さすがにピットは、この大嘘つきの猿芝に付き合うのに嫌気がさしてきたのか、表
情がだんだん険しくなってくる。それを察した筑紫、コマーシャルを挟んでやっと、
この映画の核心である、虐殺行為の糾弾に言及する。もっとも、一分に満たない、ほ
んのさわり程度で何とかお茶を濁しただけであったが。
何しろ、「テロリスト」とまで言い放ったフジモリ大統領にさえ、インタビューの
際には本心を隠してへいこらと頭を下げて見せた筑紫である。「映画俳優ごとき」に
その場限りのお愛想を振りまくなんてことは、彼のような卑劣漢には、何でもない事
だったのであろう。
筑紫の真骨頂は、インタビューの後に現われた。ピットの前では愛想笑いを振りま
いて迎合していた筑紫は、ピットがいなくなった途端、こう言い放った。
中国の行為を悪と決め付けるのは難がある
あな恐ろしや、サヨクオヤジ。本気でそう思っているのなら、なぜピットに論争を
挑まなかったのか?もっとも、卑怯者でも、勝負の勝ち負けを判断できる程度の脳み
そは持ち合わせているというと言う意味では、わずかながら救いではあるが。
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