■††††††† ローマ教皇 †††††††■

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1ヨハネパウロU世

ローマ教皇てどうよ?
2世界@名無史さん:01/09/09 06:14
何代続いてんだっけ?
3世界@名無史さん:01/09/09 07:51
初代って、ペテロじゃなかった?キリストの弟子の。
ヴァティカンに旅行逝った時、ガイドさんがその様な事
言っていた記憶が・・・・・
違うかも知れんが。
4世界@名無史さん:01/09/09 07:54
>>3
カトリック教会ではそうなってます。
ちなみに初期の教皇はみな殉教してますね。
5世界@名無史さん:01/09/09 08:03
>>2
確か、日本の天皇家の155代よりも多かったような気が・・・・
なんかの本で読んだんだけど。
6教皇名無し13世:01/09/09 08:27
聖ペテロからヨハネパウロII世まで264代です。
もってこのスレの終了を宣言します。

ついでこのスレの第二部の開始を宣言します。
私の好きな教皇はヨハネXXIII とヨハネXXIIです。
マターリと語り合いましょう。
また、聖職売買の方法や枢機卿を買収して教皇の座を
GET する方法についても語り合いましょう。
7アマノウヅメ:01/09/09 08:54
>>6
わたしの持ってる『教会史』ロルツ著、ドン・ボスコ社刊では
1954年現在で、ピウス12世が261代なんですが。
あとは、ヨハネ23世、パウロ6世、ヨハネ・パウロ1世、現在の
ヨハネ・パウロ2世と続くので、現教皇は165代では?

>>5
今上天皇は125代です。
8ppp:01/09/09 09:03
7年前ローマ行った時、今の教皇見た。
毎週日曜日見れると言う事なんだけど、その時は歴史なんて
興味なかったので、あまり真剣に見なかった・・・・
しかし・・・ 広場は人人人で、いっぱいだったなぁ・・
9世界@名無史さん:01/09/09 09:27
うう 俺もバチカンいきてー。
106:01/09/09 13:17
>>7
竹下節子『ローマ法王』ちくま新書147
の付録には、ペテロを1代として、ヨハネパウロが264代と書いてあります。
現代や伝説の時代については、アマノウヅメ様がお持ちの本と異同はないと
思いますが、中世は抵抗勢力が互いに破門しあったり、
同時に教皇が二人いたり、無効とされた教皇がいたりした模様で、
それで264/265の違いがあるのではないでしょうか。
ちなみに、竹下本にあるメジャーな教皇の代数を上げておきます。
ペラギウス I は 60 代目
レオ III は 96 代目
ウルバヌス II は159 代目
インノケンティウス III は 176 代目
カオールのジャックことヨハネXXII は197代目
アレキサンデル VI は 214 代目
多分ここまで挙げれば、どこでずれているかが大体分かると思います。
再度コメントを頂ければ、ずれていそうなところをもう少し細かく列挙します。
11世界@名無史さん:01/09/09 13:42
パーパ、ジョヴァンニ・パオロ・セコンド!
12ドロテア:01/09/09 15:20
アレッサンドロ6世!!
13カルチョ:01/09/09 15:53
アレッサンドロ・デル・ピエロ
14世界@名無史さん:01/09/09 15:55
教皇の名前なんて、初代と現教皇くらいしか知らないな・・・
15世界@名無史さん:01/09/09 16:37

教皇ってどういう風に決められるわけ?
今の教皇の若い頃の写真で銃持ってるって写ってるのがあったんだけど
出自とかはどうなの?
16世界@名無史さん:01/09/09 16:49
アビニヨンの教皇や月世界の教皇なんぞは
代数にカウントすんの?

それとも日本の北朝みたいに別枠?
17世界@名無史さん:01/09/09 16:55
枢機卿が決めるんじゃなかったっけ?
何所の国でも基本的にはOKだったような...。
18世界@名無史さん:01/09/09 16:55
現教皇はポーランド出身  イタリア人以外では初
19世界@名無史さん:01/09/09 17:02
教皇と法王てどう違うの?
20世界@名無史さん:01/09/09 17:04
今の教皇って、無神論者(共産主義のことね)が支配する、ポーランドを
解放するために、わざわざポーランド人を選出したってきいたことがあり
ます。
そういう意味では、キリスト教徒の自由は回復されてるんで、大成功なの
かな?
216:01/09/09 17:45
>>17
枢機卿が決めます。
今いる枢機卿は殆ど現教皇が任命しているので、
次の教皇も似た傾向の人が選ばれるでしょう。マンセー。
>>18
イタリア人以外としては初ではありません。
245代教皇ベネディクトゥスXIII(1724-30)
218代教皇ハドリアヌスXI(1522-23)等、外人教皇は複数います。
>>19
教皇と法王は同じです。ただ、法王と書くと日本の法皇と紛らわしいため、
カトリック中央協議会では「教皇」と表記することにしています。
22世界@名無史さん:01/09/09 18:03
教皇のこと、教徒はパーパと呼んでいるみたいだけど、
パパ・ママのパパの語源? ヒョットシテ?
23世界@名無史さん:01/09/09 18:05
>>15
ヨハネ・パウロ2世は456年振りにイタリア人以外から選出された教皇。
ポーランド南部のヴァドヴィツェ出身で本名はカロル・ヴォイティワ。
24世界@名無史さん:01/09/09 18:14
ギリシャ正教のTOPも教皇ていうの?
誰かオセーテ
25名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/09 19:43
いないけど、あえて言えば、コンスタンチノポリス世界総主教(イスタンブル)
26世界@名無史さん:01/09/09 21:57
皇族をひとりカトリックに改宗させて枢機卿に選ばせて
次期法王にしよう!
27世界@名無史さん:01/09/09 22:13
女教皇ってアリなんですか?絵とかだけでなら結構昔から(それこそ宗教戦争やってるような時代でも)あるんですが…。
28アマノウヅメ:01/09/09 23:24
>6さん
私の本はカトリック教会の公式書籍みたいなものなので、対立教皇とか細々と
かいてあります。
歴史的には、現教皇が264代でも265代でも、あまり大勢に影響はないようです。
第146代、148代、151代教皇のベネディクトゥス9世について、「この教皇の
3度目の退去が無効であるとすれば、退去後の在職者は対立教皇となる」とあるので
その辺で誤差が生じたんじゃないでしょうか?
ベネディクトゥス9世は11世紀の人です。まあ、怪しげな時代といえますね。

>>27
女教皇ジョーンというのは中世の伝説にあって、イングランド出身の神学者とのことです。
実際は、公式には女性は教皇どころか、枢機卿にも司教にもなれません。
マザー・テレサのような偉大な女性の修道者は昔からいましたが。
男性でもアッシジの聖フランシスコのような人は教会の高位聖職者にはなりません。
目指すところの違いもあるでしょうが。
29世界@名無史さん:01/09/10 02:43
>>7
今上陛下は126代であらせられるぞ馬鹿者!
30アマノウヅメ:01/09/10 10:35
>>29
7ですが。
どういう数え方したんですか?
神功皇后をカウントしたとか、天智天皇の皇后の倭姫と大友皇子(弘文天皇)を
両方カウントしたとかですかね。
明治天皇が122代というのが明治政府の公式見解なんですが。
31世界@名無史さん :01/09/10 11:31
>>26
枢機卿は童貞じゃないとなれないんじゃないかな
だとすると、表立って可能なのは桂宮だけになるが・・・
32世界@名無史さん:01/09/10 12:22
>>31
童貞か童貞じゃない、かと言うのは自己申告制?
33アマノウヅメ:01/09/10 12:29
調べようがない・・・
しかし、そんな規則ありましたっけ。
初代のペテロを始め元妻帯者の教皇は結構いますし。
34世界@名無史さん:01/09/10 12:30
>>23
ルブリンのカトリック教会で長く神学教授を務めていた人で、
彼の学生だった人はよっぽど嬉しいだろうな。
3534:01/09/10 12:31
まちがえた

カトリック教会じゃなくカトリック大学。
36司祭:01/09/10 14:14
私たちは一般に「基督と結婚している」ことになっていますので、
女性と結婚はしておりません。ただ、あのー。まあ。
人間誰でも過ちを犯さないことはないしー。ええ。ときどきは、その。。。
告解をすれば何とか。
37世界@名無史さん:01/09/10 14:21
>>36
わかりました。多少の過ちは許してあげましょう。
38世界@名無史さん:01/09/10 15:00
何につけても現法王の教会浄化・権威回復に対する貢献は大きい。
多少頑固ともいえるが、しかしその存在が道徳的基準として
成り立つ以上、頑固なのは正しい。イタリア人にはできない芸当だ。
39梵阿弥:01/09/10 15:24
教皇無謬説はいつ頃止めたんでしたっけ。
40アルシンド:01/09/10 16:06
枢機卿が俗界で宰相とかになったりするのは何故?
リシュリューとかマザランとか。
41世界@名無史さん:01/09/10 16:09
>40 ていうかマザランは俗物でしょ。
42司祭:01/09/10 16:13
>>37
あのー。基督は「姦淫の女」を赦されました。
では、ソドムとゴモラの罪は、赦されるのでしょうか。
何分にも修道院生活を続けていると、天国に近くもなりますが、
同時に罪にも近くなるわけで、その。。。
43世界@名無史さん:01/09/10 16:37
?
44世界@名無史さん:01/09/10 16:56
>>40
昔は政教分離という考えが無かったからでは?
45アマノウヅメ:01/09/10 17:22
>>41
マザランはドケチの俗物で、おまけにアンヌ・ドートリッシュと結婚
してたらしいけど、一応枢機卿ですよ。
4637:01/09/10 23:50
>>42
ソドムとゴモラの罪は、赦されます。
47アリウス:01/09/11 00:37
キリスト教ではいまも三位一体説(主と子と聖霊)
以外は異端とされているのでしょうか。
私は個人的にはキリストの神性には否定的な見解を
持っているので、イスラムにおけるムハンマドの
扱いのほうに共感をおぼえます。偶像崇拝否定も
徹底してるしね。確かニュートンもトリニティを
認めない異端的な考えを持っていたとききました。
まあネストリウス派とかあるんでキリスト教世界が
完全に一致しているとは思いませんが、主流派としては
どういう見解をもっているんですかね。
4841:01/09/11 01:07
>>45 念のため、上ではマザランは聖職者ではないということを書いたのです。だからむしろ、なぜ聖職者でないのに枢機卿になれたのか、またあえてなろうとしたのか、という方が疑問です。
49世界@名無史さん:01/09/11 01:12
>>47
アリウスもネストリオスも別にキリストの神性を否定したわけではないことを、留意してください。
その神性のあり方の解釈が主流派となったものたちのと違うだけです。
50世界@名無史さん:01/09/11 01:20
ねえねえ、いつから

ローマ教皇>>>>>>>>ローマ皇帝

  になったの?
51世界@名無史さん:01/09/11 01:39
初めからローマ教皇は全世界の支配権を、吾らが主イエズス・キリストから授けられています。
アーメソ。
52アリウス:01/09/11 01:47
>>49
山川出版社 世界宗教史叢書 キリスト教史1
P194
アリウス曰く
>神の本性はいかなる分割もありえないものであるから、
>キリストは神から放射されたもの、
>したがって神に従属するものでなければならない。
>キリストの本性は、神聖ではあっても、神性ではありえない。
>その本性は神の本性とは異質なものである。
と主張したとなっていますが?
この本ぐらいしかまともな本持っていないので
いまいち自信が無いのですが。
どちらかというと神とキリストは絶対に同格ではないよ、
と読み取ることができないでしょうか?
53世界@名無史さん:01/09/11 09:08
>>51
ここは宗教板ではなく世界史板だから、もっと歴史的経緯について
議論がなされることをキボーン!
イェズスだって、「神のものは神に返せ」というまえに
「カイザルのものはカイザルに返せ」といっているわけで、
神の領域とカイザルの領域をめぐって中世以来大闘争が繰り広げられた
経緯があるのだから。
54世界@名無史さん:01/09/11 09:12
アーメソ。
55梵阿弥:01/09/11 10:35
>>47
抗議宗(プロテスタント)のユニテリアンはトリニティ(三位一体)を否定するゆえの名
だったと思いますが。
56耶蘇吉ジョーカー:01/09/11 11:07
(古代の)アリウス派や(近代の)ユニテリアンは
三位一体を否定(つまりイエスの神性を否定)して
いるが、ネストリウス派(イラクやシリアにアッシリア教会
として残存している)が否定しているのは
マリア崇拝。因みに、ユニテリアンはソッツィー二が
始まりで(その前にもカルヴァンに火刑に処された
セルべトゥス?らもいるが)、それがトーランド、ニュートン、
シャフツベリー伯らによってより合理主義化された。
57世界@名無史さん:01/09/11 11:11
 ところで、教会ってどうやって生活の糧を稼いでいるのだろう?
 昔は十分の一税があったけど、今はないし。
 やはり葬式とか、寄付とか?
58耶蘇吉ジョーカー:01/09/11 11:13
しかし、ユニテリアンは、
ユニバーサリストとの合同、更には他宗教との融和が進められ、
理神論を通り越して、ついには電波化してしまった。
今では完全に非キリスト教。
59キリスト教徒:01/09/11 11:47
>>57
信者の寄付で運営しているところが多いです
他にはミッションスクールの経営、病院経営
小さいところだと非信者対象の結婚式運営など
60世界@名無史さん:01/09/11 11:51
>>53
激しく同意。
もっと歴史的経緯について議論しましょうよ。
61世界@名無史さん:01/09/11 12:27
>>57 プロテスタント系教会のうちルター派やカルビン派の系統は
日本なんかで大々的に結婚式ビジネスをやって儲けているところが多い。
62梵阿弥:01/09/11 12:44
>>60
趣味に走ってしまってすいません。ただ、教皇の無謬性が権威の源(建前では)
なので、神学めいたところにどうしても引っかかってしまうと思いますが。
63世界@名無史さん:01/09/11 18:17
>50
別に、そう決まってはいない。
純粋な実力なら
一時期(11〜13世紀ぐらい)はローマ教皇の権力は強かったろうが。

格式のことを言っているなら、カール戴冠が
教皇>皇帝のスタート地点。あくまで格式の話。
6450:01/09/11 19:13
>>63
ローマ帝国末期って、教皇と皇帝どちらが上だったの? 格式としては?
65世界@名無史さん:01/09/11 20:31
>>64
神聖ローマ帝国末期になると、皇帝の戴冠が教皇によって行われているわけでは
ないし、聖界と俗界の分化も進行しているだろうから、どっちが上という議論自体が
意味がなくなっているのではないだろうか。
66名無しさん@衒学者いっぱい:01/09/11 20:38
>65 64さんの言ってるのは古代ローマ帝国のことなのでは…
6751:01/09/11 20:51
おそらく、イタリアがローマ皇帝の手から離れた時からだろう。
イタリアで自分の身は自分で守らなくてはならなくなったとき、ローマ教皇にとって、コンスタンティノープルの皇帝などは格下視するようになったんじゃないかな。
6865:01/09/11 21:04
>>66
むむ、そういうことだったのか。>>63さんの話の流れが
引き継がれているのかと思ったから…
古代ローマ帝国ではキリスト教が認められたのがたしか313年
だし、そのころのローマ教皇なんて、アレクサンドリアや
コンスタンティノープルの司教と同格の存在だったはずだから、
皇帝より上とは考えられないのでは。(東ローマでは皇帝が上だよね)
69名無しさん:01/09/11 21:23
>>64
 そりゃ、皇帝。
ローマ帝国末期って3〜4世紀でしょ。
そもそも、ローマの首位権すら怪しかった時代だもの。
イェルサレムとアレクサンドレイアとローマ、それに新ローマのどれが
偉いのか教会内で争っていた。
皇帝は世俗的に文句ナシの一位だし、公会議の司会すらしており、気に
食わない見解には容赦ナシに(人事を介して)介入していた。
70名無しさん:01/09/11 21:26
確か、第一回のニケア公会議で、ローマとアレクサンドリアはともに最高
の尊敬を受けるに値することが承認された。
第二回公会議でイェルサレムもこれと並ぶことが承認された。
更に、第三か四でコンスタンティノポリスがそれに次ぐことが決議され、
そのうちいつのまにか、コンスタンティノポリスはローマに次ぐ地位にの
ぼっていた。

いまだに、アレクサンドレイアはローマとともに「パーパ」(教皇)の
称号をもっているしね。
71名無しさん:01/09/11 21:30
>>68
>(東ローマでは皇帝が上だよね)
これが難しい。
教会法上は、理念的には総主教が上。
というより、聖界においては全主教会議が共同で最高位をしめ、その中で
総主教は名誉上先んじる、という事になっている。

これに対して、皇帝は高々俗界の長に過ぎない。

だから、理念上は総主教は皇帝に先んじるのだろう。

但し、俗界の行事である宮廷儀礼においては皇帝が総主教に先んじるし、
総主教の任免権も事実上は皇帝に握られていた。
だから、天皇と将軍どっちが上?的なトピ。

暫定的結論としては、理念上は総主教、権力上は皇帝、じゃないのかな?
72世界@名無史さん:01/09/12 01:24
>>57
異端弾圧で、彼らの財産を奪っているのです。
7350:01/09/12 03:23
皆さん、レスありがとうございました。
理解できました。
7453:01/09/12 06:59
 なるほど、日本のお寺と同じような感じかな。
 教えてくれて、ありがとう♪>59,61,72(?)
75梵阿弥:01/09/12 10:34
>>70
たしか、アンティオキアを加えて5大司教座といってた時期もありましたね。アレクサンドリア
の教皇というのは正統宗なのですか。それともコプト?。
76世界@名無史さん:01/09/12 21:10

正教会。
あと、アレクサンドレイアは教皇と訳してはいけない。
教皇はポンティフィクス マクシムス(ラテン語)の訳。
77世界@名無史さん:01/09/12 21:20
五大司教のうちローマを除く
コンスタンチノープル、アンティオキア、アレクサンドリア、イェルサレムは
それぞれみな正教会。
アレクサンドリアのPatriarchは
正教会だから「総主教」と訳すべきだね。
78世界@名無史さん:01/09/13 16:24
アーメソ
79世界@名無史さん:01/09/13 18:45
「教皇と皇帝との力関係」に話を戻すと、皇帝側も、その権力を
神に由来するものとして主張していたわけで、理念上は教皇が上と
いうのも、アプリオリには言えないのではないだろうか。
80世界@名無史さん:01/09/13 20:29
ビザンツでは、皇帝が「イソクリストス(キリストに等しき者)」「クリストリノメートス(キリストに似た者)」などと呼ばれることがあった。
81世界@名無史さん:01/09/15 18:32
「ローマ教皇」という言い方が成立するのは
ローマカトリックが確立してからの話になるので、
古代ローマとビザンツは取り合えず考えに入れないのはいかがか。
82梵阿弥:01/09/18 12:20
オドアケルはなぜ教皇を廃さなかったのでしょう。ひょっとして既にキリスト教徒だったとか。
83アマノウヅメ:01/09/18 12:30
罰があたるのが怖かったんじゃないですか?
クローヴィスだってご利益が有ったというんでカトリックに改宗したし。
宗教的にいい加減な分、人の信仰しているものに対する畏れがあったとか。
84何で・・:01/09/18 12:49
ビザンチンと西ローマ帝国に別れたんですか??原因は??
85世界@名無史さん:01/09/18 12:53
>>82
彼がやりたかったのは略奪だけ。
ローマ政府は潰しても精神的権威の教皇はどうでもよかった。
86世界@名無史さん:01/09/18 23:34
>>84
イタリア・ガリア地方が偉大なるフン族に破壊されたから。
分かれたと言うより、ローマ世界西部は崩壊した。
87世界@名無史さん:01/09/19 13:05
いわゆる叙任権闘争の話が全然出ないのはなぜだろうか。
88世界@名無史さん:01/09/19 16:56
ヨハネパウロU世 が著者になってる文庫本があるんだけど、
訳したのが曽野綾子、三浦朱門のバカ夫婦。
何か内容が変わってないかと心配で読む気になれない。
あちこち首突っ込むなって言いたくなる。
89世界@名無史さん:01/09/19 18:02
>82
別にローマ帝国を滅ぼそうと思って攻め込んだわけではなく、
攻め込まれた結果、帝国が勝手に滅んだのです。

>87
古代ローマのほうが関心高いらしい。
実際、欧州中世って、日本では割とマイナー。

叙任権闘争を突っ込むなら、アナール派を読むのも面白いよ。
そも「聖職者の成り立ち」からスタートするんで。
聖職者が職として整理されるのは、中世中期以降に儀式が整備されてからなので、
「叙任権の確立した時代=十字軍で教会最盛期」だったりする。

それ以前は、そもそも「聖職に就いて、では何をするのか」すら、ろくに決まってないから。
修道院運動は、それを決めるためにあったわけで。
90世界@名無史さん:01/09/19 19:43
アーメソ
91世界@名無史さん:01/09/19 19:53
>>88
曽野綾子は敬虔なクリスチャンらしい。近作では「ヘロデ王」を
扱った作品を書いているらしい(正直言ってあまり読む気せん)。
ほんとうはイエスより昭和天皇のほうが好きなくせにね。
92世界@名無史さん:01/09/19 21:17
中世は暗黒時代だからさ。
93世界@名無史さん:01/09/19 21:23
ナチスシンパのロ−マ教皇がいたって本当?
94世界@名無史さん:01/09/19 21:54
 
95世界@名無史さん:01/09/19 22:05
ナチスが共産主義の防波堤となると考えたからさ。
96名無しさん:01/09/19 23:19
>>93
ピウス XI 世 (1922-39)は
1938年に、「キリストにより、キリストにおいて
我々はアブラハムの霊的子孫である。
キリスト教徒が反ユダヤ主義に加担するのは不可能だ。
我々は霊的にユダヤ人なのだ。」と述べています。
どちらかというと反ナチスだったのでは?
>>95 さんがおっしゃっているのは、
ナチズムというよりはむしろイタリアのファシストのことではないでしょうか。

その一方でピウス XII 世 (1939-58) は
ナチスの反ユダヤ政策を知りながら沈黙します。
9795:01/09/20 01:29
いやいや、ソ連の無神論的共産主義の勢いにピオさんは、その対抗勢力としてナチスを黙認したのよ。
なんだっけ、政教条約だっけ。
ドイツのカトリックの保護と引き換えに、ナチスのやることを黙認した?かなんか。
その事で国際的に叩かれたが。教皇。
98世界@名無史さん:01/09/20 01:35
ローマ教皇と法王の違い誰か押してください
99世界@名無史さん:01/09/20 01:38

違い誰か押してください??
10098:01/09/20 01:40
すみません間違えました。違いを教えてください
101世界@名無史さん:01/09/20 01:45
同じです。
カトリック教会では教皇を正式名称としています。
法王は世俗人の俗称でしょう。
法王は、もともと退位した天皇が出家したときに名乗る名称でした。
10298:01/09/20 01:48
>>101
ありがとう
103世界@名無史さん:01/09/20 01:50
日本カトリック教会用語・歴史用語は教皇で
「ローマ法王」は報道なんかで使う俗称、ってとこかな?
104世界@名無史さん:01/09/20 01:53
>>101
>法王は、もともと退位した天皇が出家したときに名乗る名称でした。
それは「法皇」。
105世界@名無史さん:01/09/20 02:03
弓削道鏡の称号だろ?>法王
106梵阿弥:01/09/20 11:26
>>89
皇帝を名乗るのなら教皇の使い道も会ったと思うわけですがオドアケルには全く
その気がなかったらしいので、廃しても良かったのではないかと。まあわざわざ
廃することもないと言えばないのですが。また教会網や官僚群を帝國とするなら
滅んだと言う言葉を用いるには注釈も必要かと。
10796:01/09/20 14:08
95=97 様
ぼくが勘違いをしているかも知れないので、
もう少し詳しく教えてください。
>>97 で言及されているピオさんというのは、
ピウス XI ですか、 XII ですか?
10895:01/09/20 23:17
>>107
わしも記憶が曖昧だった。ピオ11世と12世をごっちゃにしてた。
ムッソリーニとラテラノ条約を結んだのがピオ11世だったね。
主の言ってることのほうが正確だ。
109世界@名無史さん:01/09/20 23:50
次のヨハネ23世が第2バチカン公会議を開催するなど刷新的なイメージが強いせいで、
ピオ12世はものすごく損してるイメージがあるけど、実際はそんなに反動的ではなくて、
在位中は今までで最も革新的な教皇って言われてたみたい。
第2次大戦の時に限らず第1次大戦の時もそうだったけど、「カトリックは世界中に
何億人も信者がいるわけだし、教皇が積極的に動けば平和は保たれたはずだ」とかって、
後から必ず言われる。
でも、ローマ教皇の権威って、他の宗教の人達が思ってるほど、大した事ない。
ローマ教皇が何かを発言すると、それで全世界の信徒たちが一斉に何かを始めるとか
って思って、「バチカンの陰謀」みたいに怯えてる人もいるけど、絶対にそんなこと
ない。カトリックって結構アバウトな宗教だし。
現にイタリアの目と鼻の先のユーゴで紛争とかあって、教皇が色々発言してもそれで
紛争が収まったわけでないし。あのくらいの局地的な紛争に対しても影響力ないのに、
まして世界大戦なんてどうすることもできない。
「バチカンは全世界に情報網を張り巡らしてる」とかって言う人もいるけど、それも
違う。教会に行かなくなった俺の消息すらつかめないじゃないの......なんてね。
11096:01/09/21 00:00
>>109
> 現にイタリアの目と鼻の先のユーゴで紛争とかあって、教皇が色々発言してもそれで
> 紛争が収まったわけでないし。あのくらいの局地的な紛争に対しても影響力ないのに、
> まして世界大戦なんてどうすることもできない。

ぼくの考えでは、教皇の発言の影響力は絶大だと思うのです。
ただ、影響力が強いからいい加減なことをいうと
一部の信徒(または非信徒)に著しい不利益不公平が生じるので、
具体的なことは何ら言えません。
今回のテロの時もバチカンは声明を出しましたが、
http://www.vatican.va/
「ウサーマビンラディン逝って良し」とは一言も言えませんでした。
だから、結局は何ら具体的なアクションを起こせないのです。

前提は 109 さんと正反対ですが結論は一緒になってしまいました。
111名無しさん@1周年:01/09/21 02:09
大学で西洋史の教官が
東大系の学者が「法王」京大系の学者が「教皇」を使う
って言ってたけれど
112世界@名無史さん:01/09/21 02:21
>>109
>カトリックって結構アバウトな宗教だし。
自らと異なる考え方をするものを全て異端扱いして皆殺しにした宗教のどこがアバウトなのでしょうか?
113世界@名無史さん:01/09/21 02:55
カトリックには通ずるけれど、
回教徒やギリシャ教会派には関係ないだろ。
だからもユーゴ紛争では無力だった。
114世界@名無史さん:01/09/21 02:55
>>112
その影響力の絶大さと過去に犯した失敗の数々を鑑みて、
迂闊な発言ができなくなったと・・・、自縄自縛ですな。
115世界@名無史さん:01/09/21 02:57
>>111

昔(ナポレオンより前)はヨーロッパ各地の王様の叙任権があったから、
「法皇」だったろう。
今は、イタリアの保護国のバチカンの首長に過ぎんから「法王」だな。
116アマノウヅメ:01/09/21 08:08
>>115
カトリックでは「法皇」とは言わないんですが。

>>112
アバウトな宗教であるというのは、109さんの仰るとおりでこれは教会に通って見なければわかりませんね。
異端はすべて皆殺しというのは一時期のことです。
反宗教改革時代の異端審問なら、魔女狩りよりは異端審問のほうが死者が少なかった。
117名無しさん@日基教団:01/09/21 13:42
>116
現在ではプロテスタントの方が凶悪ですよ
アメリカが右傾化しているのもプロテスタントのせいだし
こういう連中が日本にもいるかと思うとぞっとします
118世界@名無史さん:01/09/21 13:51
>>111
山川世界各国史ドイツ編をさっき図書館で借りてきたけど、
「教皇」で統一されてたよ。
東大の木村靖二教授が編者。
昔は「法王」だったってことかな。
119名無しさん:01/09/21 17:51
早くこのネタを
===================終了==========================
させたい一心で、カトリック中央協議会のHPを見てみましたが、
「教皇」という用語を統一して使ってはいたものの、
用語についての説明は見つかりませんでした。
あいごー。
120世界@名無史さん:01/09/21 20:15
ここで「マラキの予言」の話をしたら、やっぱまずいかな?
121世界@名無史さん:01/09/21 20:21
やっぱ、女教皇「ヨハンナ」の話はまずいか?
122世界@名無史さん:01/09/21 20:25
教皇のことを「POPE」と英語で言いますが、この語源はなんでしょうね?
123世界@名無史さん:01/09/21 20:37
>>122
パパ、すなわちお父さんという意味です。
124世界@名無史さん:01/09/21 20:45
なるほど。ということは、パパの方が先なわけですか。
僕は逆に、ポープからラテン語圏の「父」になったのだと思ってました。
125世界@名無史さん:01/10/02 19:17
中公新書で教皇ネタの本が出たage
歴代の教皇の死因を検証してるらしく、かなり面白そう。
まだ読んでないが(w
126陰謀史観:01/10/02 19:22
ハアハア。ヨハネパウロ1世は、やはりバンコ・アンブロジアーニがらみの
毒殺ですか?
ハアハア
127世界@名無史さん:01/10/03 01:29
ヨハネス20世について教えてください!
128世界@名無史さん:01/10/09 18:17
>>76
教皇はポンティフィクス マクシムス(ラテン語)の訳、
とのことですが、このPontifex Maximusって、もともとは
ローマ共和国の「最高神祇官」という役職ですよね?
元首制、帝制期でもそうだったのだろうと思うのですが、
いつから「最高神祇官」から「教皇」を指すように
変化したのでしょうか?
国教化されてから?
129アマノウヅメ:01/10/09 18:44
>>127
ヨハネス20世って何やったんだろうと思いながら、カトリック年表見たら
19世(1024〜1032)21世(1276〜1277)はいるけど、20世はいないんですね。
対立教皇の名簿にもないし。
何があったんだろう。

誰か教えてください。
130世界@名無史さん:01/10/09 21:53
ヨハネス20世は、女性とされるヨハンナだったため抹消。なのか?
131世界@名無史さん:01/10/09 23:02
>>128
教会法が整備されてからです。
132世界@名無史さん:01/10/09 23:31
ヨハネス20世は存在しないらしいよ。
なんでも、21世が数え間違えたとか。
ホントか?
133世界@名無史さん:01/10/14 07:54
134世界@名無史さん:01/10/14 07:55
ピウス XI 世 (1922-39)は
1938年に、「キリストにより、キリストにおいて
我々はアブラハムの霊的子孫である。
キリスト教徒が反ユダヤ主義に加担するのは不可能だ。
我々は霊的にユダヤ人なのだ。」と述べています。
どちらかというと反ナチスだったのでは?
>>95 さんがおっしゃっているのは、
ナチズムというよりはむしろイタリアのファシストのことではないでしょうか。

その一方でピウス XII 世 (1939-58) は
ナチスの反ユダヤ政策を知りながら沈黙します。
135アマノウヅメ:01/10/14 14:07
>>132
ヨハネス23世なら二人います。
1410年から1415年まで対立教皇だった(正統はグレゴリウス12世)ヨハネス23世と
現教皇から3代前のヨハネス23世です。
昔は対立教皇の名はとばして命名していたようですが、現代では無視することになっているので
ダブったようです。
19世から21世まで、約250年51代も間が離れてるから数え違いが本当かも。

>>130
女教皇ヨハンナだったら面白いけど、もっと前の時代の伝説のはずです。
136結局さ・・:01/10/14 17:50
東ローマ帝国って誰からどんな経緯で始まったの?
137世界@名無史さん:01/10/16 09:48
アウグスティヌスの戴冠から。
138128:01/10/16 15:16
>>131
厨房な質問ですみませんが、「教会法」って
何ですか?誰がいつ定めた、どのような内容の
法なのでしょうか?
別スレで、ハンガリー公が王に陞爵したことに関して、
「教会法上めでたく王国として…」とあったので
興味を持ちました。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/998207834/
の107です。
139世界@名無史さん:01/10/16 22:41
ピオ12世、ずいぶん損な役回りだな。
第2次世界大戦が終わった後、ローマのユダヤ人共同体の代表だったイスラエル・
ゾッリという人が、ピオ12世が大戦中に自分たちにしてくれたことに対して
感謝の意を表してたんだけど、もう誰も知らない昔話になっちゃいましたね。
ヨハネ23世の光の部分を語る際の、影としての役割を担わされる人になっちゃったね。
140世界@名無史さん
>>138
バチカンの公式ホームページにラテン語の正文が載せてあるよ。
後で調べてURL載せる。