一般的にホスピスは、末期がんの患者が最期を迎える場ととらえられがちだが、重度障害者や
重症の難病患者が医療的ケアを受けつつ自分らしく最後まで暮らせる施設もある。全国で
初めて作られた難病ホスピス「太白ありのまま舎」(仙台市)がオープンして今年で12年。
難病ホスピスの重要性を提唱し、映画製作や出版で難病者への理解を訴え続けている
山田富也さん(53)を訪ねた。【有田浩子】
山田さんは全身の筋肉が衰えていく進行性の難病、筋ジストロフィー患者。6年前に心臓発作
で生死の境をさまよったが、保健師で妻の浪子さんの看護を受け、現在は自立ホームで24時間
人工呼吸器をつけ、ベッドで生活している。
中学を卒業した後、同じ筋ジス患者だった兄2人のいた仙台市の国立療養所西多賀病院に
入院。山田さんは結婚を機に退院したが、「施設の外をほとんど知らない障害者たちの、
ありのままの姿や意見を社会に知らせよう」と、長兄と雑誌「ありのまま」を創刊した。自ら脚本
を書いた映画「車椅子の青春」(78年)は、次兄が出演して評判を呼んだ。
長兄は80年、次兄は83年に亡くなった。兄たちをはじめ「自分の人生は自分の手で築きたい」
と願っていた仲間の思いを実現する形で87年、自立ホーム「仙台ありのまま舎」を仙台市に
設立した。障害者が地域で暮らせる「下宿屋」のイメージだ。
94年には、病気が進行してもケアを受け続けられる場として、重度障害者・難病ホスピスを
同市内に建設。「希望につなげられるような生活空間」を目指し、最初からホスピス対応を
するのではなく、通常の生活を送りながら終末期に備えられる。
開設当初から定員60人すべてに個室があり、食事時間と入浴日が決まっている以外は
原則として自由。医師が常駐し酸素配管や吸引設備などをそろえ、人工呼吸器や気管切開した
人であっても積極的に受け入れている点も画期的といえる。山田さんは「難病ホスピスは、
死に行く場所ではない。生き抜く場所であり、生き逝く場所」と語る。
後略
難病ホスピス:医療:MSN毎日インタラクティブ
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060202ddm013100094000c.html