大阪・通天閣のマスコットとして知られるビリケン像。通天閣を含め、現存する多くが戦後の作品だが、
神戸市兵庫区の鎮守稲荷神社に、戦前からまつられた「ビリケンさん」が今も残っていることがわかった。
かつて有数の歓楽街だった新開地のそばで、縁起物として親しまれたとみられる。戦前のビリケン像が
ある神社としては、これまで同区の松尾稲荷神社が唯一、広く知られていた。思わぬ「発見」を機に、市は
リーフレットを作製し、「二つのビリケンさん」で観光客誘致を図っている。
鎮守稲荷神社のビリケン像は木製で、座高約80センチ、幅約60センチ。米国のオリジナル作品を忠実に
再現。腹部の直径約13センチの穴の中から、「昭和5年10月5日」などと書かれた小石が見つかった。
神社を管理する浜野要造さん(86)によると、像は戦前からあったが、神主がいなくなった1965年
以降、神殿を閉ざすようになったため、参拝者が目にする機会はほとんどなかった。浜野さんや一部の自治会
役員だけが存在を知っており、昨秋、自治会役員が区職員に像のことを話した。
ビリケンは1908年米国生まれ。「足の裏をなでると幸せになる」といわれ、世界中で商品化された。
日本でも流行したが、「敵国の神様」として、戦時色が濃くなるにつれて姿を消した。通天閣のビリケン像も
12年に設置されたが、戦前に行方不明になり、80年に複製品が安置された。
「ビリケンさんの神社」として有名になった松尾稲荷神社の像は、右手に打ち出の小槌(こづち)、左手に
宝珠を持った日本的な容姿。これが幸いし、戦時下を生き延びたのではないかと考えられている。西洋的な
鎮守稲荷神社のビリケン像がなぜ残ったのかは不明だ。
兵庫区に住むビリケン収集家の諸田茂さん(72)は「これほど立派なものがまだ残っていたとは。花街が
この辺りまで広がっていたことを裏付けているのではないか」と話す。このビリケン像は今、神殿の前部に
移され、扉のガラス越しに見ることができる。
■ソース(朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0206/OSK200602060044.html ※写真 神殿の奥にあったビリケン像。左は神社を管理する浜野要造さん=神戸市兵庫区の鎮守稲荷神社で
http://www.asahi.com/national/update/0206/image/OSK200602060048.jpg