1 :
世界@名無史さん:
これが本当なら孫権の目が碧色だったというのもうなずけますね。
2 :
かきつばた:2001/07/25(水) 01:34
かなり時代は下りますが、モンゴル帝国、中興の祖、ダヤンハーン(1487-1524)の母方の実家・ウリャンハン部は、金髪・碧眼の集団でした。
3 :
世界@名無史さん:2001/07/25(水) 01:35
金髪碧眼だからといって、ヨーロッパ人ではないでしょうが。
昔のキルギス族も金髪碧眼だったらしいですね。
モンゴルの北あたりにはそういう形質のグループが
わりと最近までいたんでしょうか。
もちろん、ヨーロッパ人ではないけど。
5 :
かきつばた:2001/07/25(水) 01:52
今モンゴル人を構成している各部のなかには、内蒙古のアスト部(カフカスのオセ
チア出身者の末裔)など、ヨーロッパ人の子孫であることが確認できる集団も現存
しています。その期限は、セチェン=ハーン(諱フビライ)以降のハーンたちが、
言うことを聞かない同族たちを威圧するために身辺に侍らせた親衛隊(キプチャク
草原などから徴収)で、その 中にはロシア人部隊もあったそうですから、ウリャ
ンハン部の祖先が「ヨーロッパ人」である可能性はあります。
古代に「ヨーロッパ」は成立していません。
コーカソイド=ヨーロッパ人ではありません。
カザフ・ウイグル人にも金髪・碧眼は大勢います。
>>5 ルーシ人は「ヨーロッパ人」か?という問題も…。
明代のモンゴルの顔つきに
コーカソイドが入っていても不思議じゃないという見方は同意。
最近の新聞に載ってたんですが、ヨーロッパ人とは書いてなかったかも知れません。スマン。
確か二千数百年前に斉の国あたりにノルマン人だかゲルマン人だか白人系の集団がいたそうです。
ネットでこの記事探してみたけど、見つからなかった。
モンゴル、中国に来たコーカソイド系民族はスキタイ系だと思う。
古代タリム盆地にはコーカソイドで
インド・ヨーロッパ語族の中でも
ラテン語に近い(インド・イラン系とは遠い)言葉を話す民族がいたらしい、
って聞いたことがあるけど。
11 :
かきつばた:2001/07/25(水) 02:45
ソースを忘れてうろ覚えなのですが、去年か今年の毎日新聞で、
パルチアとの戦いで捕虜になったローマ軍団の一部隊が流れ流れて
漢の支配下に入り、まとめて漢の領内に定住、甘粛省内のその子孫
には欧州風の面影がある、、という中国発の報道が紹介されている
のをみた記憶があります。
匈奴系とスキタイ系が混住していた痕跡がシベリアに遺跡があり、
現に出土してくるミイラはコーカソイドであり、古代中国と接触していた、
金髪・碧眼の種族はスキタイの一派が主流だったと考えるのが自然では?
13 :
世界@名無史さん:2001/07/25(水) 08:00
馬に乗らないと来れないよな。
14 :
世界@名無史さん:2001/07/25(水) 09:59
グラハム・ハンコック並みのドンデモ話だな
15 :
世界@名無史さん:2001/07/25(水) 11:07
10>>ラテン語って古代ローマの地方言語であって、総ての属州に
普及していたわけではないよ。中央で使われた言葉だけどね。
それに成立自体は割と新しいよ。
17 :
自転車小僧:2001/07/25(水) 23:25
今も黒龍江省周辺に住むキルギス族(ハカス人)はコーカソイド系だよ。
史書に出てくる高車の末裔じゃないかと言われてる。
ハカスっていう民族名自体、
史書で古代キルギス族を指した「黠戛斯」の音を写したものらしい。
19 :
世界@名無史さん:2001/07/26(木) 19:17
20 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 10:34
×オーストラリア
○オーストリアでした、初歩的すぎる間違いでした。ごめんなさい。
22 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 21:22
中国の少数民族のタタール族は、白肌金髪碧眼だな。
23 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 21:52
もしこれらの話が本当だとしたら、日本板にあった、
「秋田県人はヨーロッパの血が云々・・・」なんてのも、
あながちデタラメでは無いのかも。
24 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 22:45
南シベリアやモンゴル高原に昔コーカソイドがいたのは事実。金髪碧眼じゃないけど。
ところで金髪碧眼の原産地(?)である北欧とモンゴルてのは、
地球儀でみると(緯度が高いから)案外近くにある、という発想もありかも。
25 :
かきつばた:2001/07/27(金) 22:52
岩手県の気仙地方のお医者さんで、『ケセン語入門』という本を書
いたお医者さんが、その本のコラムのなかで、患者さんの中にしょっ
ちゅう碧眼(一部または全体)の人が見られること、それらの人々
は代々気仙の住人で、コーカソイドとの混血が祖先にいるわけでは
ない、ということを報告しています。
26 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 23:20
ノイン=ウラで発掘された人骨はコーカソイド的特徴が
あるっていうことだからな。
コーカソイドといっても、ソグド系、スキタイ系であって、ギリシャ、ローマ、ゲルマンとはあまり関係無いのでは?
一部にギリシャ文化の痕跡は遺跡の壁画にも見られるが、圧倒的に多いのはソグド、スキタイ系。
28 :
1:2001/08/05(日) 02:57
29 :
い:2001/08/05(日) 10:55
金髪碧眼がよく出てくるけど
ほんとに北欧人のような金色?
30 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 11:23
中央アジア地域から徐々に移動していったとされるインド・ヨーロッパ語族は意外と人種的に歴史が古く、一方平たい鼻と蒙古襞(もうこひだ:下瞼のふくらみ皺)が特徴のモンゴロイドは歴史的に新しい人種とされている。
そのため、中国の中原域を起源とする漢民族がまだ分布を広げていなかった頃、すでにインド・ヨーロッパ語族系のいわゆる白人種が中国地域にも分布していた可能性は十分ある。
もう一つの特徴としては、古代中国語が声調によらず子音連続によって単語を区別していたらしいという意外な点である。子音連続と言えばインド・ヨーロッパ語族に普通の現象で例えばstartなどがあるが、今の中国語ではまったく見られない。古代中国語のインド・ヨーロッパ語族からの音声的影響(?)も見逃せない。
31 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 16:52
>28
このミトコンドリアDNAのDループの配列ってこれだけで人種を云々できる
くらい特異的なものなんだろうか?
32 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 18:33
>>30 ちょっとまった。古モンゴロイドは3万年ぐらい前に発生して
いるので、いくらなんでも話が強引過ぎ。
古モンゴロイドと新モンゴロイドってことならば、歴史時代
にもからんできますけど。
33 :
世界@名無史さん:2001/08/06(月) 22:14
シベリア南部では新石器後期から青銅器時代にかけてアルタイ山麓、バイカル湖西岸
にかけてコーカソイドが進出していた、ということは出土した人骨からかなり確か
らしい。
ただ、その後、紀元前後くらいからはおそらく匈奴を中心とする、現在の中国北部・
モンゴルの人々に良く似た形質の人骨がその地域から出土するようになるらしい。
それから、現在の新疆ウイグル自治区一帯は、8〜9世紀(だったかな)にウイグル人
が進出するまではイラン系の白人が居住する地域だったらしい。
つまり紀元前後くらいまでは中国北西部にコーカソイドがかなり広い範囲で居住して
いたわけでそれらの地域からごく小さい集団が流れ着いて山東省に住み着いた可能性
なんかは考えられるかもしれない。
34 :
・・・:2001/08/06(月) 22:27
>>32 だけど、古モンゴロイドって、半コーカソイドでしょう?。
35 :
世界@名無史さん:2001/08/07(火) 03:18
>>16 >英雄にまつわる伝説
項羽の重瞳みたいな?
>36
スレ違い
38 :
世界@名無史さん:2001/08/12(日) 06:30
曹操の息子曹彰は黄髪児って呼ばれてたらしいけど
金髪だったんだろうか?
39 :
世界@名無史さん:2001/08/12(日) 18:35
これ、昨日の神奈川新聞に載ってましたね
春秋の頃だとか
40 :
世界@名無史さん:2001/08/17(金) 09:46
>>29 私はモンゴルで青みがかった目の人や、金色っぽい髪の少女を見ました。
しかし、よく観察すると、目の色も髪の色も北欧の白人とは違います。
モンゴル人の色はぼやけて、脱色した感じで北欧の白人ははっきり
色の着ついたような金髪です。モンゴル人の髪はいわゆる、ブロンド
ではありません。
41 :
世界@名無史さん:2001/08/17(金) 11:07
地理・人類学板に「コーカソイドのミトコンドリアイヴ」と言う
関連のスレがあるから見てね。
42 :
世界@名無史さん:2001/08/17(金) 19:05
43 :
世界@名無史さん :2001/08/25(土) 05:14
かつてはモンゴロイド的な容貌でありながら金髪碧眼の人種と
いうものが存在したってことはないのかなー?
あったらちょっと面白いけど、モンゴル辺りにそういう人達がいるのは
別に白人の血が混ざったからではなく、混血化以前の形質が現れてる
ってだけで。
>>42 あっちの方は、目の色だけ青や緑で顔にはまったく白人的なもの
が感じられない人がたくさんいるんだよ。
44 :
世界@名無史さん:01/08/27 00:46 ID:DgG9Iz86
45 :
Be名無しさん:01/08/29 23:02 ID:nbxRQjl2
そういえば、斉の始祖、太公望呂尚は西方の羌系部族の出身だよね。
太公望が率いた集団にコーカソイドの遊牧系が多く混じっていたのかも。
47 :
世界@名無史さん:01/09/01 15:34 ID:3j9l5Exo
逆にちょっと前、一世を風靡した「エッツイー」はどうよ。
5000年前のスイスの牧人?占い師?は紅毛碧眼?
>>46 呂尚は姜なので羌とは別なのでは。逸話からは漁民かなと。
49 :
世界@名無史さん:01/09/11 18:30
バスク人=グルジア人=北方縄文人ですよ
「景教(ネストリウ派のキリスト教)」の話は良く聞きますな。
中国にヨーロッパ人が来ていても不思議はないと思いますが。
51 :
世界@名無史さん:01/09/11 20:01
皆、中国北西部とかいってるけど、このあたりが中国領になったのは、比較的
新しく、清が侵略してからのことです。ですから、昔白人がいても、中国人とは
あまり接点はなかったのでは。
それより、シベリアまで来ていたスキタイとブリヤート・モンゴルなんかが接点
があったのじゃないかなあ。
突厥なんかの首長も中国に肖像画が残っているけど、あきらかにモンゴル顔、
トルコ系と言われているけど、西へむかったのは混血して、今のトルコ人みたいに
濃い顔になったんだろうね。
キルギスが金髪・碧眼っていってるけど、私が見たかぎりでは、黒髪、茶目が
多かった。また、顔つきは、漢民族より日本人に似た人が多かったよ。
52 :
世界@名無史さん:01/09/11 20:08
シルクロ−ドを経由してユダヤ人の集団が住み着いたという話を聞いたことがある。
詳細不明。
>>52 日本人は遠い昔に滅んだイスラエル人の末裔です。(今パレスチナにいるドキュソは別物)
失われた氏族のひとつです。
54 :
世界@名無史さん:01/09/11 21:42
>>52 中国は開封に、かなり大きいユダヤ人社会があったらしい。
中国にやってきたマテオ・リッチもビックリしてイエズス会に報告したらしい。
彼らは顔は中国人、しゃべってたのも中国語だったが、ユダヤの習慣をかたくなに
守ってたらしい。
この開封のユダヤコミュニティーはなんと1910年代まであったらしい。
これは聴いた話やけど、開封の「石一族」と言ったらけっこう有名らしい。
他に広州にもユダヤ人コミュニティーがあったことが確認されている。
更に、マテオリッチの報告書によると開封のユダヤ人の人口は2万人は
いたらしい。
でも彼らがいつから住み着いたかは記録に残ってない。
そう思うと、ユダヤ人の一部が海を渡って日本にたどりついた・・・ってのも
想像できるね。
56 :
世界@名無史さん:01/09/11 21:47
↑ごめん、54だった、52さん、スマソ
57 :
世界@名無史さん:01/09/13 18:45
age
58 :
世界@名無史さん:01/09/14 01:49
>>54 >この開封のユダヤコミュニティーはなんと1910年代まであったらしい。
その後はどうなったわけ? 今はもうないの?
ユダヤ人はともかくとして、大学の授業で習ったのだが、5世紀頃の
古墳で一つだけ骨の形状、副葬品などが倭人ではなく北方遊牧民
と思われるものがあるということだった。おそらく五胡十六国時代の
余波を受けたのではないか、と言ってたけど。
ちょっと詳細忘れたが、なんか本を持ってきて該当箇所を説明してたので確かな
ことかと思う。
60 :
世界@名無史さん:01/09/26 08:52
あげ
61 :
世界@名無史さん:01/09/27 15:05
君の隣もユダヤ人かもしれない!
ヒットラーよ再び降臨せよ!
62 :
世界@名無史さん :01/09/27 16:20
>>54 辛亥革命のとき、満州族と間違われて中華民国軍に虐殺されたそうです(涙)
63 :
世界@名無史さん:01/09/27 16:54
回族ももともと、西からきたイスラム教徒だったが、今は漢民族と
容姿はかわらない。どんな民族でも漢族の大海の中では、民族的特徴
も失われるのだね。
64 :
アマノウヅメ:01/09/27 17:40
>>61 自分とこがユダヤ人の末裔だったんじゃないかという気がしませんか?
ユダヤ教を信じないものはユダヤ教徒では無いという議論はさておいても。
65 :
世界@名無史さん:01/09/27 17:51
開封のユダヤ人はまだいるよ。
いま70人ていうところかな。
住み着いたのは宋代だろう。
明代には、人口が多くなったらしい。
清代の末期までシナゴーグがあったが、洪水で壊れてしまった。
信仰も薄れ、シナゴーグも再建されず、トーラーも海外へ持ち出されてしまった。
現在は漢族とほぼ同化してしまっている。
しかしイスラエル人が開封で再興活動をしたりして、
信仰を復活させている方向である。
参考書:程子良他主編『開封城市史』
(社会科学文献出版社、一九九三)
66 :
世界@名無史さん:01/10/12 07:56
孫権の目が碧色
>>65 私が「ユダヤ歴史新聞」をみた処、7世紀には来てたみたいですよ。開封以外にも広がって
いたようです。で1800年頃に、司祭がいなくて教えが絶えてしまう、と欧米に援助を頼んで
手紙を出したようですがそのまま一旦絶えてしまった様です。開國後他所からユダヤ教徒が
やって来て住み着いていますが。唐代はマニ教とかキリスト教ネストリウス派とか色々居て
國際的でしたからね。
68 :
世界@名無史さん:01/10/12 13:33
今中国では、イスラム教に改宗した漢族も『回族』に入れるべきか否か討論中。
そんなのいね〜よ!って俺も思ってたけど、広州にはそこそこいたりする。
上海にも何人かいた。見かけは回族とほとんど変わらないけど。
すいません、>67は「ユダヤ歴史地図」でした。
70 :
世界@名無史さん:01/10/12 15:43
『ユダヤ歴史地図』の詳しい情報キボン。明日本屋に行く予定なので。
>>70 そんなに珍しい本でもないと思いますが。ただ持っている訳ではないので出版社とか正式な
書名(多分会ってると思うけど)など教えて差し上げられません。また良く似たのが2種類
あります。どちらにも載ってたと思うけど一応中を見てからお買いになると宜しいかと。
72 :
世界@名無史さん:01/10/12 15:59
「オマンコ」は果たして本当に存在するのか?
女性の又の間にあるらしいんだが、もちろん俺は実物を見たことがない。
いや、それだけならまだ存在を信じることもできるんだが、さっき気がついたんだ。
「オマンコは存在しない」んだと。
その根拠を幾つか述べよう。
1.女は絶対に「オマンコ」を見せたがらない。それも不自然なほど隠す。
あの嫌がり方は尋常ではない。女子小学生ですら見せるのを嫌がるではないか。
2.AVを見ていても「オマンコ」の部分には必ずモザイクが
かかっており、われわれは「オマンコ」を目にする事が出来ない。
これこそが「オマンコ」が存在しない何よりの証拠ではないだろうか。
3.日常生活で「オマンコ」という言葉をひとたび発すると、
法律で禁じられた行為であるかのような嫌悪の視線を受ける。
しかも公共放送でも「オマンコ」は放送禁止用語となっている。
これも明らかにおかしい。
俺は確信した。「オマンコ」は絶対に存在しない。
・・これでもあなたは「オマンコ」を信じますか?
73 :
世界@名無史さん:01/10/30 23:06
>>72さん ストリップ劇場へお行きやれ!!! 意外と明るい雰囲気で
楽しいですよ!!! ただ美人は少ないけど・・・
さて、ヨーロッパのイラン学者の間では、匈奴の支配部族は
イラン系の言語を話していたという説が近年有力になって
きたらしい。形質人類学的な研究ではないが。
74 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/30 23:12
>68
第一、回族(回民)の大半は言語も人種も漢族と
変らないでしょう?そりゃ先祖にはアラブ・ペルシャ・
ウイグルもいたけれど、その妻となった漢人女性や
イスラムに改宗した漢人男性も多かったのだから。
75 :
世界史ななーし:01/10/30 23:29
そりゃヨーロッパと中国は地続きでんがな。
思ったより、東西交流ははるか昔から盛んなのよ。
76 :
世界@名無史さん:01/11/12 02:45
>>73 >さて、ヨーロッパのイラン学者の間では、匈奴の支配部族はイラン系の
>言語を話していたという説が近年有力になってきたらしい。
とりあえず典拠を示してくれ。興味深いから。
ソグド人商人の住居跡は漢の長安からも見つかっており、
古代中国にコーカソイド系の民族が活動していた、というのは別に驚くほどのものではない。
>>71 また間違えた。「ユダヤ人の歴史地図」明石書店6500円 でした。
79 :
世界@名無史さん:01/11/15 23:07
ヨーロッパ人っていうとあれだけどインド=ヨーロッパ語族だったらそんなにびっくりしなくない?
80 :
世界@名無史さん:01/11/15 23:15
まあ、いたと言っても、白人(欧米系)ではなく、今でいうイラン人
やパシュツゥン人がいたってことじゃないの。
それに碧眼の中国人がいたといっても、日本や中国ではブルーも
グリーンも青というから、緑目は日本人にもいるし。
age
HP削除したのでコピペ置いておきます
---
黄河の河口に欧州人がいた
2500年前 DNA分析で判明
DNAレベルで弥生人の骨などの分析を続けてきた東大大学院理学研究科の植田信太郎助教授らが、黄河の河口に近い
山東省ツーポー市で実施した調査で、同地域に二千五百年前、欧州人ともいえる集団が住んでいたことが分かった。当
時、予想外に大規模な人類集団の移動があったことを示しており、日本人やアジア人の起源を知るための手掛かりにも
なりそうだ。
ツーポー市は、春秋から戦国時代にかけて戦国七雄の一つ「斉」の国の都があった場所。斉は秦の始皇帝に滅ぼされた。
調査は、中国山東省考古学研究所の協力を得て同市で発掘された約二千五百年前の春秋時代の遺跡の人骨三十四体、同
じく約二千年前の漢時代の遺跡の人骨十三体、さらに現在住んでいる漢民族の人たちから血液を採取してDNAを分析し、
比較した。
分析は、細胞の中にある小器官「ミトコンドリア」の環状DNAのうちDループと呼ばれる配列を調べた。この部分は六つ
の領域に分かれており、これまで世界各地の人類集団のデータが調べられているため、さまざまな比較ができる利点がある。
配列の違いから系統樹を作った結果、二千五百年前の春秋時代の人たちと、現代漢民族のグループはきれいに分かれ、
二千年前の漢時代の人たちはその中間に位置した。
さらに六つの領域に分かれている部分の出現頻度を詳しく調べると、これらの三集団で大きな差が見られ、特に、二千
五百年前の春秋時代から二千年前の漢時代の間に、遺伝的に大きな変化があったことが分かった。この変化は同じ人類集
団に五百年という期間で生じた突然変異では説明できないほど大きなもので、人類集団の入れ替わり(移動)があったこ
とを示していた。
では、二千五百年前に住んでいた人たちはどんな人だったのか。植田助教授らは配列のデータから集団間の遺伝的距離
を求め、現代の各地の人類集団を含めた系統樹をつくった。
すると、この人たちは、現代中国人からははるか遠く、現代ヨーロッパ人やトルコ集団に近い集団と判明。大きな動乱
の時代だった当時、ユーラシア大陸にまたがる大規模な集団の移動が生じていたらしいことが明らかになったという。
植田助教授は「ヨーロッパ人に近い集団が、今から約二千五百年前に太平洋に近い中国の東部にいたことが分かった。
常識を覆す発見だった」と話している。
(中国新聞 平成13(2001)年7月15日朝刊29面より)
84 :
世界@名無史さん:01/12/26 07:50
まじ?
85 :
世界@名無史さん:02/01/13 12:35
86 :
世界@名無史さん:02/01/13 15:17
私は何人も知ってるよ。絵の具のような緑ではなく、白人ではヘーゼル・ブラウン
という。色の白い人にいるよ。
87 :
世界@名無史さん:
うちのバーちゃん綺麗な茶色だよ(顔はたれパンダ)
母方のじーちゃんは、子供の頃ロシア人だと思ってた
ネイティブな新潟弁は通訳がいるよ
容姿も白人で通じたし
何がいいたいかというと、モンゴロイドでも、ヨーロッパっぽい人もいるし、その逆も然りだよ