チンギスカン=義経説って本当なの?!

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92世界@名無史さん
>>84
仮に『元朝秘史』のチンギスに対する記述が、義経の前半生をモンゴルでの出来事に置き換えたものであるならば、「何故」わざわざその様に寓話的な形をとらねばならなかったんでしょう。
日本人であった過去を後の世に伝えない為、でしょうか?あるいは元朝秘史の著者が義経をモンゴル人として書きたかった、んでしょうか。
どちらの理由にせよ無理に日本での出来事とダブらせる必要まで無いと思うのですが。他に考えられる理由があればご教示ください。
あとその寓話はどのあたりで終了し、どの段階から史実となって語られるのでしょう。それ以前に何故、途中までのみが寓話だと判断できるのでしょう。

これは例え話ですが。義経がチンギスだという様な仮説を別の人物に置き換えてみましょう。
もし「実はジャムカは死なず、来日し鎌倉幕府の執権となった。それが北条義時である。」って説があったならどう思います?(地味な例え話だなぁ、とかそんな意味じゃなくて・・)
モンゴルの草原貴族が征服者としてでなく亡命者として来日し、そして日本の武士達を従えて鎌倉幕府の権力者となった。って。・・なんで?どうやって?て思いません?
そしてジャムカの前半生を日本での出来事に置き換えた史書がこの日本にあったらどうですか?ダヤン=ハーンは時政の事でチンギスは頼朝の事なんだ、とか。
そしてその寓話が途中から史実となったなら?寓話と史実の接続がうまくいかないからという理由で話が途中が飛んでたりしたら?
果たしてその史料のその読み方に信憑性があると感じる人はどれくらいいるでしょう。・・あくまで例え話ですけどね。

どちらにせよこういう形で話を進める(実はもう終わってるスレなんだろうけど・・)なら、それはそれで、まずどうやって・どんな過程を経て義経がチンギスとなったのかを述べて頂きたく思うのです。
さらに「史料の前半が信憑性に欠けているが、後半はどうやらチンギス本人の事らしい」という読み方と「史料の前半がチンギスのものという信憑性に欠けている、だからこれは義経の事であり、よってその後の話も義経の事を語っている」っていうのは全然違う視点なので混同せぬ様お気を付けください。
あと、確かに『元朝秘史』は当時を記録したモンゴル史の中でも読み物的性格の強い傾向がありますんで、できれば『集史』等からも義経=チンギス論を裏付けそうな説を引っ張ってきて頂けると面白いと思います。

最後に(これは書くまでも無いかもしれませんが)、私個人としてはやはり同一人物説は支持しかねます。可能性はゼロとまで言いませんが、かなりそれに近いと考えています。