>>78>時間を掛けずに、どのように解体場に陸揚げしたのか教えて欲しいものだ。
『同じサイトの別ページに延宝5年(1677年)には画期的な網取り捕鯨法が
発明され、それによるより容易になった曳航法についても書いてあるよw
http://www.cypress.ne.jp/taiji/5.html http://www.cypress.ne.jp/taiji/6.html いやぁ、コレ↑だと生きた状態で、しかも当然沈まずに浮かんだ状態だから
岸までの曳航は早かったでしょうねェ...
とてもじゃないが、「2〜3日以上」もかかったとは考えられませんw』 (
>>74)
さて、「腰抜け」クン、ID:tS9luYrS♪可哀想なキミのたった一つの拠り所、
「クジラタソは大きくて重いし、死んじゃうと沈むから岸まで運ぶまでに腐って駄目になるんだいッ!!」
が
http://www.cypress.ne.jp/taiji/5.html http://www.cypress.ne.jp/taiji/6.html で
完全に否定されちゃってますが、如何でしょうか?w
だって「生きてる状態」で「曳航出来てた」からこそ、↓の
功績が残せたんですもの、ねェ.....w
鯨の動きを鈍くしておいてから銛を
打ち込み、鯨が弱り瀕死の状態となった時、刺し水主(さしかこ)という人が
鯨の鼻にロープを付けて持双船(鯨を曳航する船)につなぎます。
網取り捕鯨の技術を確立した角右衛門頼治は、他の捕鯨業者が撤退する中で、
一人座頭鯨を捕獲することに成功し、天和3年(1683年)暮れより翌春
までにザトウクジラ91頭、セミクジラ2頭、コクジラ3頭を捕獲して一躍
「角右衛門組・太地鯨方」を世に知らしめました。この捕獲した鯨の種類を
見てもわかるように、セミクジラ・コクジラはわずか数頭、イワシクジラ・
マッコクジラの記録が無いのに対し、ザトウクジラは多数捕獲していて、網
取り捕鯨が如何に画期的であったかがわかります。ザトウクジラを捕獲の対
照としなかった突き取り捕鯨ではそれほど他のクジラが捕獲できなかったことが推測されます。