【東亜日報】「以徳報怨」 米国とベトナム【オピニオン】[06/08]

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1有明省吾(060718)φ ★

米軍がベトナム戦争で使ったナパーム弾の威力は、一枚の写真で世界中に知れ渡った。
1972年、ベトナムの少女キム・フックが、重度のやけどを負って、泣き叫びながら走っている場面。
戦争の苦痛と惨状を生々しく映し出した同写真は、ピューリッツァ賞を受賞した。
「ナパーム弾に当たれば、肉が溶ける。顔から胸の上まで溶けてくっつく。
皮膚が腐り始めれば、えぐり出さなければならない。切り取れない部分は頭だけの場合もある」と、
米国記者は記録している。

◆ベトナムのクチトンネルに入ったことのある人は、驚くことだろう。ベトコンが、米軍に対抗するために、
総延長200キロにわたるアリの巣のような地下要塞を手で掘ったのだ。
人の体がやっと通れるほどのトンネルの中では、「閉所恐怖」に震え上がる。ベトコンは、
このまっ暗で窮屈な地下に、武器庫、寝室、台所をつくり、要塞を築いた。そのようにして20年間堪え続け、
1975年、遂に戦争に勝った。

◆ベトナム人約150万人、米軍約6万人が死んだ戦争だった。
米軍が撒いた枯葉剤と除草剤などの化学兵器は、子どもや孫の代まで、災いになっている。
にもかかわらずベトナムは今日、米国と手を取り合うことをためらわない。1995年に国交正常化し、
昨年はファン・バン・カイ首相がワシントンに行って、首脳会談を開いた。対米輸出が年間60億ドルを超え、
戦時行方不明の米兵遺骨捜索を助けるという条件で、最恵国待遇を求めている。

◆軍事協力パートナーになることも厭わない。中国を牽制しなければならないという両国の計算が、
現代版「呉越同舟」に向かっている。偶然にも、
戦争終盤に米国防長官だったラムズフェルドが30年が経った今、再び米国防長官となり、
ベトナムの国防長官と会談して、「軍事協力を強化する」と発表した。実に混乱する「以徳報怨」である。
恨みを徳で返すことは、慈悲の心によるものではない。まさに現実的で避けられない実利の選択だ。
永遠の敵も同志もいない国際関係である。


ソース:東亜日報
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2006060875858
2名前をあたえないでください:2006/06/08(木) 11:44:37.75 ID:26KQF61M
日本と絡めたいのか?
3名前をあたえないでください:2006/06/08(木) 11:44:45.36 ID:J5O4u+cH
まぁ、「以徳報怨」なんて言葉は永遠に理解できないだろうな…。
4名前をあたえないでください:2006/06/08(木) 11:44:47.50 ID:MPMhAnj7
いつまでも恨み続ける中国には理解できないだろうね
5名前をあたえないでください:2006/06/08(木) 11:46:34.46 ID:xtRuU+1D
だからどうしたと。
6名前をあたえないでください:2006/06/08(木) 11:48:22.43 ID:b3D6Ozak
チョンもベトナム戦争に参加してレイプしまくってた件はスルー?
7名前をあたえないでください:2006/06/08(木) 11:55:40.26 ID:peV9IbaH
>>4
国民党の蒋介石が、「以徳報怨」って言って日本人に感謝させていたよ。
満州の日本資産をドサンと横取りしたけどね。
8名前をあたえないでください:2006/06/08(木) 15:18:00.98 ID:ZkFt2Vty
特アには関係ない
根拠もなしに逆恨みして来る民族は特アだけ
わざわざ歴を捏造してまで恨み続けるというのは異常
過剰な被害者意識を持ち日本を攻撃してくる
9名前をあたえないでください
以怨報徳の国が何を言うか