チンギスハンの墓か、米研究者が発見の遺跡

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27日本人
http://home.att.ne.jp/blue/atelier/Inoue-sanNihonshi/Vol18.htm

大化の改新は蘇我氏の政府転覆の企てであったが朝鮮系王族の反撃にあって
蘇我氏は壊滅した。
これによって天智、天武の朝鮮系の支配は強後になったのだ。

645年 乙巳の変(大化改新)がおきる。
軽皇子(後の孝徳天皇、有馬皇子の父)、
中大兄皇子が、中臣鎌足や蘇我石川麻呂などを味方に付けて、
蘇我入鹿とその父蝦夷を殺害し、政権を奪取したクーデターである。
当時、蘇我氏は、日本を朝鮮系皇族支配から脱却させ、仏教を国教とする国造りをしていた。

 これに対して、2つの大きな反動勢力があった。
一つは、朝鮮系王族、とくに百済系・高句麗王族の反発、
2つ目は、八百万の神を信奉する勢力である。
前者の代表軽皇子(後の孝徳天皇)・中大兄皇子であり、
後者の代表が中臣鎌足であった

これをみてわかるように

大海人皇子は天武であり 蓋蘇文という高句麗の将軍である。