【アメリカ】シュワ知事 改悛ギャングの死刑巡り弁護側と検察側から聴取 近く決定通知[051209]

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1夏まっさかり(060118)φ ★

◇シュワ知事 改悛ギャングの死刑で聴取

ギャングのメンバーとして4人を殺害したとして死刑判決を受けた後、犯罪防止を訴える
活動家となった米カリフォルニア州のスタンリー・ウィリアムズ死刑囚(51)への刑執行をめぐり、
シュワルツェネッガー同州知事は8日、弁護側と検察側の双方から意見聴取した。
知事が減刑を認めない限り、死刑は13日に執行される。

ウィリアムズ死刑囚は1979年に計4人を強盗中に殺したとして、81年に死刑判決を受けた。
その後、刑務所内から犯罪に手を染めないよう若者に訴える著作を次々と発表。
米メディアによると、その功績でノーベル平和賞と文学賞の候補入りしたことがある。

意見聴取で弁護側は改悛の事実と社会への功績を強調、
検察側は強盗殺人の罪の重さを訴えた。知事は近く関係者に決定を通知する。
州最高裁は先週、再審請求を棄却した。


ソース:スポニチ
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20051209019.html
2名前をあたえないでください:2005/12/09(金) 21:17:36 ID:zfP4OJP9
楽に2を取るね。
3名前をあたえないでください:2005/12/09(金) 21:31:59 ID:wBrpTjTh
ウィリアムスは1979年に行った異なる2つの現場での強盗の際、アルバート・オーウェンス
、ツァイシェイ・ヤン、イェンル・ヤン、イーチェン・リンを殺害した容疑で告発され、
有罪の評決を受けた。

アルバート・オーウェンス

法廷の記録謄本によれば、1979年2月27日火曜日の深夜、スタンリー・ウィリアムスは友人
であるアルフレッド・カワード、通称”ブラッキー”を”ダリル”と名乗る男に引き合わせた。
ダリルはウィリアムスをジェイムス・ギャレットの自宅に送り届けようと、自身の茶色の
ステーション・ワゴンにウィリアムスを乗せて運転をし、カワードは自身の1969年型キャデラック
でその後を追った。スタンリー・ウィリアムスはしばしばギャレット宅に身を寄せており、
多くの所持品をギャレット宅に置いていた。所持品の中には12ゲージのショットガンもあった。
ギャレット宅に到着するとウィリアムスは中に入り、10分ほど経ってから自身の12ゲージ
ショットガンを手に再び外に出てきた。

4人の男はポモーナの何処に行けばカネが稼げるかを議論し合った。やがてウィリアムスは3人を
残して姿を消すと、しばらくしてから22口径の拳銃を手に戻ってきた。ウィリアムスはカワード、
ダリル、シムズの3人にポモーナに向かうよう告げ、カワードとシムズはキャデラックに、ウィリ
アムスとダレルはステーション・ワゴンに乗り、フリーウェイ経由でポモーナを目指した。

やがて2台の車はウィテイア・ブールバード付近でフリーウェイから降り、食料品店”Stop-N-Go”
へと向かい、ウィリアムスの手引きにより、恐らく強盗目的で店内に入る。その際ダリルはウィリアムス
が所持していた22口径の拳銃を所持していた。”Stop-N-Go”の店員ジョニー・ガルシアは、店内の
モップがけを終えたとき、ステーション・ワゴンから4人の黒人男性が店に入って来るのに気付いたと
証言している。シムズによれば彼とダリルが店に入り、シムズが店の奥へと歩いてゆく間にダリルは
店員にタバコが有るか尋ねた。シムズは「バックルームに人がいることがわかったからそのまま
”ブラッキー”と店の外に出た。」と証言している。


証言によればウィリアムスはダリルとシムズが何もせずに店を出てしまったことに腹を立てていた。
ウィリアムスは他の3人に強盗に入る他の場所を探して、次に決めた場所で店内に入ったら彼が強盗の
手本を見せると述べた。
カリフォルニア州ピコ・リヴェラ、ウィテイア・ブールバード10437にあるセブンイレブンに到着すると
、カワードとシムズはウィリアムスとダリルの歩く後をついて行った。当時26歳だった店員のアルバート
・ルイス・オーウェンスは店のパーキング・ロットで掃除をしているところだったが、ダリルとシムズが
店に入るのに気がつくと、手に持っていたホウキとチリトリを自分の車のボンネットに置いて彼らの後に
続いて店内に戻った。ウィリアムスとカワードはオーウェンスの背後に続いて店に入った。
ダリルとシムズがカウンターごしにレジ金を盗もうとすると、ウィリアムスはジャケットから、銃身を短く
切ったショットガンを抜きオーウェンスの背中に突き付けて「黙ってそのまま歩け」と命じた。オーウェンス
の背中にショットガンを突き付けながら、ウィリアムスは彼にバックルームに行くよう命じた。やがて彼は
防犯カメラを銃で撃つと、バックルームでうつぶせになったオーウェンスを背後から二度、銃撃した。
オーウェンスの検死を行った病理医の証言によれば、銃口はオーウェンスの身体の至近距離にあったと推定
され、二つの傷のうち一つは直射によるものであった。
ウィリアムスはオーウェンスを殺害したあと、ダリル、カワード、シムズと2台の車に分けて便乗し、ロス
アンジェルスに戻った。強盗殺人によって彼らが手にしたのはおよそ120ドルであった。ロスアンジェルスに
戻ると、シムズはウィリアムスになぜオーウェンスを撃ったのか尋ねた。ウィリアムスは「目撃者を生かして
おきたくなかったからだ」と答えた。またウィリアムスはオーウェンス殺害の理由について、オーウェンスは
白人であり、ウィリアムスは過去に白人を殺害してきたからだとも答えた。カワードはまた、ウィリアムスが
オーウェンス殺害を自慢げに語っていたことと証言している。ウィリアムスは「オレがあいつを撃ったとき、
奴がどんな音を発したかオマエに聞かせられたらなあ」と述べ、喉をゴロゴロ鳴らし唸り声をあげながら
オーウェンスの真似をして見せ、そして笑った。
4名前をあたえないでください
ヤン・ファミリー

台湾からの移民のイェンイ・ヤンとツァイシェイ・ヤンは共に60歳を過ぎた夫婦であった。彼らの娘である
イェチェン・リンは台湾から彼らのもとにやってきたばかりであった。家族はサウスセントラルで”ブルック
ヘイヴン”という名のモーテルを家族で経営していた。
法廷の記録謄本によれば1979年3月11日の午前5時ごろ、スタンリー・ウィリアムスはサウスヴァーモント
アヴェニュー10411にあるブルックヘイヴンモーテルに入店し、ロビーに入るとドアを破壊して事務所内に
侵入し、ショットガンで76歳のイェンイ・ヤンとヤンの妻であった63歳のツァイシェイ・ヤンを射殺し、
その後ヤンの娘である43歳のイーチェン・リンを射殺した。ウィリアムスはレジから現金を奪い、自身の
居住区へと戻った。
イェンイとツァイシェイの息子であるロバート・ヤンはブルックヘイヴンモーテルの寝室で就寝中だったが、
誰かがモーテルのドアを破壊する音を聞いて目を覚ました。そしてすぐさま銃声と彼の母親と姉の悲鳴を聞き
つけた。ロバートがモーテルのオフィスに入ると彼は母親と姉、そして父親が撃たれているのを発見した。
レジが開けられ中身が空になっていることにも気づいた。ブルックヘイヴンの強盗殺人によってスタンリー・
ウィリアムスはおよそ100ドルを手にしたことが後に判明した。


法医学者によれば、イェンイ・ヤンは2つの銃弾を受けていた。一つは彼の左腕と腹部にあり、左腕はちぎれて
肋骨は砕かれ、脾臓、右側の腎臓、腸、大動脈は損傷を受けていた。さらにプラスチック製の弾丸によるものと
見られる傷がイェンイの肝臓の下部で発見された。法医学者はイェンイの傷は双方とも、銃口とイェンイの身体
の間の距離が1フィート(約30cm)以内であったと証言している。
イーチェン・リンは顔の左上部を数フィートの距離から一回撃たれていた。彼女は救急医療士によってセンティ
ネラホスピタルへと搬送されたが7時36分に亡くなった。
ツァイシェイは至近距離から2度撃たれていた。傷の一つは尾?骨付近にあったと法医学者は証言している。傷の
状況などから銃口は彼女の身体から数インチ(訳注、1インチ≒2.54cm)のところにあったと考えられる。もう一つ
の傷は臍あたりにあった。裁判で法医学者は銃口がツァイシェイの身体から数フィートのところにあったことを
証言した。ウィリアムスの友人は彼が会話の中で被害者のことを”ブッダヘッド”と呼んでいたと証言しているが、
殺人の背景に宗教的動機があったかは不明である。


ウィリアムスは以上4人の殺人により死刑が確定している。加えてウィリアムスが警官を殺したことをほのめかした
という仲間の供述もある。刑務所内で殺人を指示した疑いも持たれている。
ウィリアムスは現在、サンクエンティン州刑務所に死刑囚として服役しながら、恩赦の申請の結果を待っている。
彼の死刑執行の期限は2005年12月13日に設定されており、カルフォルニア州知事アーノルド・シュワルツネガーに
よって彼は恩赦の対象からは除外されたままである。
服役当初から彼は無罪を主張しており、検察側の職権乱用や無罪の根拠となる証拠の排除、弁護人の能力不足、
偏見の強い陪審の起用や刑務所内などの情報提供者の濫用を理由に不服を申し立てている。
ウィリアムスは警察が、指紋や殺害現場の血の足跡の照合も行っておらず、目撃者も発見できておらず証拠の断片
さえ見つけられていないと主張。2つの現場から採取されたショットガンの薬莢にしても自分の所持していたもの
とは合致していないと証言するも、検察側の銃の専門家はヤンの殺害現場で発見された薬莢はウィリアムスのショット
ガンに使用されるものと一致していると反論している。またオーウェンス殺害現場に残された2つの薬莢もウィリアムス
の所持するショットガンから発射されたものと一致している。またウィリアムスの証言とは対照的に陪審員の一人は
黒人であった。またウィリアムスがクリップスの創設に関しては謝罪し、ギャングと手を切ったとしながらも、いまだ
に刑務所内でクリップスのメンバーと交流しているとの批判もあり、いまだに外部から多額の現金を受け取っていると
指摘する声もある。