糸魚川けんか祭りで詩歌応答
「豊かな遊び」復活へ
「十日の祭り」または「けんか祭り」と称され毎年四月十日に行われる糸魚川市一の宮一の天津神社の春季大祭で、一昨年まで舞楽奉納(国指定重要無形民俗文化財)の合間に行われていた詩歌応答(詩歌連俳贈答)が二年ぶりに復活することになった。
「全国に例を見ない民俗芸能文化を後世に継承したい」と、短歌愛好者ら有志で「詩歌応答」研究会を立ち上げ、同神社舞楽会の下で継承活動に取り組む。
同研究会の世話人代表の一人、赤野光夫さん=同市中央一在住=によると、詩歌応答の起源は「天津神社並びに奴奈川神社社記」の記述から江戸時代初期ごろと推定されるという。
また当初は詩歌の形態ではなく、主に楽屋にいる奏楽関係者と祭りの見物人が文で揶揄(やゆ)し合う中で、短歌や俳句に心得のある関係者が一首一句を返したことから賦詠になっていったと想像される。
「即詠即答のおもしろさを存分に楽しんでいたことがしのばれる。非常に豊かな遊び心によって生まれた極めて貴重な独特の形態」と赤野さん。
現存する記録(舞楽差定)によると詩歌応答は明治二十二年から相馬御風の死去した昭和二十五年まで続いた。
翌年から二十六年間中断したのち昭和五十二年、相馬御風の流れをくむ短歌会「木かげ」により復活したが、平成十八年に同会から継続できないとの申し出があったという。
そのため新たに活動母体を作り、同研究会の代表二人が舞楽会に入ることで再度復活、今後の継続を図ることになった。現在会員は十人。
「市民に広く知ってもらい長く継承していきたい。会員も二十人をめざしたい」と赤野さんは話す。
2007-03-22 11:15:35 更新
http://www.joetsu.ne.jp/times_news/index.php?kiji=717