ドイツ騎士団

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78世界@名無史さん
>>75
それはポーランド民族主義史観の受け売りに過ぎるのでは?

ドイツ・ポーランド間の国境問題は、ドイツ騎士修道会(騎士団)に由来
するものだけではなく、12-13世紀のドイツ人(後のドイツ人もしくはゲ
ルマン人と言うべきか?)による東方殖民に関係するものもある。
その東方殖民は決して武力による征服というものではなく、むしろスラヴ
人の経済的利害に合致するものだった。
東方殖民により後のポーランドになる地域は、多大な利益を得ている。

また、ドイツ騎士修道会と当時のポーランド王国との対立を、即ドイツ人
対ポーランド人とみるのはあまりにも単純な見方。
例えばタンネンベルクの戦いにおける騎士修道会側の敗北の遠因には、
ポーランドとリトアニアが連合したことによりリトアニアがキリスト教化
し、騎士修道会の存在理由が損なわれたことにある。
加えてドイツ帝国(神聖ローマ帝国)などからの騎士の来援も、宗教的
情熱の冷却化により期待できなくなっていた。さらに修道会領内のドイツ
系住民とも深刻な対立を抱え(理由は時代遅れになった教会支配、こちら
も13年間にわたる反乱になった)、正に内憂外患状態だった。
こうしたことが戦いの敗北につながっている。
要するに時代の変化に押し流されたわけで、どちらが正義・悪という問題
ではない。
後世のゲルマン・スラヴ至上主義者達により、この戦いの実相は大きく歪め
られることになるわけだけど。

1960年代頃から、それまでのナショナリズムやイデオロギーのバイアスが
かかった固定的な見方に対する見直しが東西ヨーロッパの研究者達により進め
られており、それらの成果は日本にも紹介されてきているようです。
そうしたものを参照されると結構面白いのでは?