【社会】旧日本軍、捕虜の米英飛行士ら約100人を裁判抜きに処刑していた[12/25]

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1はぴすた(051227)φ ★
 第二次大戦中、日本を空襲した爆撃機に搭乗し捕虜となった米英などの
連合国軍飛行士のうち、母国に帰ることなく死亡した捕虜の半数近くが、
裁判なしに旧日本軍に処刑されたり、捕まった直後に殺害されていたことが、
京都府亀岡市の高校教諭、福林徹さん(58)の調査で分かった。旧日本軍
の捕虜取り扱いの過酷さを具体的に示すデータといえる。

 福林さんは戦時下の捕虜の処遇の研究や、来日する元捕虜の支援などを
行う民間グループ「POW(戦争捕虜)研究会」のメンバー。連合国軍総司令部
(GHQ)の戦争犯罪に関する調査資料を基に、捕虜が捕まった場所などを
実地調査してまとめた。

 それによると、捕虜となった飛行士553人ののうち、母国に帰ることなく死亡
したのは少なくとも254人。このうち処刑されたのが117人で、大半の約100人
は軍律裁判などにかけられないままだった。この他は、▽飛行機の不時着や
落下傘での脱出直後に見つかり殺害15人▽傷病などで回復の見込みなしと
毒殺15人▽原爆や空襲で死亡64人−−など。

 捕虜は人格と名誉を尊重されるべきだと国際条約で取り決められているが、
福林さんによると、旧日本軍はB29などの搭乗員を他の捕虜と区別し「国際法
違反の無差別爆撃の戦犯容疑者」として厳しく取り扱ったという。特に、本土
空襲が激しくなった1945年春以降は近畿や九州の軍管区で、裁判もないまま
銃殺や斬首(ざんしゅ)したりするケースが増えていた。

 福林さんは「虐待を含め旧日本軍の捕虜の扱いは人道的とは程遠かったこと
が改めて分かってきた。原爆を含め無差別爆撃の違法性は明白だが、ハイテク
化した現代の戦争でも一般市民への爆撃は避けられず、戦争が繰り返す限り
憎しみの連鎖も続く」と話している。

URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20051225k0000m040098000c.html