かつて「浅草六区」と呼ばれた、台東区浅草の六区ブロードウェイにある老舗映画館「浅草東宝劇場」が、
設備の老朽化などを理由に今月いっぱいで閉館する。数年前、松竹と東映の映画館が相次いで撤退して以来、
浅草で唯一の封切館だった。地元では運営する東京楽天地(本社・墨田区)に「もっと頑張ってほしかった」
と、惜しむ声があがっている。残る映画館は、浅草中映劇場の五つのスクリーンのみとなる。
「日本で最初に映画常設館が誕生したのは浅草六区。いわば映画発祥の地。その伝統が失われるようで、
実に寂しい」。こう嘆くのは、元役者で「浅草がんばる会」の河野通夫会長(60)。
明治から昭和三十年代末ごろまで、都内最大の繁華街としてにぎわった浅草六区。戦後の最盛期にはわずか
三百メートルほどの通りに、映画館だけでも二十軒以上が軒を連ねていた。
東宝が浅草に進出したのは戦後間もなく。戦災で焼失した浅草寺の復興資金に充てるため、埋め立てられた
ひょうたん池の一部を、東宝の創設者、故小林一三氏の意向を受け、楽天地が買い取り浅草宝塚劇場を開業。
これを皮切りに映画館やスポーツランドなどを次々と建設、浅草娯楽街の拡大に拍車をかけた。
浅草東宝劇場は一九六四年に開館。後にボウリング場とゲームセンターを併設。今では珍しい、70ミリ
フィルムが映写できる巨大スクリーンを持つ。
同劇場の西尾真支配人は「今や“シネコン”が主流で、映画館のあり方も変わってきた。これも時代の流れ」
と話す。閉館するのは映画館のみで、ボウリング場などはこれまで通り営業を続ける。
浅草演芸ホールや東洋館などを運営する東洋興業の松倉由幸社長(42)は「今後は、町の人の意見を聞き
ながら、浅草六区にふさわしい跡地利用を楽天地に申し入れていきたい」という。
同館では二十八日から最終日までの四日間、特別上映を実施する。開館以来、観客動員数が多かった「東京
オリンピック」(市川崑監督、六五年公開)、「日本沈没」(森谷司郎監督、七三年公開)など十作品を選び、
日替わりで上映する。入館料五百円。
■ソース(東京新聞)(丹治 早智子)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20060127/lcl_____tko_____000.shtml