ドイツ騎士団

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82世界@名無史さん
>>79
どうも正面から応える形になっていないね。

都市における自治権獲得の暴動は、全ヨーロッパ的にみられたこと。
何も当時のポーランドに限った話ではない。
また、ドイツ騎士団のその後のエピソードも、タンネンベルクの戦いの
当事者に正邪の基準があてはまらないことの反論になっていない。

中世後期の世界を民族抗争と捉える見方はナンセンス、その事を伝えた
かったのだが。
ある国の歴史を学ぶ場合、一国史の観点からのみ知ろうとするのはバラ
ンスを欠くと思う。

>これらにも多分に現代の政治的要素が含まれていることをお忘れなく。
 単なるリベラリズムや客観主義への模索とは言えない。
具体的な例を紹介されたし。


>>80
12-13世紀の東方殖民は「ドイツ」という国が組織的に行ったものでは
ない。そもそも「ドイツ」国が存在していないから。
加えてドイツ人が入植した土地が、そのままドイツ領邦君主の領土に
なったわけでもない。
したがって、後の世の大英帝国の植民地支配と比較するのは無理がある。
入植地のドイツ人は、土地によってスラヴ化したり逆に周辺のスラヴ人を
ゲルマン化したりしたが、これも当時の人々が経済的利益を考慮した選択
の結果であり、「野蛮なスラヴ人の教化」とか「残虐なゲルマン人による
征服」など後の民族主義者達が使った言葉で括るのはおかしい。
また、生活の手段に西欧のやり方を導入しても、東欧の文化までが西欧化
したわけでもない。