広島土産で人気のもみじ饅頭(まんじゅう)が今年、誕生100年を迎えた。宮島の女将(おかみ)が発案し、
漫才ブームの80年代、広島市出身の漫才師、島田洋七さん(55)のギャグで一気に全国区に。今春、
公開予定の自伝映画の原作にも、もみじ饅頭が登場するという洋七さんは、「子どものころは、月に1度だけ
食べられる夢のお菓子だった。今の自分があるのも、もみじ饅頭のおかげ」としみじみと話している。
◇B&Bの洋七さん「昔は月に1度の母の味」
もみじ饅頭は1906年2月、宮島の老舗旅館「岩惣」の女将が、あんこをカステラの生地で包んだ茶菓子と
して発案。地元の和菓子職人が初めて焼いたという記録があり、当時、宮島でよく保養した伊藤博文も
食べたという。戦後、広島周辺で知られるようになったが、地元以外では無名に近かった。
一方、洋七さんは小学2年から8年間、家庭の事情で佐賀県の母方祖母の家で暮らした。広島の母は月に
1度、下着などと一緒に3個のもみじ饅頭を入れた包みを送ってくれた。仏壇に1個を供え、祖母と一つずつ
分けた。食事を抜かねばならないこともあった生活で、もみじ饅頭は最高のぜいたくだった。
漫才師になり、「B&B」のコンビで相方の洋八さん(54)と出身地の名産品を言い合った。洋七さんが「モミジ
マンジュウ!」と両手でもみじの形をなぞって叫ぶと、会場は笑いの渦に。ギャグは電波に乗って一世を風靡
(ふうび)。もみじ饅頭も飛ぶように売れ、十数社だった業者は一時、約300社にもなったという。
映画化される自伝は祖母との生活を記した「佐賀のがばいばあちゃん」(「がばい」は佐賀弁で「すごい」)。
もみじ饅頭のギャグについて「何であれほどうけたのか、自分でも分かりません」と話す洋七さんだが、
「今でもよく食べるよ」と、永遠のもみじ饅頭サポーターを自任している。
■ソース(Mainichi-MSN)
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/news/20060106k0000m040168000c.html