高校生用質問スレ

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188世界@名無史さん
共和制・民主制などを、あんまり厳密に考えない方がいいですよ。
歴史的に色々な変遷を経てきていますから。

民主制(democracy )は、おおざっぱに言うと、「多数者(の同意)による支配」。
歴史的にはアリストテレスによる支配の3分類に最初期の定義づけがあります。
 君主制(monarchy):一人者の支配
 貴族制(aristocracy)or寡頭制(oligarchy):少数者の支配
 民主制:多数者の支配

民主制の中でも、多数者の意志が議会に反映する、とされるものが、
「議会制民主主義」「代表制民主主義」であり、
日本もイギリスもアメリカも、現代の「まともな」国家は、そうした体裁をとっています。
(女王がいようが、天皇がいようが、つまり「(立憲)君主制」であることとは別次元で、
 日英両国を議会制民主主義の国として数えることは可能だし、実際にそうなされている。)

共和制(republicanism)は、非常におおざっぱには
古典古代(特にローマ=res publica)の政治を模範とする政体及び政治思想、のことです。

「徳=公共精神」による統治、という考えが根本にありますから、
君主の恣意的な支配(「暴政」=tyranny、「専制」=despotism)を、ほぼ対立概念 としますので、
通常は「共和制−君主制」を対立項として考えることがあります。
つまり、君主制でない統治は共和制だ、ということですね。これはこれで間違っていない。
(フランス共和制、と言ったりするのはこの用法ですね。)

一方、共和制が、民主制=「徳のない多数者の支配」に対立するものとして用いられることがあります。
(トックヴィルという人は「多数者の専制」という言葉で民主制を批判した。)
「民主制」「民主主義」という用語が、
プラスの価値を伴って使われるようになったのは100年かそこれですが、
民主制に反感を持つ人も、君主制や貴族制を称揚しにくい状況・場面があるわけで、
彼らは、「無教育でおろかな大衆の支配」ではなくて
「教育と政治能力のある人々による支配」を望む、という意味で、
「民主制」−「共和制」の二項対立を立てるわけです。
(アメリカの「保守派」が、「共和主義」という語をを好むのは以上の経緯による。

あと、現在の状況ではほとんど関係なくなりましたが、
君主がいても「共和制」である、と言うことは可能でした。
「徳」の支配は、混合政体(君主制・貴族制・民主制の3要素の混合)でこそ保障される、
ということが、かつては主張されていましたが、
このような、「共和制=混合政体」の文脈では、
国王・貴族院・庶民院を備えたイギリスの政体における「共和主義」、
が語られることもあったのです。