【歴史好き=サヨ】か?

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>>1 の提出した命題の擁護(アナタのいう協調)を1に代わって引き受け、アナタの言う
>新定義とやらを提出する人はいまだおりません。
覆水盆にかえらず、かもしれませんね。
>客観的指標の提示を必要
客観、定義について私の考えは今のところ変化していないので割愛。

>1のいう「歴史好き」と、『1のいう「歴史好き」には該当
>しない人々』とを 客観的 に弁別するための指標
>が提出され次第、検証を開始するのは当然のことです。
そのような場合は、前置きの説明を詳しく入れるべきではないでしょうか。
「当然」と言うからには、貴方がそのことを知らなかった、のではなく気づかないフリをしていた、
と理解してもよろしいですか?

ところで。
単語への新定義がなされていない場合、普段の単語の意味に基づくと解釈するのでは。
これは意識的か無意識でか知りませんが貴方もやっていることです。

歴史家の群のある要素に対して、あいつは博士保有者で私立大学の助教授だが歴史家とはいえない、
と言われれば歴史家の定義すら再検証が必要になってしまいます。
しかし、貴方がしたように(私には単なる理想論に映りましたが)
誤差を含みつつも歴史家への検証は十分に可能でした。

歴史好きについても、もちろん誤差はでてきますが、可能なはず。
そして歴史家を大きく凌駕する比率を占めるにはそれで十分です。
なぜなら、「普段の意味」において歴史好きの「好き」という単語は
歴史への理解・知識の程度をあまり問いません。
排他が歴史嫌い(+興味無し)であることからも、「歴史好き」の懐の広さがよく分かるでしょう。

他の「名詞+好き」の用法、例えばゴルフ好き、野球好き、料理好き、漫画好き……etc
と比較して「普段の意味」を確かめるのも良いでしょう。
仮に、ユニフォームを着て野球をしたことが無い奴は、野球好きとは言えない、
との主張に沿うとしても、通常は野球好きの定義に言葉を継ぎ足し、
ユニフォームを着て野球をしたことが有る野球好き、と改訂するだけです。
極論では、巨人ファンは野球好きじゃねえ、なんてのもありです。
同時これらの改訂された定義を持つ集団は、
野球好きの集団とはある局面において全く違う意味を持ってしまいます。

蛇足が多く長くなってしましましたが、上記に加え、
誤差の範囲が大きい事は決して恥でも何でもないので、今すぐにでも検証なさっては?

>>集団全体と集団における特定要素は全くの別物です。
>>もしもこれさえご理解頂けないなら、
>>もう一度人を嘗め切った例え話を作らせていただきます
>お好きにどうぞ(ププ
理解はなさっていたという主張ですので、残念ですが作りません。
ただでさえ無い文才を晒すことなく終わり大変嬉しく思います。