六ケ所で大正の「青森日報」発見
戦前、戦中に県内で発刊され、口語自由詩の先駆者・福士幸次郎(弘前市出身)、
方言詩人・高木恭造(青森市出身)らが編集に携わった日刊紙「青森日報」
(本社・青森市、一府県一新聞政策で一九四一年、東奥日報に統合)の
大正十一(一九二二)年十月二十八日付が、ほぼ完全な形をとどめて六ケ所村泊の民家で見つかった。
当時の新聞の原物が見つかるのは珍しく、県は「記事や広告から、当時の世相を知る貴重な資料」と話している。
同紙が発見されたのは六ケ所村泊の村役場職員、目時昌弘さん(59)方。
正月などに床の間に飾っている掛け軸などを納めた行李(こうり)の中に古い新聞があり、
妻まさこさんに処分するよう伝えたところ、まさこさんが見慣れない新聞であることに気付いたという。
青森日報は、明治二十五(一八九二)年創刊の陸奥日報を前身に持ち、東京、仙台、函館や
県内各地区に支局を置いていた。見つかった新聞紙面は計四ページ。
県内記事、中央の動向や外電、天気予報、時代小説のほか、洋品店、靴店などの広告を掲載。
青森市の労働賃金が高いことを伝える経済記事、人違いで四十五日間のけがを負わせた傷害事件、
連絡船内で一人旅の女性につきまとう男性が多いと嘆く記事、
代議士が列車内で知り合った「怪美人」に金を盗まれた事件などがあり、当時の世相をうかがわせている。
県内では県や五所川原市などが青森日報の原物を保存しているが、
大正時代のものは破損して一部のみだという。
県民生活文化課県史編さんグループの中園裕主査は
「戦前の新聞は空襲で焼けるなどして、残っているものは少ない。古い新聞を見つけたら、
捨てずに一報を入れてほしい」と呼び掛けている。
大正11年10月28日付の青森日報を手にする目時さん
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/imags2006/0417f.jpg ◆ソース:東奥日報
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/0417/nto0417_12.asp