「世界中の教科書にみる日本」を書いてみませう!

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208世界@名無史さん
続き〜>>181より( 教科書:イギリス《初版発行1968年 第9版発行1979年》)
 
19  ●真珠湾への道  極東1917〜1941 より

  ヨーロッパについては、この政策は、近視眼的であったといえるが、極東に適用さ
れた場合には、悲惨な結果を招くもととなった。日本の人口は、近代化が開始されて以
来、着実に増大してきていた。1852年には1,700万人であった人口が、1910年には4,900
万人になり、その30年後には、7,200万人にも達していたのである。

しかし,日本はアメリカのカリフォルニア州よりも小さな国で、作物を育てることのでき
ない山岳地帯が多く存在していた。そこで日本の指導者たちは、近隣のアジア地域の中で
比較的人間の住んでいない地域に,国民を移住させる必要があると感じていた。日清・日
露両戦争における征服行動の背後には、こうした衝動がひそんでいた。

この動きは、第一次世界大戦中,ヨーロッパ諸国からの競合状態がなくなったことによっ
て推進された。日本は商船トン数を2,100トンから3,100万トンにふやし、安い商品、とり
わけ繊維製品を世界中に氾濫させた。また日本は中国を脅して、21か条要求を受け入れさ
せた。それは中国を日本の衛星国にしてしまうものといってもよい内容であった。