サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会の12の開催地の中で、唯一、
旧東ドイツの地域であるライプツィヒ。
バッハが眠り、ゲーテとニーチェが若い日々を過ごした美しい古都ライプツィヒに、赤い波がうねる。
欧州最大の駅であるライプツィヒ中央駅を降りると、
あちこちに「韓国を歓迎します」という赤い立看板が目に入る。電車の外面一面には、
太極旗(テグクキ・韓国国旗)とサッカー韓国代表チームのサポーター「レッド・デビルズ」が描かれている。
中央駅から歩いて5分の市内のど真ん中にあるアウグスト広場では、数千人のドイツ人が、
赤い服を着た韓国応援団とともに、サムルノリやテコンドー、扇子の舞いの公演を鑑賞している。
地元有力紙『ライプチガー・フォルクスツァイトゥング』は週末版で、紙面1面を韓国語で出した。
1面には、太極旗とともに韓国語で「歓迎します」の文句が書かれた。
ライプツィヒが開催地になるために貢献したヴォルフガング・ティーフェンゼー元市長は、
ドイツ連邦交通省長官に栄転したが、18日にプレスクラブを訪れ、「ライプツィヒとサッカー、
ライプツィヒと韓国」について記者会見を開いた。ティーフェンゼー元市長は、
困難だったW杯の準備過程を回想した。
「西ドイツに比べて不十分だったインフラのために、ライプツィヒは、W杯に備えて、
都市全体を大工事しなければなりませんでした。数ヵ月前までは、市内のあちこちで電車の路線を整え、
新しい施設を建てて道を整備したため、歩ける所がなかったほどです」。
東ドイツ地域の中で、ライプツィヒが唯一の開催地に選ばれたのは、サッカーとの長い縁があったからだ。
1900年、ドイツサッカー協会(DFV)が、ここライプツィヒで初めて結成された。
1903年の第1回ドイツ・カップで優勝したチームも、ライプツィヒだった。
1956年に完成したツェントラルシュタディオンは、10万人も収容できるドイツ最大の競技場だ。
今回のW杯のために、約4万4000席規模のサッカー専用スタジアムを競技場内に新たに建設した。
ライプツィヒ大学に留学する金ボヨン氏(27)は、「統一ドイツ後、旧東ドイツ市民たちは、
疎外感と劣等感に苦しんできた。しかし、ライプツィヒの人々は、
今回のW杯を通じて、プライドを取り戻している。観客を迎え入れることにも積極的だ」と話した。
ゲーテは、ライプツィヒの「アウアーバッハス・ケラー」という有名な酒場を背景に『ファウスト』を書いた。
ライプツィヒは、フランス軍を率いた英雄ナポレオンが、
プロイセン連合軍に歴史的に敗北した場所でもある。
そして韓国は、まさにここで、「神話」の再演を準備している。
画像:
http://japan.donga.com/data/20060619/photo/2006061932978.jpg ソース:東亜日報
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2006061932978