高校生用質問スレ

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157世界@名無史さん
>>154
>明・清にもしていたんでしょうか?
してません。
朝貢というのは、中華帝国の秩序に入り「倭国王」などの冊封を受けて
貢ぎ物を持っていって、お返しに下賜品を貰うというパターンです。

支那は前近代において、朝貢貿易以外の貿易形態を公式には認めなかっ
たのですが、そもそも清代は日本側が鎖国していましたから、日本から
積極的に交易に出て行くことはなかったのです。

また、明との貿易については、足利義満が「日本国王」を名乗って日明
貿易を行ったことから、明から見れば朝貢してきたという形になってい
ます。

日本側は単に交易のための便法と考えていたとされています。ただし、
研究者によっては、足利義満は天皇を廃して自分が最高権力者になろう
としていた、という説を立てる人がいて、そのような主張では、義満は
明の冊封を受けるつもりでいたともされています。

むしろ、明代では朝貢貿易ではない民間の密貿易(自由貿易?)を求め
る動きが「倭寇」として活発化したと考えてよいでしょう。