったのだ
22 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:50:41 ID:jnnvWRPM
大日本帝国に言えばいいのに
今の日本国はアメリカが作った国だしw
23 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:58:19 ID:0qUgxnpX
>>21 実際米はそういった鬼畜の所業を広島長崎でやって証明して見せたわけだ。日本人はこの事実を忘れてはならない。
戦時中の教育を批判するのは良い。だがだったとしたら今の教育はどうだというのだ。反日勢力の言うがまま、徹底的に統制下にある売国マスゴミよ。
24 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 11:58:30 ID:AJ3eKLKb
文句は靖国神社に行って、合祀された東條英機らに言えよ。
25 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 12:01:30 ID:1gPczvaC
自分たちの形勢が危うくなると必ず論点をずらし始めるのがサヨクだもんなぁ
これじゃ良識ある人間がどんどん離れていくのも分かる
>>24 東條英機は対米戦に反対してたのと、敗戦を受け入れた首相
大東亜戦争の戦死者としての合祀は当たり前
アカやチャン・チョンの言う事ばかり信じてるゆとりはもう少し歴史を勉強しろ
27 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 12:35:17 ID:QdstgCe+
28 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 12:40:14 ID:0qUgxnpX
沖縄の人は本当に純朴で良い人が多いんだ。だがお願いしたいことがある。
自分らだけが被害者だという特亜のメンタリティーは持たないで欲しい。
基地問題を見ても分るように、特亜の工作機関である沖縄のマスゴミだけが言っているのだと我々日本人は信じているが。
29 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 13:44:23 ID:Jl5J+lKx
オキナワはね、被害者であることが大切なの。自分たちも「日本」という当時加害者であった側にいたことはよく知らないわけ。
で、極論すれば何で戦争に巻き込まれたかも分からない。海の向こうから戦争がやってきた、この程度。
ポカンと口あけて、いわれるままに公民科教育もし、身内を自決させ、気が付いたら「オイ!誰が悪いんだ!」と。
アーフォ。自分たちが一番悪い。ものを考えず人に言われるまま怠惰に過ごした自分たち。
そのことがどうしても、分からないのが、オキナワなの。
30 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 14:41:26 ID:JL1+a4tS
沖縄人て本土叩きの一方で琉球王国についてはあることないこと美化しまくり
メンタリティが朝鮮人に似てるよ
31 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 14:42:47 ID:JL1+a4tS
自分らの都合の悪い歴史には目向けようとしないんだよ沖縄人は
32 :
名前をあたえないでください:2007/06/04(月) 16:17:26 ID:FP5JesyT
教育も原因だろ
薬と同じで、全ての人を良い方へ導く教育方法なんて有りはしない。
欠点が無いように感じても薬の悪い副作用のような現象が起こる場合がある。
まして、戦時下での教育方法に万能の方法など有りはしない。
あと、サイレントマジョリティが沖縄に当てはまらないか検討してみるのもいいと思う。
声の大きい少数派と言うのが比較的多いのも自然な成り行きだと思う。
沖縄が激戦地になってしまい本州と比べ割を食ったのは事実だ。
家族が死んでしまった人にとっては不公平感などもあるだろうし、
軍事アレルギーや反戦運動などを行っていても悪いと思わないほうがいい。
戦争が終わった後、沖縄の人から本州等に対して立地上の不公平感が生まれない
ケースがあったとしたら、どんな場合がそうだったのか考えてみたらいい。