神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世

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1世界@名無史さん
13世紀前半の人物だけど、教皇権と激しい闘争を
繰り広げ、ブルクハルトが「最初の近代人」と呼んだ
人物。当時の文明の十字路、ノルマンシチリア王国を
拠点とし、イスラム教徒との外交交渉でエルサレムを
奪還(無血十字軍)した国際人。
その没後も、「いつか蘇って全キリスト教徒を統一し、
イスラム教徒と和解し、黄金時代をもたらす」と信じ
られた神話的人物。
彼に関する史実、逸話、伝説等について語ろう。
2マクシミリアン:2001/08/24(金) 20:15
うん、ホントに彼は中世ヨーロッパの星。色んなことをやってますが、やっぱ当時としては珍しくイスラムを認めてたんだよね。
マムルーク朝のバイバルスと仲がよかったような!?
日本じゃ知名度がないのが残念。
3世界@名無史さん:2001/08/24(金) 20:29
フリードリヒU世は、神聖ローマ・プロイセンとも
全くキャラクターは違うものの共に好きだ
4世界@名無史さん:2001/08/24(金) 20:32
わあ、レスがついた。うれしい!
この人については、山川出版社の3冊本「ドイツ史」のシュタウフェン
時代のところに詳しい記述があるけど、ほかにあまりまとまった本を
みたことがないのが残念。その中で印象に残っているのは、息子の
ハインリヒ(7世)と戦うためにドイツに行った際、殆ど軍隊をつれずに
南国の動物どもをひきつれていったというくだり。政治外交の才能の
冴えだけでなく、独特な文化的センスのあった人ではないかしら。
百科事典などをみると、「中世最後の薔薇」なんてよばれていたというし、
調べれば調べるほど興味が湧いてくる。
結局周りじゅう敵ばかりになって、彼の死後シュタウフェン朝は一気に
没落するけど、そういう意味ではハインリヒとの対立は、この人の不幸
を象徴しているような気がする。
イギリスなんかでは残酷な人物という扱いみたいだけど、あの時代は、
彼に対立する教皇やイタリアの諸都市だって相当あくどいことをやって
いるわけで、その評価は一面的だと思う。
カントロヴィッチの評伝が早く日本語になることをきぼーん。
5世界@名無史さん:2001/08/24(金) 21:24
>>2
>マムルーク朝のバイバルスと仲がよかったような!?

アイユーブ朝のアルカーミルだったような気が。
6世界@名無史さん:2001/08/24(金) 22:19
<玉座最初の近代人>だっけ
実は名前は知ってるのだがあまりよく知らない。
破門されたんだっけ?
7世界@名無史さん:2001/08/24(金) 22:41
1245年のリヨン公会議で破門されてる
875:2001/08/24(金) 22:42
 バルバロッサと勘違いしてしまった。
 でも、彼の間抜けな死に方はともかく、
 神聖ローマ帝国の領土が最大になった。

 2世と比べると「近代人」として、ウケル要素は少ないよね。
9世界@名無史さん:2001/08/24(金) 22:48
私は中公新書の『物語・イタリアの歴史』でこの人の事知りました。
イタリア史の本ってことで「フェデリーコ」って
イタリア語読みになってたっけ・・・。
しかし彼の時代はまだイタリア語なかったような気もするが。
10世界@名無史さん:2001/08/24(金) 23:33
>>7
リヨン公会議の前にグレゴリウス9世によって
1227年に破門されているよ。
なぜかって?
十字軍遂行するって約束しておいて破ったから。
ちなみにリヨン公会議でインノケンティウス4世は
彼の廃位を決めています。

>>9
シチリア王国の国王としては「フェデリーコ」でいいんじゃないの?
そんなこといったら、「フリードリヒ」ってのもおかしくない?
ここは、ラテン語読みで「フレデリクス」にするべき!?
11世界@名無史さん:2001/08/26(日) 03:31
F・ラウマーの『騎士の時代 ドイツ中世の王家の興亡』は
読んでてかなり萌えますよ〜♪
阿部謹也氏の著作にもカイザーに関する記述部分多いです。

「ホーエンシュタウフェン家 最後の英傑」「ルネサンスの先駆者」・・・・賞賛の嵐(w 
ダンテも「真に輝かしい英雄」と絶賛。
12世界@名無史さん:2001/08/26(日) 03:35
>>11
中公新書「フリードリヒ大王」でも、同名のフリードリヒ2世として
絶賛。「それに比べて...」と大王をこきおろしています。

誰がメインなんだよ(w
13    :01/08/26 17:27
idjufgwiebgwiefh
14世界@名無史さん:01/08/27 12:50 ID:2pEQki56
>>9>>11
情報ありがとうございました。ところで、ダンテが絶賛しているのは、
例の「神曲」においてなのでしょうか。ご教示お願いします。
15世界@名無史さん:01/08/28 23:27 ID:TqRkNQ3.
>14  私が見たのは世界史の参考書(w

当時の言語については「中世の騎士文化」という本が詳しい。
イタリア育ちだけどいちおうバイリンガルだったらしい。
でもエルサレムでの戴冠式の時、「神が教皇を否とし、我を是とせり」と演説して
それを騎士団総長のヘルマン・フォン・ザルツァがうまいこと通訳して事なきを得た。
16リトル愚礼:01/08/29 23:39 ID:rSLiC7Ig
息子のコンラート五世が長生きしていれば
もっと評価が高くなっていただろう。
そして何より、イタリアはシュタウヘンの下に統一されていたかも。
>>4さん
イタリアの諸侯騎士にそっぽ向かれ
軍隊代わりに動物連れていったって落ちじゃないでしょうね。
この人なら、ありえそうで…。
170912:01/08/30 03:53 ID:eT.DpTpE
今年になって塩野七生『ルネサンスとは何であったか』(新潮社)でも、
ルネサンスのさきがけ的人物として紹介されてますし、『物語 中東の歴史』
(中公新書)でも、アル・カーミル、アル・アーディルの親子スルタンとの
親交が言及されてます。けっこう旬な人物かも。
2年前に出た講談社現代新書の『中世シチリア王国』の最終章では、彼の治世
半ばにすでに南イタリアでの支持基盤が崩壊していたことを指摘しています。
イタリア統一を夢見た人物として、ちょっと織田信長って感じでとらえれば、
日本で人気出るかも。
18:01/08/30 13:01 ID:9JFsEcI.
>>16
僕があげた山川「ドイツ史」1巻では、そこまで書いてなかったと思う
けれど、例の無血十字軍も、教皇から破門されて兵隊が集まらない時期
の出来事だったことを思い出すと、あなたの勘ぐりもひょっとして当たり
かもしれない。
逆にそれでイェルサレムを奪回したり、ハインリヒを屈服させたりしている
のはすごいことかもしれない。
>>18
『中世シチリア王国』ご紹介ありがとうございます。早速読んでみます。
19コンラディン:01/08/30 20:21 ID:Ymx9v2JI
>>1 >>4
どのような経緯でフリードリヒについて調べているのかは
存じませぬが、もしも、より詳しく知りたいのであれば、
日本語の文献だけでなく欧米の文献にもあたってみることを
お勧めしますね。
一番良いのは、ドイツ語やイタリア語の文献を読むことでしょうけど、
無理であれば、英語で読めるものも結構あります。
例えば彼の伝記は、Kantorowiczのもの以外にも
沢山の人のがあります(Massonとかvan Cleveとか)。
最近ではAbulafiaという人が彼の伝記を書いています。この人は
フリードリヒを「近代人」としてではなく、「中世の皇帝」として
描いています。
20世界@名無史さん :01/08/30 21:24 ID:7QwFim3I
・ジュゼッペ・クアトリーリオ著 真野義人訳、解説 箕浦万里子訳
『シチリアの千年〜アラブからブルボンまで〜』新評論
・堀米庸三著 『西洋中世世界の崩壊』岩波書店
に、結構詳しく書いてあったような・・・。
フリードリヒ2世に興味を持つようになったきっかけは、
『西洋中世世界の崩壊』を読んでからだったから。
21世界@名無史さん:01/09/07 12:37
フリードリヒ2世を語るとき、どうしても神聖ローマ皇帝ということで、ドイツ寄りの記述が多いような気がするが、
やはり彼は生まれ育ったシチリアの人として考えた方がいいのでは
アラビア・ビザンツ・ノルマンの文化混交による特有の文化、コスモポリタンな風土が、
彼の破天荒な人生を規定したと思う。
22世界@名無史さん:01/09/10 12:47
>>19
>>1です。ご教示ありがとうございます。ABULAFIA氏の本、紀伊国屋書店で問い
合わせたのですが、「そんな10年前の本などアメリカの取次ぎ先にもおいてない」
と、にべもない返答でした。残念。インターネットで探してみます。
ところで、私が彼に興味を持ったのきっかけは、ヴァイマール文化→カントロヴィッチ→
フリードリヒという流れでした。ヴァイマール末期に、偉大な指導者を求める雰囲気
があり、カントロヴィッチの書いたフリードリヒの伝記が1万部も売れた、ヒトラー
も愛読し、著者自身、この本がナチズムの露払いのような役割を演じたことにショック
を受けていたとか。
カントロヴィッチ自身は、イスラムやオリエントへの関心が強く、そこからシチリア、
さらにフリードリヒにひかれていったようです。>>21さんに似てますね。
23世界@名無史さん:01/09/10 12:58
なぜ彼がドイツ風の名前で呼ばれるか考えてみたことあるかい?
それは明治期にドイツ人メディアからヨーロッパの歴史を知ったからだよ。
かれの本当の名前(ラテン語名)を調べてごらん。
24世界@名無史さん:01/09/10 13:29
本当の名前って、両祖父の名前からとった「ロゲリウス・フレデリクス」
のことですか?
当時の文書なんて、ラテン語しか残ってないだろうから、ホントのところ
どうよばれてたかはわからないけど、当時の「神聖ローマ帝国」が、今の
ドイツ、いや、「国民国家」「領域国家」とは全く別物なのは確かなので、
ドイツ風の呼び方がふさわしいかどうかは議論があるかもしれませんね。
ちなみに「中世シチリア王国」の高山博さんは、当時の君主の名前について、
ラテン表記を採用しています。
25世界@名無史さん:01/09/10 13:49
>>24
漏れも当時の人たちの感覚では、ラテン語標記が正しいと思う。
アイルランドからリトアニア、スカンジナビアからイタリアに
広がるカトリックの文化圏として。ドイツ人の住む土地に
あった国家ではだったが地方間・国際間の公用語はラテン語だったし。
26世界@名無史さん:01/09/12 01:19
アメリカでのテロ事件のニュースを聞いて考えた。
フリードリヒが生きていたら、現代の文明の衝突(?)をどう見ることだろう。
彼が生きていた時代は、イデオロギーや文明よりも、いかに自分の同調者
(ドイツ諸侯)の支持を獲得し、あるいは敵(教皇、イタリアの都市等)
の仲間割れに付け込むかが重要だったのだろうけど、それでも、イスラム
教徒を単なる敵でなく交渉相手とするという感覚は、当時のシチリア育ち
ならではの、時代をはるかに超えたものだったのだろう。
でも、彼と教皇との対立は、単なる権力争いの次元にとどまらず、いわば
黙示録的な次元に及んでいたわけで、ある意味で、現代の文明の衝突の前哨戦、
「敵対関係の絶対化」みたいなものに巻き込まれていたのであろう。
彼の生涯を見ていると、現代の悲劇を予感させるようなところがある。
27世界@名無史さん:01/09/12 19:16
>>16
フリードリヒ2世の息子はコンラート4世です。
28世界@名無史さん:01/09/13 18:31
>>26
フリードリヒ2世は結構イスラム世界にも造詣があって、キリスト世界と敵対してい
たイスラム世界の雄、サラディンとも交流があったらしい。
29世界@名無史さん:01/09/15 02:20
>28 サラディン 在位1169-93
サラディンと交流があったのは獅子王リチャードでしょう

関係ないけど、ラディンを連想して鬱・・・
30世界@名無史さん:01/09/15 10:50
大学入試において>28のような選択肢が設問にある場合迷わず×にしよう。
31世界@名無史さん:01/09/17 04:31
32世界@名無史さん:01/09/17 11:02
細かいけど獅子王リチャードではなく獅子心王ね。
リチャード・ザ・ライオン・ハーティッド
33世界@名無史さん:01/09/17 12:26
獅子といえば、バルバロッサのライバルにハインリヒ獅子公てのがいたね。
34世界@名無史さん:01/09/17 12:33
>>33
いたいた。その息子のオットー4世は、フリードリヒ2世のライバル。
因縁深いよね。その争いを利用したのが教皇インノケンティウス3世。
でも、オットーはイングランド、フリードリヒはシチリアから、それぞれ
ドイツ国王、皇帝になったわけで、そのころの神聖ローマ帝国が国際的
なことがよくわかる。
35通りすがり:01/09/17 12:40
フリードリヒ2世と仲良かったのはアル=カミールって聞いたけど本当?
36ドイツにん:01/09/17 12:47
オットー4世はブーヴィーヌの戦いに巻き込まれて、敗戦。教皇
インノケンティウス3世により破門され、皇帝を廃位。その後帝位
がフリードリヒに移ったんだね。
37世界@名無史さん:01/09/18 12:48
>>36
細かい話だけど、インノケンティウスがオットーを破門したのは
1210年で、ブーヴィーヌの戦い(1214)の前です。
オットーは、バルバロッサやハインリヒ6世のイタリア政策を継承
しない約束で皇帝に戴冠されたけれど、皇帝になったとたんに
その約束を反故にしたため、破門したというのが真相のようです。
ただし、破門されて一気に勢力がそがれたわけではないようで、
(ザクセンやイングランドまではその効果が及ばなかったみたい)
当時の教皇権の相対性(これについては皇帝も同様)が伺われる
と思います。
38世界@名無史さん:01/09/19 13:12
>>35
フリードリヒとアル・カーミルとの関係については、>>5でも
ふれているね。ネットで検索してみると、例の無血十字軍は、
フリードリヒとアル・カーミルの共謀だったという記述が
あったよ。
39世界@名無史さん:01/09/21 14:00
カントロヴィッチの論文集の邦訳を読むと、フリードリヒが教皇に対して
皇帝権力の正当性の根拠として、当時復興されていたローマ法を拠り所
として、法を作ることが、神から与えられた世俗支配者の使命であると
主張していたという記載があった。
これは、叙任権闘争のあとで、世俗権力の自立性を確保する重要な試み
だという評価だったね。
ちなみに、彼のホームグラウンドだったシチリアでは、ルッジェーロ2世の
ころから、中央集権的な官僚機構と文書行政が発達してたらしくて、
フリードリヒもそれに乗っかって、『皇帝の書』など、法典の編纂に精を
出していたようだ。
40世界@名無史さん:01/09/22 18:07
41-モロ、無修正画像サイト発見!:01/09/22 18:12
その画像ならココ
http://members.tripod.co.jp/bingo852/
42世界@名無史さん:01/09/25 17:14
>>40
情報ありがとうございます。
でも、英語で480ページを読むのは結構きついかもしれない。
43世界@名無史さん:01/09/30 14:02
>>17
塩野さんの著書、拾い読みしました。フリードリヒのイタリア政策について
「彼のやったのとの中で、これだけは中世そのものの時代錯誤的なもの」と
批判していましたね。
まあ、逆に、ローマ皇帝なる虚名が、いかに中世人の意識に深く浸透していたか
を示しているともいえましょう。だいたい、そのころは、近代的な国民国家なる
ものも存在していなかったわけで。あまり、ルネサンスの先駆者的にみると、
おかしなところもいっぱい出てくるような気がしますね。
アブラ−フィア氏の著書の副題にある『中世の皇帝』としての捉え方も必要なの
でしょうね。
44世界@名無史さん:01/09/30 22:39
この人、父方よりも母方の血に影響されてたんじゃないのかな?
本人も、ドイツ人というより、シチリア人の方の自覚が強かったんじゃないかな?
アラブに対する態度も、ドイツ人として考えれば時代を超えてる印象あるけど、
歴代のシチリア王が取って来た狡猾な態度を受け継いだって考えれば、納得いくし。
その意味では、21さんに同意。
45世界@名無史さん:01/10/02 18:36
>>44
まあ、父も母もかれの幼少時に亡くなっているし、どちらの血というより、
周囲の環境に左右されるのでしょう。
生まれ育ったのはシチリアだし、その後の活動のステージもイタリア中心で、
ドイツにいた期間などほんのわずかでしたから。
知れたものでしたから。
46世界@名無史さん:01/10/14 05:12
47世界@名無史さん:01/10/14 08:35
>>2
超亀レスだけど、バイバルスとは時代ずれてない?
48世界@名無史さん:01/10/16 14:21
>>47
がいしゅつです。>>5を参照のこと。
49リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:01/10/16 20:28
開明的な皇帝だが
どういうわけか、異端審問の整備なんかもやっている。
(異端審問官と、死刑執行人を同席させて…だったか?)
詳しい資料キボウ。
50世界@名無史さん:01/10/16 22:33
実は凡庸な人だって話もあるよね。
先細りの家系だし。
51世界@名無史さん:01/10/17 15:57
>>48
>>9さんがあげている『物語 イタリアの歴史』では、宗教紛争が
国の根幹を揺るがすことを恐れて、事前にその芽を摘んでおくのが
目的だったとしています。宗教的な動機というより、世俗的な動機
だったようです。
余談ですが、この人物、全体像をつかむのが大変な人らしく、例えば、
1227年に行なったイスラム教徒の強制移住について、
『物語 イタリアの歴史』では、「破門も恐れぬサラセン軍の創設が
目的」としているのに対し、高山博『中世シチリア王国』では、
「イスラム教徒の反乱に手を焼いた末の措置で、文明の十字路
としてのシチリア王国の終焉」ととらえている、など。
>>50さんがあげている説も詳しく聞きたいですね。
52世界@名無史さん:01/10/28 13:13
oisyo
53世界@名無史さん:01/11/09 08:56
かなり離れますが
koei社のシュミレーションゲーム「チンギスハーン・蒼き狼と白き牝鹿IV」
で神聖ローマ帝国(フリードリヒ2世 )やビザンツ帝国
とか選択できるね。
54世界@名無史さん:01/11/19 11:42
>>50
先細りの家系といえば、シュタウフェン家の前のシチリア王家だった
オートヴィル家もそうだね。
ルッジェーロ1世、2世と英雄が続いたけど、そのあとがどうも…
55世界@名無史さん:01/11/21 17:17
中央公論の『世界の名著 トマス・アクィナス』の年譜を見ていると、
中世のスコラ哲学に大きな影響を与えたアヴェロエスの著作は、
1230年ごろに、フリードリヒ2世の宮廷で翻訳されたという
記述がある。
パレルモの宮廷は、12世紀ルネサンスに引き続いて西欧と
アラブの、そこを通じたギリシャ文化の接点でありつづけたんだね。
56世界@名無史さん:01/11/22 00:31
フェデリコのイタリア統一政策がうまくいけばイタリアが中南部の中央集権国家をベースにして
北部・エーゲ海沿岸をブルボン朝フランスにおける周辺地域のようにじわじわ侵食すると言う構図になってまた歴史が変わったかも。
・・・マキャベリがマキャベリストでなくなってしまってるか。
57世界@名無史さん:01/12/07 19:15
>>56
ブルクハルトの本を読んでると、フリードリヒは、その家臣の
エッツェリーノともども、チェーザレ・ボルジアの先駆けのような
取扱いになってるね。「君主以外のすべての諸侯を、単なる臣民に
切り下げる」という結構どぎつい表現で、「玉座についた最初の近代人」
の裏面を表している。
マキャべリが取り上げてもおかしくないかもね。
58世界@名無史さん:01/12/21 04:35
フリードリヒ2世って戦争で華々しい勝利とかってしてます?
59世界@名無史さん:01/12/22 21:35
神聖ローマの皇帝はいつぐらいまで教皇から帝冠を受けていたの?
60世界@名無史さん:01/12/22 23:15
ハプスブルクのフリードリヒ3世までじゃなかったでしたっけ。
戴冠するまではローマ王(ローマ人のドイツ王)で、戴冠すればローマ皇帝となる。

次のマクシミリアン1世から教皇による戴冠が省略されるようになったと話だった
と思います。
61リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:01/12/23 10:28
>>58さん
「ピサの海戦」では、教皇軍の
ガレー艦隊を藻屑にしています。
しかし、パルマ攻囲戦では、敵都市を攻めあぐねているし。

ジッちゃんのバルバロッサよりは
戦下手かもね。
軍事的手腕では、同期のルイ九世とどっこいどっこいか?
62世界@名無史さん:01/12/25 11:53
>>58
華々しい勝利かどうかわからないけど、1229年(だったかな)の
十字軍では、外交交渉でイェルサレムを奪回しています。
あと、ドイツ支配をめぐって対立した息子のハインリヒ7世との戦いでも
ろくに戦わずに勝っています。
ロンバルディア都市同盟との戦いはそんなにうまくいかなかったみたいだけど。
63世界@名無史さん:01/12/28 19:53
ノーマン・コーンの『千年王国の思想』(紀伊国屋書店)
を読むと、フリードリヒの死後、
「われこそは皇帝フリードリヒだ」と名乗る男が何人も現れたと
書いてありますね。

あと、ドイツには「キフホイザー伝説」というのがあって、
ハルツの山の奥深く、フリードリヒ赤髭王が家臣たちと
眠りについており、ドイツに危難がおそいかかったとき
目覚めて国を救う、という内容。
祖父のバルバロッサはあんな間抜けな死にかたしたのに、
なんでこんな伝説が生まれたのかな?
64世界@名無史さん:01/12/29 01:09
>63
バルバロッサの場合はあまりにも間抜けすぎて死を信じられない人が多かったのだろう。
65世界@名無史さん:01/12/31 02:27
>>60
それは何世紀の話?
6663:01/12/31 11:12
63の補足
フリードリヒが1250年に死んだあと、皇帝はまだ生きているという噂が
流れ始めました。
フリードリヒはエトナ火山の地下へもぐっていったとか、そのほかにも
偽フリードリヒが現れて処刑された後流れた、かの伝説的な東洋の君主
プレスター・ジョンは皇帝に石綿の衣と、姿を隠すことの出来る魔法の指輪と
永遠に若さを保たせる魔法の飲み物とを授けたとかいう噂です。
もうファンタジー小説の世界・・・
67世界@名無史さん:01/12/31 16:46
>>63
平凡社の百科事典には、「フリードリヒ伝説」という項目があって、
最初は2世の伝説だったものが、後にバルバロッサに引き継がれたとの
ことです。なお、この項目は阿部謹也氏の担当です。
68世界@名無史さん:02/01/09 08:13

>67
どの百科事典ですか?
69>>68:02/01/09 08:22
世界大百科事典です。CD−ROMでも出ているやつです。
70世界@名無史さん:02/01/11 09:30
>>69
なるほど、あれね。ありがと。
71世界@名無史さん:02/01/12 03:05
ハルン・アル・ラシッドと同じで、虚像と実像の落差が大きい君主。
72世界@名無史さん:02/01/12 03:20
光栄のチンギス・ハーン4にも、でていたね。
73世界@名無史さん:02/01/12 16:44
>>71
前のほうのレスでも、この話題が出てたね。もちょっと詳しい
話をキボン。
74チンギスハン:02/01/14 20:20
 >>72
4だけだっけか?
75世界@名無史さん:02/01/14 21:03
『蒼き狼と白き牝鹿』シリーズなら
4(「チンギス・ハーン」)にも3(「元朝秘史」)にも出てる。
76世界@名無史さん
>>75
サンキュ。最近Koeiゲームやってない。