469 :
世界@名無史さん:
「南北戦争」
今から10年ほど前の出来事である。
南極のスペシャリストを自認するイギリスの探検家と北極のオーソリティと
宣伝するフランスの冒険家が論争をした。どちらの探検・冒険が困難であった
かを主張したのである。どちらも両国の名家の出身だったため、一時はそれが
もとで、毎度おなじみのライバル対決が政治から人々の生活の中で、対立が見
られた。流血の惨事は回避できたようだが、一説には英仏海峡トンネルの中間
地点あたりでフーリガンのにらみ合いが続いたともいう。
「この線から入ってくんな!」
「100万フランもろても行くか、アホ!」
「南極のほうが寒いわ。」
「何いうてんねん。北極のほうじゃ。」
「ほなお前、行ったことあるんか。」
「北極のおっちゃんが言うとったからほんまや。」
「そんなんあてになるか。」
「お前北極がどこにあるか知ってんのか?」
「・・・北のほうやろ。」
「スコットランドより寒いんやぞ。」
(この論争はまだ続いているという。)
470 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 21:22
南北戦争
今のマレーあたりの、肌の色の濃い住民の奴隷は、中国で「崑崙奴」
と呼ばれ、魔術的な不思議な能力を持つとして珍重された。
この黒人(?)奴隷を使う南朝諸王朝と、奴隷解放をうたう北朝諸王
朝との戦争をいう。
最終的に、「皇帝の皇帝による皇帝のための政治」をかかげる北朝・
隋の文帝により、南朝・陳がたおされ、南北は統一された。
同様の戦いは室町時代初期の日本にもあったという。
次のお題は「朱子学」