【歴史】沖縄戦前後の写真寄贈 元米兵琉米歴史研に[12/14]

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★沖縄戦前後の写真寄贈 元米兵琉米歴史研に

沖縄戦が始まる前の1944年から戦後の46年までの間に、米軍や元米兵が沖縄の風景などを
撮影した航空写真や、働いている沖縄の人々などを写した写真とネガ176枚がこのほど、撮影者
の元米兵から琉米歴史研究会(喜舎場静夫理事長)に寄贈された。
航空写真は単エンジン偵察機(通称・トンボ)の後部座席から撮られたもので、喜舎場理事長は
「作戦用にかなり上空から撮られた写真はあるが、これだけ低空から風景を写した当時の写真は
大変珍しく、見たことがない」と話している。

航空写真は那覇、嘉手納、読谷、石川などが写され、中には道の様子や家並みが鮮明に写って
いるものもある。このほか、県内初の米軍人向け新聞「デイリーオキナワン」を発行していた「新聞小屋」
(宜野湾市普天間)、沖縄戦後、日本本土攻撃準備のために、沖縄に運び込まれた軍事物資や装備、
米軍の沖縄上陸前の(44年10月10日)に撮影した風景、米軍人が集めた戦利品など多岐にわたる。

この中には、本島中部の地形を細かく調査した米軍の沖縄上陸マニュアル(極秘資料)も含まれている。
撮影したのは米カリフォルニア州在住のロバート・ロックさん(84)。ロックさんは沖縄戦中、米陸軍
第10軍工兵隊員だった。戦後は米国環境保護局で環境エンジニアとして16年勤務し、ミズーリ州
セントルイスのワシントン大学で準教授として教えていた。

ロックさんは「写真はできるだけ多くの人々に見てほしい。特に沖縄の方々に、この美しい島が戦争前は
上空からどのように見えたのか、そしてその後の荒れ果てた姿を、今の風景と比べてみてほしい」と望んでいる。

また「(当時は)できるだけ多くの河口を撮るようにした。ネガをプリントすれば、那覇や嘉手納、読谷、
1945年4月1日に米軍が上陸した際のすべての海岸を見ることができるだろう」と琉米歴史研究会への
手紙に記している。

喜舎場理事長は「撮られた写真のほとんどが、ロックさんが私的に撮ったもので戦後のものだ。
今まで見つかっている米軍が撮影した当時の写真にない場所ばかりが撮られており、非常に貴重だ」と
話している。写真は1月に同研究会のホームページで公開するほか、来年6月に写真展を開き、紹介する予定だ。

(琉球新報 12/14 16:03)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-19694-storytopic-1.html
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