天皇杯を2連覇中の浦和レッズ。06年にはJリーグとの2冠を達成した。
年間予算は70億7000万円と、欧州を代表する列強と肩を並べるほどの
大クラブに成長した。
浦和の前身、三菱重工サッカー部でプレー。日本リーグ前の年間予算は
10万円ほどだった。74年にはコーチとして日本リーグ、天皇杯を制した。
OBの目には、後輩たちの奮闘が頼もしく映る。しかし、Jリーグ発足前、
三菱サッカー部は路頭に迷っていた。
「三菱は《東京都》をホームにしたかった。希望していた江戸川陸上競技場が、
収容能力の問題でダメになった。クラブ誘致に熱心だった浦和市の青年会議所が、
同じ埼玉県の和光市に研究所があったホンダと話を煮詰めたが、結局ホンダが
プロ化を断念。間隙(かんげき)を突いて三菱と浦和市で話がまとまり、
浦和レッズが誕生した。三菱OBとして骨を折った甲斐があった」
古河電工が母体のジェフ市原・千葉は、横浜市をホームタウンに狙っていたが、
千葉県習志野市に方向転換。基本合意に達したが、一部地域住民の猛烈な
反対にあった。
「Jリーグ開幕まで1年を切る92年5月だった。習志野市から断念の連絡が
ジェフ市原・千葉に入った。古河出身の木之本Jリーグ事務局長も、古巣の
一大事にびっくりだった。91年2月14日に参加を希望する企業20社を10社に
絞った後だし、『参加クラブのホームが決まらないなんてJリーグが赤っ恥をかく』と
必死になって代替地を探し、市原市に決まってホッとしました」
地域密着をうたったJリーグは「母体企業名を出さない」ことを目指したが、
根強い抵抗にあった。初年度から「地域名プラス愛称」で統一出来たのは
「ひょうたんから駒だった」と苦笑する。
「音頭をとった川淵初代チェアマンは、初年度から企業名を外す、とまで
考えてはいなかった。予想に反して、トヨタが真っ先に“クラブ名にはトヨタの
トの字も入れない”と言ってくれ、これが住友金属(鹿島)、マツダ(広島)
といった他の企業に波及した。ラッキーでした」
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