大西洋憲章とヤルタ協定

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1941Atlantic.html
http://www.fordham.edu/halsall/mod/1945YALTA.html
http://www.excite.co.jp/world/text/ 英文→和文の翻訳サイト
アメリカは公式には1941年8月の大西洋憲章以来一貫して
欧州解放・ナチ打倒第一主義を打ち出しておりました。
しかしながら現実には対独戦略爆撃は1943年半ばから、
フランス攻略戦はそのまた翌年からでした。更にヤルタ協定では、
ソ連に対し対日参戦と引き換えに東欧支配を認めることになりました。
またその年の4月初めには米英軍はエルベ川で進軍停止、
欧州戦終結後にはヤルタ協定に従って占領区を大きく後退させ、
ソ連軍占領区は更に拡大することになったのです。

WW2アメリカは紛れも無く本土無傷でダントツ世界第一の戦勝国であったものの、
理念=大西洋憲章と現実=ヤルタ協定が大きく食い違っていたのではないでしょうか。
2実習生さん:2001/08/08(水) 17:43
・ 外国人女にはいきり立つ俺の一物をマソコにぶちこんでやれ!!!
長さ縮尺実際25センチ・金玉つき

         /⌒ヽ⌒ヽ
              Y
            八  ヽ
     (   __//. ヽ,, ,)
      丶1    八.  !/
       ζ,    八.  j
        i    丿 、 j
        |     八   |
        | !    i 、 |
       | i し " i   '|
      |ノ (   i    i|
      ( '~ヽ   !  ‖
        │     i   ‖
  ___  |     !   ||  _____
 /    |    │    | /      \
‖      |       |    | |       \
‖     |       |   | | /      \
       |        !    | |/      ‖
      |           | ‖(       |
\            ヾ  \     /
         /
3世界@名無史さん:2001/08/08(水) 22:47
理念と現実が食い違ってしまうアメリカ外交は、ベトナム戦争の時も同じ。
4世界@名無史さん:2001/08/08(水) 23:19
亜米利加
5世界@名無史さん:2001/08/09(木) 00:56
米英ソが1944年9月12日に調印した協定によって、ドイツを戦勝国が分
割占領すること、そして、ドイツ東半をソ連の占領担当地域とすること
が決定されました。ドイツの西半分を具体的にどのように分割占領する
かについては、協定調印後も米英両国の間でなお調整が続けられましたが、
上記協定調印の一週間後に妥結しています。
その後、フランスがドイツ占領への参加を要求してきたため、1945年2
月のヤルタ会談において、米英両国の占領地域の一部を割いてフランス
占領地域を設定することが決定されました。
戦争遂行の過程で各国軍隊の侵攻・占領範囲が予定領域とずれることも
ありましたが、軍事的必要がなくなり次第、ヤルタ会談での決定通りに
なるよう、占領担当者の交代が行われました。特に、米英軍の最前線は
事前に決められていた分割占領ラインを大きく東に越えていたため、
ソ連軍が来るのを待って漸次後退するということが行われました。
以上のように、ドイツの分割占領については、その担当地域の割り振り
も含め、ドイツが降伏する前から合意・準備ができていました。
6世界@名無史さん:2001/08/09(木) 11:33
デーニッツ政権は無力か?
7世界@名無史さん:2001/08/10(金) 02:04
ヤルタ会談で最後に笑ったのは誰?
8世界@名無史さん:2001/08/12(日) 17:15
ソ連にしても理念としては反ナチでも現実としては独ソ不可侵条約だ。
9世界@名無史さん:2001/08/23(木) 14:12
「ルーズベルト秘録 上」(産経新聞社)P77
 日本本土上陸戦が現実になりつつあったこの頃、米軍は戦略の練り直しを迫られていた。
中国大陸での日本と中国の戦闘を無視し、太平洋の島づたいに北上する飛び石作戦は
順調に進んでいたのだが、死傷者の数は欧州戦線に比べてかなり多かったのである。
米国防省の記録では、欧州方面での戦死者が十三万五千人であったのに対し、
太平洋方面は十七万人を超えていた。
 いずれは本土上陸を決断しなければならない米総合参謀本部は、激しい抵抗を
少しでも弱める必要から、OWIなど政府機関に対し天皇への攻撃的言動を禁じていた。
同時にこの頃から、ソ連軍参戦による上陸作戦の負担減、および早期の日本降伏の
可能性を探る考えが芽生えつつあったのである。
 ソ連の対日参戦と日本の早期降伏という二つのアイデアはその後、ルーズベルトの
掲げた無条件降伏についての解釈に加え、スターリンや蒋介石の思惑も絡んで複雑な
経緯をたどっていく。
10世界@名無史さん:2001/08/23(木) 15:31
大東亜共栄圏構想は大西洋憲章に対抗する理念として作られたんだよね。
「アジア解放」はプロパガンダとしてはなかなかいい素材だ。
11世界@名無史さん:01/08/27 10:30 ID:4GeBHx7U
ルーズベルトって病気じゃ無かった?
12世界@名無史さん:01/09/04 21:40 ID:8ipJJZIg
欧州戦争において大西洋憲章は目標、ヤルタ協定は結果。
13世界@名無史さん:01/09/14 17:24
ポーランドって本当はもっと東寄りにあった国でしょ。
なのにソ連が強引に西へ移動させちまって・・・
14梵阿弥:01/09/18 14:57
ドイツに近いほうが豊かなのでまんざらでもなかったみたい。
15世界@名無史さん:01/09/22 14:59
ベルリンがソ連軍によって陥落させられ、更にソ連占領区が西に拡大したことは良かった。
ドイツの四分割はヤルタ協定で既に決まっておりその線に従って米英軍は逐次後退させられた。
前大戦と違ってドイツには匕首伝説を叫ぶ余地が無いばかりか、ソ連の西進により
ドイツはスラブ人に屈服させられたのだ。いくらドイツ見習えヲタがドイツ軍の
優秀さを強調しようとも全体の戦局はこうであった、これは動かぬ事実だ。
また戦後のソ連の宇宙産業がドイツからの盗用だとの陰口もよく聞かれるが、
それを言うなら第三帝国こそ近隣諸国からどれほどの収奪を行ってきたのか。
16世界@名無史さん:01/09/22 22:52
17世界@名無史さん:01/09/23 20:24
自称優秀民族が東欧・アジアの「下等人間ども」に征服されてざまあみろだ。
何が「ドイツの科学は世界一ィィ」だ。日本も日ソ中立条約を守って良かった。

更に対ソレンドリースと第二戦線でソ連軍をベルリンまで
つれてきてくれてありがとうアメリカ合衆国!
18世界@名無史さん:01/09/23 20:26
>何が「ドイツの科学は世界一ィィ」だ。
誰もそんなこと言ってねーだろ。
いや、2ちゃんねる内の話なら別だが。
19世界@名無史さん:01/09/23 23:23
JoJo内ではサイボーグ作るし「ドイツの科学は世界一ィィ」かも。
問題は現実まで世界一ィィ…
20世界@名無史さん:01/09/25 23:10
21世界@名無史さん:01/10/02 14:32
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html
WW2欧州戦データベース
22世界@名無史さん:01/10/02 15:41
http://sunsite.sut.ac.jp/pub/academic/history/marshall/military/wwii/U.S.Army.campaigns/brief.history/briefhis.txt
To the victory in western Europe and Italy, the United States had contributed 68
divisions, 15,000 combat aircraft, well over 1 million tanks and motor
vehicles, and 135,000 dead. The country now turned its focus to a war a
half a world away and to the defeat of Japan in the Pacific.
23世界@名無史さん:01/10/06 13:11
大陸打通作戦の日本陸軍大勝利によって、中国軍に対日戦を任せられなくなり、
米国はソ連に大幅な譲歩を迫られた。ヤルタ会談の内容から、大陸打通作戦が
いかに米中離間を促進し、また米国の世界性略を混乱させたかがわかる。中国軍
がヘタレで対日戦を任せるに足らず、対独進軍停止とソ連参戦で補う必要があった。
24パブロフ二等兵:01/10/08 21:50
>大陸打通作戦の日本陸軍大勝利によって、中国軍に対日戦を
>任せられなくなり、米国はソ連に大幅な譲歩を迫られた。

日本軍礼賛バカ右翼は逝ってよし。

米国がソ連に譲歩したのは、それまでの対独戦におけるソ連の役割が大きかったからだ。
モスクワ戦まで米国はソ連の抗戦能力を信用せずレンドリースも僅かであったのだ。
米国の対ソ支援はソ連が自力で対独抗戦しうることが明らかになってからのことだ。
25パブロフ二等兵:01/10/13 13:14
ファシストのドイツは、もともと経済力で言えば彼らの国の通貨なぞ
紙くず同様であった。彼らがバルバロッサ作戦を発動させるほど
までに巨大化したのは英仏ソの宥和政策によるものだ。

そうだとすればあの付属議定書はソ連にとり最悪の選択であった。
26世界@名無史さん:01/10/14 05:18
27パブロフ二等兵:01/10/14 18:19
英国に発言権が無いのは当然。英国の対独戦なぞ米国の支援が無ければ、目くそ。

ソ連邦もより経済的に豊かな米国から援助を受けているが、英国ほどではない。
28世界@名無史さん:01/10/19 14:11
そもそも独ソ開戦から長い間、第二戦線(フランス方面からの対独反攻)
が無かったのは、歴史上極めて異常なことであった。これこそ英仏の
宥和政策と軍事的無力さを証明するものだ。米国はそれとは違ったが、
彼らとて第二戦線は延期し続けた。ソ連の東欧支配はそのような
西欧諸国に代わって赤軍将兵の血であがなった正当な代価なのだ。

我々は冷戦時代でも米国に対してはレンドリースや第二戦線のこともあって
常に友好的であった。敵は西ドイツ残存ファシストどもとその支持者たちだ。
29パブロフ二等兵:01/10/19 14:12
おっと名前を入れ忘れてしまった(でもすぐわかるか)。
30パブロフ二等兵
ソ連邦の東欧支配は、ヤルタ協定で正式に承認された、大祖国戦争の戦利品だ。