チンギスカン=義経説って本当なの?!

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51ぴーちゃん
チンギスの歴史を描いた『元朝秘史』の前半部は、
義経の日本での歴史を、舞台をモンゴルに移して描いたものだという説もあるね。
つまり、「元朝秘史」に描かれたチンギスハンの前半生は、実は義経の日本での歴史を描いたものだと。
それによると、チンギスの最大の敵はメルキド族というんだけど、
チンギスはこのメルキドを、まず黒い谷において攻撃し、
その後さらに、エルディシ水というところで、このメルキドの大半のものを水死させて殲滅したのであり、
それはちょうど、義経が平氏を一の谷で破り、
その後、壇ノ浦でほとんどの者を水死させて殲滅したのと全く一致するとか。
しかも、年代的にもほぼ一致するそうな。
(ちなみに、五行思想では一は北の数で、その北の色は黒であるから、一の谷=黒い谷)、

おまけに、チンギスのもう一方の敵はタイチウドというのだけど、
これは平清盛の弟の平忠度という名を基に作った名だって。
他にもいろいろチンギスの前半生と義経の生涯は一致する点が多いらしい。
そもそも、『元朝秘史』などに描かれたチンギスの生涯は、虚実入り混じっていて、今もって正確なところはわからず、
事実だといえるようなものはだいたい1203年あたりからだということだ(by杉山正明)。
だから、このスレの上の方でいわれている親の名前がわかっているとか、
義経とは年代が合わないというような否定根拠は、全然間違っているそうな。

ま、チンギスは義経だって断定的な調子で見るのはどうかと思うけれど、
両者の一致を見比べてみるのはなかなかおもしろい。
敵を谷に追い詰め、その後、海で殲滅させるという全く同じ経過をたどった戦いが、
日本とモンゴルでほぼ時を同じくして起こっていたというのは、
義経=チンギス説に結びつけなくても、オレ的にはすごく興味を惹かれる。