○古代〜中世スラブ民族について語ろう○

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1世界@名無史さん
現在ヨーロッパ最大であり、言語的・宗教的に多様なこの民族は
どこからきたのでしょうか?
2世界@名無史さん:2001/07/10(火) 15:26
スキタイってスラブの先祖の一つなんだよね?
3世界@名無史さん:2001/07/10(火) 19:24
>>2
スキタイはイラン系だって言われてるけどね。
混ざっちゃったんでしょう。
4世界@名無史さん:2001/07/10(火) 19:38
> どこからきたのでしょうか?
ベラルーシあたりかと
5世界@名無史さん:2001/07/10(火) 20:29
でも、国によってきた場所が違うんだよね。
政治的な思惑で。
6世界@名無史さん:2001/07/11(水) 11:31
>>1
このヨーロッパ最大の民族の「支配階級」の出身地は二つ。
一つは西、オーデル川とヴィスワ川に挟まれた地域。今のポーランド中西部。
もう一つは東、ドニエストル川中・下流域。今のウクライナ南部。
古スラブ語を話す基層住民はこれらを包含する北はヴァルダイ丘陵から
南は黒海北岸およびカフカス山麓、西はエルベ川から東はウラル山脈までの
東ロシア平原の広大な地域に散在していたが、上記二つの地域の各部族が
5世紀に大移動を開始し、10世紀頃までに中・東欧で各王国を建設。
西の各部族はローマ・カトリックを採用、東は正教を採用した。
5世紀以前のスラブ人は、西ではケルト系・ゲルマン系・バルト系、
東では古代ギリシャ系・スキタイ系・サルマチア系などを各地で吸収し、
増加していったとされる。東ローマ帝国では、スラブ人の南下によって
領内が次々とスラブ化されていったため、「このままではいつか帝国全体がスラブ化
されてしまう」という懸念が広がっていた。
7世界@名無史さん:2001/07/11(水) 14:48
>>6
スラブ化されるとなんかまずいの?
8世界@名無史さん:2001/07/11(水) 15:35
>>7
帝国の権威や制度が守れなくなるからじゃないの?
9世界@名無史さん:2001/07/11(水) 16:07
そもそもスラブ人とラテン人の身体的違いってあんの?
10世界@名無史さん:2001/07/11(水) 16:21
スラブ人は白いのが多くてラテン人は黒いのが多い。
スラブ人とゲルマン人は身体的特徴が近い。
11世界@名無史さん:2001/07/11(水) 18:54
>>7 >>8
東ローマはスラブ人に領土を奪われてたんだよ。
12世界@名無史さん:2001/07/11(水) 20:45
19世紀のギリシア独立の時にはギリシアもほとんどスラブ化
していたそうだ。で、当時のロマン主義の流れに乗っかって
「俺達って古代ギリシア人の末裔?」ってことになって
ギリシア系の名前を名乗り、ギリシア語を話すようになったとか。
古代ギリシアからの血を引く者はエーゲ海の小島にわずかに
残るだけだそうだ。

古代スラブと関係ないのでsage
13ナポレオン:2001/07/11(水) 22:35
>>12
それって19世紀のドイツ人学者の説でしょ。
いまは否定されてなかったっけ?
よくわからんし古代スラヴと関係ないのでsage
14世界@名無史さん:2001/07/14(土) 09:54
>>9
スラヴ人はずんぐりしていて、ゲルマン人はすんなりしている。
ってのは合ってるの?
15世界@名無史さん:2001/07/14(土) 10:40
>>14
そんなことはない。
実物を見た限りでは。
16世界@名無史さん:2001/07/16(月) 16:19
>>14
それはオリンピックなどの力競技でスラブ系の国が強いことから
そんなイメージが出てきたんじゃないかな?

チェコ人やポーランド人などの西スラブ人とドイツ人は外見だけではもう全く区別がつかない。
とくに最近はスラブ人独特の髭(ワレサやマリシュのの髭)を蓄えた人が減っただけに余計そうだ。
この民族の境界は人種ではなく言語で引かれる。
まあ、イギリス人とロシア人なら区別がつくが。
17世界@名無史さん:2001/07/17(火) 14:15
人口・面積・言語数・文化の多様性はヨーロッパ最大なのに、経済力が足りない。
社会主義時代を経て、現代の北米・西欧財閥とのつながりが少ないのが
その原因かな?
18世界@名無史さん:2001/07/19(木) 01:26
東欧の人の髪の色ってのは
なんとなくイメージが沸かない。
ゲルマン系なら金とかだけど…
19世界@名無史さん:2001/07/19(木) 10:55
>>18
実際にいってみると西スラブなら金からブラウンまで様々で
たまにケルト的な真っ黒がいて、ドイツと全く同じだ。
ドイツの若い世代は外国人との混血も増えてきたから、西スラブのほうが
典型的なヨーロッパ的風貌の人たちの率が高いかな、という感じだ。
ロシアやユーゴのほうへ行くにつれてダークブラウンの人が増える印象を受ける。
20世界@名無史さん :2001/07/19(木) 16:04
南スラブはトルコ
東スラブはモンゴル
に犯されてます
21世界@名無史さん:2001/07/19(木) 16:15
>>20
今のドイツはトルコに犯されてるってわけだよな
22世界@名無史さん:2001/07/23(月) 12:22
ドイツのリューゲン島やエルベ左岸などの西スラブ人の遺跡で、
現在見学出来るものはどこですか?
23世界@名無史さん:2001/07/23(月) 12:50
>>19
ケルトが黒??
24世界@名無史さん:2001/07/23(月) 13:23
>>23
古代ケルト系の子孫には日本人のような黒髪で、肌が白く真っ青な眼の人々がいる。
ポーランドにもそういう人が多いとは知らなんだ。
25スラヴァ:2001/07/24(火) 08:17
民族が混じり合っているから、純露人でも、髪や肌、目の色はいろいろです。
一重まぶたの白人ってロシアで初めてみた。
ちなみにロシアで「黒い(チョールヌイ)」人々とは、カフカス地方出身の人
たちをさす。民謡の「黒い瞳」もそうらしいね。

ロシア人って、個人的にはドイツ人やスカンジナビア系の白人より一回り小さ
くて、髪の色が暗い漢字がする。女の人の場合、金髪でも脱色している場合が
多いし。(眉毛、睫毛見れば一発で脱色しているか分かる)

>>19
確かにポーランド人はロシア人より、金髪の割合が多いような気がする。
26アマノウヅメ:2001/07/24(火) 12:47
睫毛や眉毛が、金髪なのに黒っぽい人は多いようですよ。
27世界@名無史さん:2001/07/24(火) 17:02
>>26
あ、でもロやルの白っぽい金髪は明らかに脱色してるな。
アメリカ人の金髪も殆ど。例えばヒラリーとか。
28世界@名無史さん:2001/07/26(木) 06:41
29世界@名無史さん:2001/07/30(月) 00:38
>>27
金髪の人って結構脱色とかすんの?
30世界@名無史さん:2001/08/04(土) 05:38
スラヴ人が原住地から移動したのは
いったい何のためなんでしょうな。
31世界@名無史さん:2001/08/04(土) 05:48
だーかーらー、スラブとかゲルマンとかケルトとかラテンとかっていうのは、
民族・語族であって、人種じゃないんだよ、結果的には民族間で人種が綺麗
に分かれていることはあるんだけど。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/se-0-7b.htm
↑ここ見て、勉強しておくれ。
32世界@名無史さん:2001/08/04(土) 10:23
>>10
おいおい一丁前に識者気取りかよ?
お前スペイン人のイメージで色が黒いからラテン系だと思ってる典型的な
真性勘違い厨房だな。(w
肌が浅黒いラテン人がいるのはアラブ人の血が混じってるからだよ。
33世界@名無史さん:2001/08/04(土) 11:20
>>29
金髪を脱色してどーすんだよ??
34世界@名無史さん:2001/08/07(火) 11:47
>>30
アヴァール侵入期の平和による人口の増加から来る耕作地の逼迫ではないか?
アヴァールがフランクを攻める時にも、西スラブ人族長達の援軍を乞い、
贈り物をしたという記録が、ビザンチンにあるそうだが、そのような
ゆるい支配関係のもとで、案外スラブ人の地域は平和だったのではないか?
殆どのスラブ民族の大移動は、現在のポーランドから始まっているが、
東方はもちろん、ゲルマン人や東ローマと多少の確執があっても
西と南に広がろうとしていた。スカンジナビア半島へは行かなかった。
35世界@名無史さん:2001/08/08(水) 11:20
>>34
ゴート族侵入期にも、ゴート族が移動したのはヴィスワ川沿いで、しかも
中流から上流にかけての移動時期は短かったから、あの獰猛な部族でも
スラブ系部族との直接の確執を恐れていたといわれるからね。
ゴート族はスラブ諸族とはなんとかして闘わずに住地を換えようと(ゴート族が
住んでいた古代のヴィスワ下流は水はけが悪く、農業に向いていなかった)していた。
古代のスラブ人地域は案外平和だったと思う。
36世界@名無史さん:2001/08/08(水) 17:00
>>31にある「東ヨーロッパ人種」という分類は、現在はない。
これは北方人種とアルプス人種の中間にある地理的条件から来たもので、
この地域(中・東欧北部)は両方の特徴が混在する。
3736:2001/08/08(水) 17:01
蛇足だが、この地域に美男美女の多いわけは、このことによると思う。
38世界@名無史さん:2001/08/14(火) 13:28
西スラブの諸部族は昔ヴェンデ人と呼ばれていたが、ヴェネツィアは彼らの
一部族(ソルブ族?)が建設した町なので「ヴェンデ人の町」という意味なんだって。
ソルブ族と隣人のウジチャニエ族はベルリンやドレスデンも建設しているとか。
39世界@名無史さん:2001/08/15(水) 12:01
イタリアのヴェローナもスラブ人の作った町だよ。
40世界@名無史さん:2001/08/17(金) 11:31
ベルリンの話は聞いた事あるな〜
語源が熊だとかいう説があるらしいけど、はっきりしないとか。
41世界@名無史さん:2001/08/17(金) 12:38
現ドイツの比較的大きな町では、ロストク・デッサウ・ライプチヒ・
ツビッカウ・コットブスなども元々スラブ人の町だったらしい。
42世界@名無史さん:2001/08/17(金) 13:09
ドイツやオーストリアはゲルマン化したスラブ人、ポーランド・
チェコ・スロバキアはスラブ化したゲルマン人が多数いるからね
43世界@名無史さん:2001/08/20(月) 10:18
ウィーンもスラブ人が作った町。
スラブ時代はヴィンドボナ(ヴェンド人=西スラブ人の町)という名前。
44梵阿弥:2001/08/20(月) 10:27
ウラディミル・イリイッチ・ウリヤノフはカルムィク人とされている。
45世界@名無史さん:2001/08/20(月) 13:06
スラブ人の文化圏って、ドイツ人の東邦植民で随分と東へ圧迫されたのね。
46世界@名無史さん:2001/08/20(月) 15:33
古代スラブ人の一部とされるネウロイ人の人狼伝説は興味深い
47世界@名無史さん:2001/08/20(月) 21:14
>>46
どんな伝説ですか?
48世界@名無史さん:2001/08/21(火) 00:03
狼の伝説は多いね。古代ローマの話からなのかもともと多く生息する土地柄からか、、、
49世界@名無史さん:2001/08/21(火) 02:44
>>38
ヴェネチアは違うんじゃないか?
ローマの属州名からだろ。
アッチラのイタリア侵攻時にアクィレイアとかの難民が干潟の上に町をつくったのがはじめ、と聞いた。
属州名がスラヴから、はないと思うが。
50:2001/08/21(火) 07:10
>>44
正確には父方の祖母がカルムィク人。母方のグロスショップ家はもともとリューベックから出たドイツ系ユダヤ人の家系のようです。
51世界@名無史さん:2001/08/21(火) 10:29
>>49
ベネチア(おそらく古代はメストレとその近郊)は、もともと東欧から中欧・南欧に
かけて進出してきた古代ヴェンド人(古代スラブ人かイリュリア人か、
あるいはその混成か?そもそも前千年紀ごろのイリュリア系とスラブ系の
正確な境界線はない)の町だったから「ヴェンド人の土地(住む場所)」の話は
正しいです。
ローマとかアッティラとかよりはるか昔の話です。
52世界@名無史さん:2001/08/21(火) 10:53
ネウロイ人
ヘロドトス『歴史』巻四(松平千秋訳、岩波文庫)
「イストロス河(ドナウ川)より北方、内陸に入り込む方面にお
いて、スキュティアの国土を限るのは、まずアガテュルソイ、
ついでネウロイ、アンドロパゴイ、最後にメランクライノイの諸
民族である。(中略)
 ネウロイ人はスキュティア風の慣習に従っているが、ダレイ
オスの遠征より一世代以前に、彼らは蛇の襲来にあい、全国
土から退散せねばならぬという羽目に陥った。(中略)故国を
捨ててプディノイ人とともに住むことになった。
 この民族はどうやら魔法を使う人種であるらしく、スキュタイ
人やスキュティア在住のギリシア人のいうところでは、ネウロ
イ人はみな年に一度だけ数日にわたって狼に身を変じ、それ
からまた元の姿に戻るという。私はこのような話を聞いても信
じないが、話し手は一向に頓着せず、話の真実であることを
誓いさえするのである。」

ネウロイ人が狼に変身することについては、カルロ・ギンズブ
ルグ『闇の歴史』が論じていますが、この民族は原バルト海
人であるという説を紹介しています。
53世界@名無史さん:2001/08/21(火) 11:11
>>46 >>52
ネウロイ人についてはその人狼の習慣から、現在のスラブ民族と
バルト民族(この二つは言語学的にヘロドトス時代単一の語族だった)の
先祖にあたる部族の一つ(あるいはいくつかの集合)と考えられています。
人が狼に変わるのは古代のスラブ・バルト民族だけに見られる習慣で、
一年のある時期の満月の前後に、部族の一部(多分戦士となるもの)が
儀式を用いてトランス状態に陥り、狼の毛皮を被って心身共に狼と化します。
狼に変身している期間は、生活や動作などは全く狼そのもので、森に潜み
動物を襲い生でその首を引きちぎり、生肉を齧ります。ある者は何度も
宙返りを繰り返したり、狼のように遠吠えをしたりして、野生の凶暴さを
存分に表現します。そして期間が終わると人間に帰り、何食わぬ顔で
集落に帰ってきます。この習慣は狼の雄々しさ猛々しさを身に付けた戦士と
なるための一種のイニシエーションのようなものだったと考えられています。
この人狼については、伝説となって現在のスラブ諸族・バルト諸族に
伝わっています。
54世界@名無史さん:2001/08/21(火) 13:14
古代スラヴ人の部族は個々にスキタイ・ヴェンド・ネウロイなどの名前で
古代ギリシャの記述にはたびたび現れてきたのに、紀元前後の古代スラヴ人の
弱体化の原因は何なんだろう?
55梵阿弥:2001/08/21(火) 14:23
>54
スキタイがスラブというのは初耳ですな。
56世界@名無史さん:2001/08/21(火) 18:40
>>55
ヘロドトスはスキュタイ人(スキタイ人)の中にいろんな民族を含
めているようです。『歴史』巻四、17〜18によると、ポリュステネス
川(ドニエプル川)の河畔にある港を起点として、

「まずカリピダイというギリシア系スキュタイ人が住んでおり、そ
の向こうにはアリゾネスという名の民族が住む。(中略)
 アリゾネス人の向こうには「農耕スキュタイ人」が住むが、彼ら
が穀物を栽培するのは、自分たちの食用のためではなく、他に
売却するのが目的なのである。その向こうにはネウロイ人が住
むが、ネウロイ以北はわれわれの知る限りでは無人の境である。
(中略)ポリュステネス河を渡って、海辺から北上すれば、まずヒ
ュライア(森林地帯)があり、ここからさらに上れば「農民スキュタ
イ人」が住む。」云々。

ここで「農耕スキュタイ人」と「農民スキュタイ人」というのが出て
くるのですが、これらが原スラブ人であるという説があるそうです
(中央公論社、世界の歴史11 ビザンツとスラブ)。

遊牧民のスキタイ人の末裔は、コーカサス山脈の北オセチア(ロ
シア)、南オセチア(グルジア)にいるオセット人(ナルト叙事詩と
いうのを伝えるイラン系民族)とされていると思います。
57世界@名無史さん:2001/08/22(水) 10:40
>>56
スキタイ人についても、
例えば、ゲルマン民族のように、スカンジナビアにとどまった
北方種族(アイスランド人のような古い言葉を話すものなどが典型)と
大陸本土に南下し、スラブ人やケルト人など隣接民族が同化していった
南方種族(一応ゲルマン語派に属するが、古代の種族とは人種的に
変質したドイツ人・イギリス人などが典型)のように、
いろんな人たちがいる上に、北方派と南方派では互いに言葉が
通じないほど分化してしまったようなものなのでしょうか?
58世界@名無史さん:2001/08/22(水) 10:46
>>55
ヘロドトスの記述などに出てくる、「農耕するスキタイ人」というのは
>>56氏の指摘するように以前からほぼスラブ系の祖先の一部だろうと
言われていたが、近年ではその説に間違いないとされている。
スキタイや後のサルマートなど、東欧からコーカサスにかけての
森林地帯に接するステップに進出した部族は、その大部分がいわゆる
「森の民」と呼ばれていた、のちにスラブ人(やバルト人)となるスラブ租族
と同化していったということが、考古学的・言語学的に推定されているそう
(スラブ租族は広範囲に分散して居住し文明は発達しなかったが、
日本の縄文人のように、周辺民族よりも相当高度な生活文化を保持し、
その生活文化的優位性が多部族を吸収した一因とされている)。
スキタイ=スラブではなく、スキタイはスラブの先祖の一つ。
イラン系の他にはケルト系・ゲルマン系・イリュリア系・
フィノ=ウゴル系の諸語族の一部が、それぞれスラブ(バルト)系の
基層住民に同化していった。
スラブ系の先祖について、西方の部族(ヴェンド人)は馬を使用せず、
狩猟採集生活と焼畑農業を基本とし、東方ではステップ地帯の
騎馬民族との同化の影響から馬に乗る生活を覚えたと考えられている。
ここが古代のゲルマン人のような排他的部族の成立の時点から
異なる点で、この意味では日本における大和民族の成立にも似ている。
59世界@名無史さん:2001/08/22(水) 17:09
ラテンやゲルマンやケルトの陰に隠れがちだが、
なんだかんだいって案外スラブ民族ってスゴイかも。
60梵阿弥:2001/08/23(木) 09:30
>>55
オセト人は奄蔡やアッシリア人の末裔とも言われています。
神話伝承にアッシリアと共通するものがあるそうです。
61 :01/08/27 20:34 ID:oW6nd6Zc
62梵阿弥:01/08/28 16:53 ID:jHnqr0xc
Slavというのはスラヴ語で Slovo=言葉 とつながる語で、「誉れ」
といった意味なのだが、一時期大量に流通したため英語のSlaveは「奴隷」
の意味にもなってしまった。
63世界@名無史さん:01/08/28 17:15 ID:JsTyPiOs
古代スラヴ人地域からの主要な輸出品は奴隷と毛皮で、
マグデブルグやマインツのユダヤ人商人を通して西欧とくに
イスラム教徒のスペインへ送られた。
当時のスラヴ人支配層は僻地のスラブ人を征服し、非征服民のスラヴ人を
奴隷として輸出していた。
大和の豪族が蝦夷や熊襲を征服して彼らを中国などへ輸出したとしたら近いか?
現在では区別するためにスラヴはSLAV。
形容詞はSLAVICに対して「奴隷」の形容詞はSLAVISHと別単語として
使用されている。

だが、当時「スラヴ人」っていう言葉一般に使われていたのかな?
6449:01/09/04 02:46 ID:hA78he.E
ヴェネツィアに関しては失礼した。

>スキタイ
いうまでも無いことかもしれないが、これはあくまでギリシア人による他称。
漠然と北方の諸民族を指した言葉に過ぎないので、
スキタイ=スラヴ
ではないし、
スキタイ=イラン系
もまちがい。
ペルシアの方では北方民族をサカと呼んだらしいが、このサカとスキタイの関係も漠然としている。
65世界@名無史さん:01/09/04 11:38 ID:ey1n.SUE
>>64
スキタイ人の中では、現在はヘロドトスの記述で言う「農耕スキタイ人」、
「農民スキタイ人」、「ネウロイ人」、「ブディノイ人」が古代スラブ系にほぼ
間違いないだろうということになっている。
「王族(自由な)スキタイ人」は生粋の遊牧民で、サルマート人に滅ぼされてからは
他民族と同化して消えていったので、血のつながりはあるかもしれないが、
文化的には直接の関連性がない。
スラヴ系の先祖の一つにサルマート人がいるというのは、まあ正しいとも
間違っているともいえない。
サルマート人の女系の先祖のアマゾネスに至っては伝説の域を出ない。
66世界@名無史さん:01/09/05 14:40 ID:bt0JDFg.
age
67不逞勤人ジョーカー:01/09/05 14:57 ID:5NGLXXVQ
ありゃ?スキタイもサルマートもイラン系じゃ
なかったの?
68世界@名無史さん:01/09/05 15:02 ID:6DlK7V2I
スキタイもサルマートも大体イラン系の言葉を話していた。
ところが、スラブ語とバルト語の語派はイラン系語派に
非常に近いんだな、これが。
古くから使われている語彙には多くの共通性があるそうな。
69梵阿弥:01/09/06 14:32 ID:goLWIiwc
>>68
紀元前200年頃スラブ人の祖はサルマタイの支配を受けた為に天や神といった語彙が共通する
そうな。しかし、サルマタイの言葉はどうやって調べたのだろう。ペルシア語やタジク語や
オセト語辺りの比較検討だろうか。
70世界@名無史さん:01/09/06 14:57 ID:McNamRRs
>>69
スラブ人の先祖の「一部」がサルマタイの「一部」に支配されたと言った方が正しい。
おそらくステップ遊牧民のサルマタイが攻撃しやすい、森林とステップの
境界周辺の部族だけだろう。
ただ、スラブ人全体に対してのサルマタイの文化的影響は
大きかった(とくに高度な馬術を覚えた)。逆にサルマタイもスラブ人への
同化の課程で農業技術を覚えていっただろう。後の時代にヨーロッパ文化に
同化したマジャール人のように。
71世界@名無史さん:01/09/27 22:57
 
72世界@名無史さん:01/10/03 23:47
ドナウ川下流域にいたというスラヴ系の「七部族」のことが、
『世界各国史バルカン史』に載ってましたが、この「七部族」
について載っている本はありませんでしょうか?
73世界@名無史さん:01/11/05 16:47
>>72
北海道大学スラブ研究センターに問い合わせてみると親切に教えてくれる
74世界@名無史さん:01/11/22 21:08
ドイツの少数民族、ヴェンデン(ソルブ)人について教えて。
ついでに東方植民についても語ってもらえるとありがたいです。
75世界@名無史さん:01/11/22 23:59
>>74
スエビ族が西方へ移動して人口が希薄になった5世紀頃から現在の旧東ドイツ地域、
エルベ川の右岸まで進出し10世紀頃には部族国家に分かれて暮らしていた西スラブ人
(現在のポーランド人・チェコ人・スロバキア人など)の一派。(もっと昔、
ローマ時代には古代スラブ系のほとんどはヴェンド人と呼ばれていた。さらに
昔にはイリュリア系と思われる人々がこの名で呼ばれていた。)
ヴェンド人はキリスト教を受容し大王国を成立させたポーランド人・
ボヘミア人・モラビア人とは異なり、小部族国家に別れ、旧来のスラブ人の
多神教を守っていたため、キリスト教圏の拡大をねらうドイツ人
(神聖ローマ帝国)・ポーランド人・モラビア人・ボヘミア人の長年の
攻撃にあい、国家群を消滅させていった。最後の国家群は現在の
ドイツ・ブランデンブルグ州にあたる場所あったが、最後にはキリスト教に
帰依し、彼らの独立の歴史は幕を閉じた。最後のヴェンド族は
プロイセン・ドイツ人としてドイツ系に文化・言語的には吸収されるかたちで同化し、
後代のプロイセン→ドイツ帝国へと変貌した。ベルリンはヴェンド人のある
部族国家の首都であった。別のヴェンド人部族の中には、
キリスト教受容後も彼ら自身の伝統文化と言語を大事にし、現在に
至っている。ドイツのコットブスやバウツェンを中心に彼らの言葉(ソルブ語)の
話し手が10万人ほどいる。
76世界@名無史さん:01/11/23 00:54
ウィーンもヴェンドボナという名のヴェンド人の町だった
77 :01/11/23 01:29
読めば読むほど、ゲルマンは幻想のような気がしてきた。せいぜい、スラブの一派か、スラブとケルトの境界線上の混交文化にすぎなく、ケルトやスラブに並ぶような独自文化とは思えない。
78世界@名無史さん:01/11/23 07:49
>>77 いや、ゲルマンはゲルマンで独立していた。境界線上では
スラブ人と区別が付かなかったが。いくつかのスラブ部族はローマ人によって
スエービー人の一部と認識されている。ヨーロッパへの進入経路もケルトやスラブが
東方からなのに対し、ゲルマン系はスカンジナビア半島を経由して北方から。
ただし、ガリアのケルト人とゲルマン人ははっきりと区別されていた。
一方、スラブはスラブで非常に謎の多い民族ではある。
79世界@名無史さん:01/11/23 10:06
>77ゲルマンが幻想なのじゃなくて、「ドイツはゲルマン人の国」
というのが幻想なのでは?
南のバイエルン州はボヘミアの血が入ってるし。
80世界@名無史さん:01/11/23 23:09
>77
関係ないけど、ドイツ語の「ライヒ」という語はケルト語
起源の言葉。
もともとは「神のみくに」のような宗教的意味合いを帯びた言葉だった。
81世界@名無史さん:01/11/25 22:00
>>79
これはある意味至極当然のことなんですが、なぜか日本人は
ドイツ=ゲルマンのようなイメージを強く持ってますね。
2ちゃんねるのあちこちのスレでも。
近代までの非民主的な国家の時代には、ドイツにおける支配者は
ゲルマン人でしたが、いわゆる庶民の基層文化においては、
非ゲルマンの影響が強く見られます。
現代、特に戦後においては尚更です。非ドイツ人の先祖を持つ人々が
多く社会の第一線で活躍しています。スラブ系の子孫しかり。
ドイツの首相や産業連盟の会長など、政治経済だけでなくあらゆる分野に
スラブ系など、非ゲルマンの苗字をもつ人々が進出しています。が、
現代のドイツ国内においてはむしろスラブとかゲルマンとかいう考え方は
すでに陳腐化していると言っていいでしょう。
82世界@名無史さん:01/11/26 09:47
>81
ドイツだけじゃなくて、オーストリアもそうですね。
オーストリアの貴族にキンスキー家という苗字がありましたけど。
このキンスキー家のテレザがポーランド最後の国王
スタニスワフ・ポニャトフスキの弟に嫁いで生まれたのが
ユーゼフ・ポニャトフスキ。
コシチューシコとならんで、ポーランドでは有名な人らしい。
83世界@名無史さん:01/11/26 20:33
>81
逆にロシア史読んでると、結構ドイツ系の姓を持った人が多いのに驚く。
帝政時代のロシアの将官はドイツ名の人が多い。
たぶんバルト三国の出身だろうけど。
84 :01/11/26 21:05
テストするべ
85世界@名無史さん:01/11/26 22:09
>>83
庶民にだってドイツ系の姓は多い。本人たちはれっきとしたロシア人。
要するにすでにロシア化したわけだ。
ヨーロッパなんてみんなこんなもん。
だから民族主義が馬鹿馬鹿しいユエン。
86世界@名無史さん:01/11/26 22:21
>>82
あのヤン=ヘンリク=ドンブロフスキ将軍も母親はドイツ系だしね。
87世界@名無史さん:01/11/26 22:35
>>83,>>85
帝室ロマノフ家もよくドイツから嫁はんもらってましたな。
88世界@名無史さん:01/11/26 23:03
あっぷるコンピューターってポーランド人が作ったんだよね。
89世界@名無史さん:01/11/26 23:14
スティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアック?
90世界@名無史さん:01/11/28 09:52
>>89
後の方がポーランド人。
ステファン・ヴォズニァク。
91世界@名無史さん:01/12/08 13:12
ロシアについてお尋ねします。
ロシアと西欧を比べると、キエフ・ルーシの時代までは
それほど差異が感じられないのですが、
のちにロシアは「アジア的専制」と呼ばれるような社会になっていきます。
よくこれをモンゴルの征服による負の遺産、と説明している文章
を見かけますが、わたしはすべてをモンゴル人のせいにする事は
出来ないのではないかと思います。
ロシアと西欧の間になぜこれほど大きな差異が出来たのか、
その理由について考察していただきたいです。
92世界@名無史さん:01/12/08 15:34
「アジア的専制キリスト教帝国」であった、東ローマの流れを組んでいるのも、
原因のひとつでしょ。
93世界@名無史さん:01/12/08 21:17
領土があまりにも広大であり、かつ多民族国家だったから、
ということはない?
94世界@名無史さん:01/12/12 17:11
この前ある人からプラハは昔、交易の要所でもなんでも
なく、僻地すぎて人も住んでおらず、商人も
その土地を迂回して交易してた、と聞いたんですが、
いつごろからプラハは出来たんでしょうか?
95世界@名無史さん:01/12/12 20:23
>>94
プラハというのは川の「右岸」という意味。
東欧のあちこちにある。
ワルシャワのヴィスワ右岸の低地地区もプラガ(チェコ人は"g"をhと発音)という。
96世界@名無史さん:01/12/20 04:54
>95
プラハの語源は「敷居」ってのは間違い?
97世界@名無史さん:01/12/20 23:49
13ウォーリアーズ見た人いる?
98世界@名無史さん:01/12/21 04:24
>97
見た〜。けど、小説の方が面白い。
てか、映画つまんない。
99世界@名無史さん:02/01/03 06:58
「北人伝説」は面白いよ。
100世界@名無史さん:02/01/04 17:56
>>75
現ドイツ領内のスラブ人もオボドリドやヴェレティなどは、
勃興期のポーランドと並んで強敵視されてたよ。

また、バイキング時代の終了しかけている11世紀後半のデンマークは対岸のスラブ人に攻撃されてた。
101世界@名無史さん:02/01/04 18:16
パンノニアのスラブ人政権はあっさり逝っちゃたね。

あ、そうそう。山川のバルカン史によると、
クロアチア人セルビア人の祖先はイラン系の遊牧民族と書かれていたけど、具体的には何か分かる?
まぁ、フン崩壊後のアランとかゲピデに破れたサルマート系辺りなのかとは思うが。
102世界@名無史さん:02/01/05 00:09
>101
その辺のことは良く分かりませんが、ただクロアチアのイラン起源説については
ペルシア帝国のダレイオス一世の石版にHarauvatiという語がでてきます。
ちなみにクロアチア人の自称はHrvatです。
あと、ペルシアの「アヴェスタ聖典」にはKarahvatiという語も記録されています。
103世界@名無史さん:02/01/05 04:47
カランタニア人の語源って何でしょ?
今のスロベニア人の祖先にあたるのかな?
104世界@名無史さん:02/01/05 05:02
結局サモの王国って何なんでしょうねぇ。
105世界@名無史さん:02/01/05 21:27
>>102
名称の起源はともかく、ただ部族的には、ホルヴァト族は今のポーランド、ヴィエルコポルスカ地方から出ているよ。
106世界@名無史さん:02/01/07 22:34
>104
623年ごろ、フランク人と推測されるサモの指導下に、
ボヘミアやモラヴィア、スロヴァキアのスラヴ人がアヴァールに
反乱をおこして建国した国です。
アヴァールの脅威に悩むビザンツ帝国が後ろで糸を引いていた
可能性もあります。
この国はサモの死後、659年ごろにアヴァールに滅ぼされます。
107世界@名無史さん:02/01/07 23:01
>>106
スラブ諸侯の利害対立が激しかったので、部外者で統率力はないが
資金力のあるサモが担ぎ出されたようですね。逆に統率力など
あっては困るので。自民党の派閥力学とそっくりで面白いですね。
108104:02/01/08 04:38
>>106>>107
お答どうも。
結局は部族連合の域を出てないのですねぇ。
109世界@名無史さん:02/01/08 13:18
>103
そうです。
カランタニア(ケルンテン)候国は神聖ローマ帝国皇帝オットー一世の
治世にこの地域にハンガリーからの攻撃に対する備えとして設けられたものです。
これに含まれたスロヴェニアは、むしろ独自の性格を維持することができたと
いわれています。
110世界@名無史さん:02/01/10 17:28
>>104
サモって奴隷商人グループの頭目だったって話は本当ですか?
111世界@名無史さん:02/01/12 09:26
>>107
なるほど。
112世界@名無史さん:02/01/12 12:52
イベリアのターイファ期に出現するサカーリバ政権に関して述べられる人いる?
113世界@名無史さん:02/01/12 16:44
>>36
純粋に好奇心から質問するのだが、東欧人種の存在が否定されたのはどういう理由
からで、いつのことなのだろうか。
それと、否定されるまでは、東欧人種=スラブと考えられていたのだろうか。
114世界@名無史さん:02/01/12 22:31
本当です。
サモが危険を冒してまで遠いスラヴの地まで出かけていったのも、
奴隷貿易が莫大な利益をもたらしたからです。
サモの王国とフランク王国の間で戦争が起こったとき、
フランクの遠征軍に加わっていたアレマン人とランゴバルド人は
大量のスラヴ人を捕虜にして連れ帰っています。
それ以後、西欧が東欧と行う取引で最大の商品は奴隷になりました。
カロリング朝になると、奴隷貿易はいっそう体系的になり、
フランスの司教都市ヴェルダンは奴隷を去勢してスペインの
イスラム教徒に輸出する拠点となります。
115世界@名無史さん:02/01/13 19:45
>112
「サカーリバ」とは中世アラビア語で東欧のスラヴ人を指します。
しかし、実際にはサカーリバにはドイツ・フランス・イタリア
出身者もいました。(これに対して黒人奴隷はアビドとよばれます)
しだいに彼らが軍事上・政治上の主要な地位をしめるようになり、
自由人のイスラム教徒よりも影響力をふるいました。
116世界@名無史さん:02/01/14 03:23
>>115
で、イベリアでのサカーリバ政権の範囲や期間は?
君主の名前は?
教えてよ。
117110:02/01/16 04:28
>>114
ありがと。
でも日本の文献でそこまで載ってるのってある?洋書から?
118世界@名無史さん:02/01/16 10:03
>117
佐藤彰一/池上俊一著『世界の歴史10 西ヨーロッパ世界の形成』
(中央公論社)からの引用です。
たまたまサモのことが書いてあったので。
119世界@名無史さん:02/01/26 11:32
幕末の日本で活躍した英国人外交官にアーネスト・サトウというひとが
いましたが、このSatowという姓は、ドイツのバルト海に面した
ヴィスマール(Wismar)という港町の近くにSatowという地名が
あって、「種をまく人の村」という意味だそうです。
そしてこの綴りから推測して、Satowという名前は、ドイツ北東部に
移住してきたスラヴ系のヴェンド人に由来するものだったらしいです。
(サトウの父はドイツ系ラトヴィア人で、英国に移住した)

英語式に「サトウ」と発音するとなんだか日本人の名前みたいですが、
ドイツ風、あるいはスラヴ風だとどんな発音になるんでしょうか?
どなたか分かる方教えてください。
120世界@名無史さん:02/01/26 20:41
>119
ドイツ風だとザトウでしょうか。ドイツ語のSは母音と結びつくと濁音になりますから。
ちなみにベルリンのPankow地区は日本語表記でパンコウかパンコーです。
121世界@名無史さん:02/01/27 22:58
ヴェンド風にサートフ。ただし長音はそれほど伸ばさない。サトフにも近い。
ヴェンド人の言葉はポーランド語に一番近い。
122世界@名無史さん:02/01/28 00:12
>120、121
ありがとうございます。
この人の名前を最初読んだとき、
「変わった名前だなあ」と思いました。
ザトウやサートフだとそれほど印象に残らなかったと
思います。
123芸能人の整形前:02/01/28 00:15
124世界@名無史さん:02/01/28 00:17
>>123
とりあえずキエロ
125世界@名無史さん:02/01/28 03:37
Satowのowは多分オフじゃなくてウフだと思う。
つまりもともとはサトゥフ。たとえばポーランド語ではoの上に点がついている。
-owというのは、よくあるスラブ系の接尾辞で、村や町の名などについている。
たとえばドイツのRathenowやポーランドのRzeszow。チェコのTachowもそう。
これと同様なのが-aw。ドイツのDessauやZwickauとかポーランドのWroclaw。
とくにWroclawはドイツ語ではWreslauとも表記される。
Warszawaも同じ。ドイツ語では-auで終わる。
-linや-enなどもスラブ系の土地に関する接尾辞。BerlinとかLublinとかDresdenとか。
まあその辺までが11世紀ぐらいまでスラブ人の土地だった。
エルベとザーレの両河川より西側にはそういう名前のとちはまずほとんどない。
126世界@名無史さん:02/01/29 00:53
age
127世界@名無史さん:02/02/04 12:46
>>112 >>115
サカーリバというのはスクラベンの転訛です。
スクラベン(スクラヴェニ)族は今の南ロシア地方にいた東スラヴ系の部族で、
ビザンチンとも接触がありました。
コンスタンチノープルは彼らの名前から、彼らと似た言葉を話す
北方民族をスクラヴェニと総称し、そこからスラヴということばが生まれます。
またスラヴ(スラフ)という言葉そのものもスラヴ語で「栄光」という意味があります。
これはスクラヴェニの語幹スクラフと同じ意味です。
中世奴隷としてイベリア半島に送られたのは東スラヴのスクラヴェニ族その他が
征服した土地の原住民と思われます。
それら奴隷を総称してスクラベン(族の特産品)=サカーリバと呼んだわけです。
128世界@名無史さん:02/02/07 21:13
現在のリトアニア人・ラトヴィア人は、バルト系とゲルマン系とスラヴ系の
混血ですか?
129世界@名無史さん:02/02/07 23:24
>>128
血筋を辿ればそうなります。ヨーロッパの民族主義というのは19世紀に
なってからの、しかも科学とはかけ離れた感情的な概念ですので。
たまたまバルト系の文化の下にあった人々が現在のリトアニア人と
ラトヴィア人となっただけです。
逆にドイツ人もポーランド人もバルト系とスラヴ系とゲルマン系の混血です。
130世界@名無史さん:02/02/08 16:38
>129
ありがとうございます。
それにしても、バルト三国はハンザ同盟との関係からも、もっと取り上げられて
いい地域のように思います。
2001年の8月17日にリガで建都800年祭の祝賀行事がとり行われましたが、
ドイツの大統領やスウェーデン国王も参列していましたし。
131世界@名無史さん:02/02/08 18:19
>>130
バルト三国は言語が障壁だと思って敬遠する人が多いのかも。
132世界@名無史さん:02/02/13 16:29
「タリン」はエストニア語で「デンマーク人の街、要塞」を
意味する。
1219年にデンマークのヴァルデマール二世が艦隊を率いて
エストニア北部に上陸し、先住民族に勝利を収めると、丘の
上にキリスト教の聖堂を建てた。
これがタリンの由来。
ゴットランド島からは200人のドイツ人がやってきて、
下町に住み着いた。
彼らは次第にドイツ商人街を形成し、13世紀後半、正式に
ハンザ同盟に加盟。
133世界@名無史さん:02/02/13 16:37
>>132
バルト人は異教を信仰し、中央政府を持たず部族ごとに平和に暮らしていたから、
侵略目的で来る外国人を撃退できなかった。
134世界@名無史さん:02/02/14 15:58
ラトヴィアのリガはかつてリューベック、グダニスクに次ぐバルト海
第三の交易地だった。
ロシアからの主な交易品は毛皮、木材、獣脂、皮革。
西欧からは塩、ニシン、ワイン、ビール、香辛料など。
ちなみにリガには帯剣騎士団城址が今でも残っている。
現在大統領官邸になっているリガ城は1330年にドイツ騎士団の
ために建造されたもの。
135世界@名無史さん:02/02/15 01:28
ビリニュスとミンスクの起源はなんですか?
136世界@名無史さん:02/02/15 19:29
>135
ビリニュスは1323年にリトアニア大公ゲディミナスがここを首都と
定めた。
1579年にはビリニュス大学も創立。
バルト三国の首都のうち、唯一外国勢力に侵略されずに街が築かれた。
137世界@名無史さん:02/02/15 19:38
ミンスクはポロツク公国の一都市だった。
ポロツクは一応キエフ公国の属州になっていたが、
かなりの独自性を保っていたらしい。
なお、このポロツク公国こそがベラルーシの起源では
ないかという説もある。
138世界@名無史さん:02/02/17 00:03
>>137
>ベラルーシの起源
地理的な意味合いはともかく、どのような歴史的連続性があるのですか?
139世界@名無史さん:02/02/17 00:22
>>138
「連続性がある」と主張せねば
小国ベラルーシは古のルーシの一部としてロシアかウクライナに呑まれてしまう。
そういうことでは?
140世界@名無史さん:02/02/17 00:26
>>139
ベラルーシはロシアに急接近しているようだが、ロシア連邦に加入する
可能性が限りなく高い。そもそもベラルーシの民族主義そのものが
はっきりとした形で現れた歴史がない。
政治的にロシアに対して突っ張る意図なんてあるんだろうか?
141世界@名無史さん:02/02/17 15:59
>138
キエフ・ルーシ崩壊とモンゴル侵入後、ポロツクを含む西方ルーシ諸公国は
ポーランド・リトアニアの影響下に入り、それからずっと独自の性格を保ちつづけ、
近代になってベラルーシ国家になったということだと思います。
この説にもいろんな弱点がありますが。
142世界@名無史さん:02/02/18 14:39
>>141
なるほど。
しかし近代までに地主階級の家系はリトアニア人やウクライナ人と同じく
皆ポーランド化していたわけですよね。
弱点というのはこれと、あと対戦中のソ連によるヤラセ「独立」でしょうか?
143142:02/02/18 14:40
対戦中→第二次世界大戦中
でした。
144世界@名無史さん:02/02/18 16:19
>142
あと、古代ポロツク語と現代ベラルーシ語に言語的な連続性が
あるかどうかなども調べなければいけないのではないかと思います。
145世界@名無史さん:02/02/20 01:31
旧ソ連のモルドヴァ共和国ですが、ここの住民はフィン系ですか?
146世界@名無史さん:02/02/20 02:04
旧ソ連のモルドヴァ共和国(現在ベッサラビア地方の独立国)はルーマニア系です。
現在のロシア連邦内のモルドヴァ共和国はウラル系(フィン系と同系)。
147世界@名無史さん:02/02/20 20:06
>>146
ありがとうございます。
エストニアの人類学者K・マルク女史は、ウラル系諸民族を
オビ型、ラポノイド型、バルト型、北方型、中欧型のいずれかに
分類しています。
エストニアやフィンランドでは北方型とバルト型の形質を持つ人が多いですね。
モルドヴァあたりだとサーメによく似たラポノイド型(平顔、短頭)が多いです。
148世界@名無史さん:02/02/21 13:13
ロシアで、6月末の夏至の時期に行われる「イヴァン・クパーロの祭り」
は、もともとベラルーシから伝わったものらしいね。
まず水辺で水浴びをし、そのあと焚き火を飛び越えて体を温め、
民族舞踊を踊る。
夏を前に悪霊を祓う意味があるとか。
149梵阿弥:02/02/21 15:44
ベッサラビアの方はMoldova、ヴォルガの方はMordovaでしたかね。
150世界@名無史さん:02/02/21 20:46
上を向いて歩こう
151世界@名無史さん:02/02/21 21:08
>>147
形質分類は、それ自体の意義が問われているから、
気をつけた方がいいよ。
152世界@名無史さん:02/02/21 21:48
ポーランドのトルンもハンザ同盟都市だった。
ここはコペルニクスの生誕地。
階段状の破風をもつハンザ同盟都市特有のゴシック建築が残っている。
バルト海沿岸で採れた琥珀をヴィスワ川上流のワルシャワやクラクフ
へ運ぶ中継都市として栄えた。
153世界@名無史さん:02/02/21 23:15
すいません、質問します
山内進 著「北の十字軍」(講談社選書メチエ)のような
ドイツ東方植民とスラブ民族との軋轢をテーマにした邦文文献は
ほかにどのような本があるでしょうか?お教え願います。
154世界@名無史さん:02/02/22 17:11
J・アンセル『スラヴとゲルマン東欧民族抗争史』(弘文堂)
はどうですか?
155世界@名無史さん:02/02/22 17:16
>>153
ステファン・キェニェーヴィチ「ポーランド史」(恒文社)はどう?
スラブ・ゲルマンといった民族対立の旧時代的視点は比較的弱められていて
むしろ経済史的視点から歴史を説いていて、現代的で教えられるところが多い。
156世界@名無史さん:02/02/22 17:28
>>152
トルンは伝統的に琥珀も扱っていたが、中世はむしろ穀物輸出で栄えたのでは?
古代(ローマ期)はカリシュが琥珀中継で有名で、いまはピアノ生産。
157世界@名無史さん:02/02/23 00:23
>>156
「カリシア」ブランド!
最近日本にも紹介されている、けど高い!
158世界@名無史さん:02/02/23 13:50
>>157
今はピアノのほかに玩具、皮革製品、食品加工、繊維工業、機械工業
が盛んらしいですね。
159153:02/02/23 18:00
>154 >155
ありがとうございます。
160世界@名無史さん:02/02/24 18:14
>>105
WWUの「クロアチア独立国」時代に、クロアチア人はスラヴ系ではなく、
西ゴート族(ゲルマン系)だというトンデモ説が登場した。
161160:02/02/24 20:07
クロアチアのトゥジマンは、「クロアチア人のイラン系起源を証明する」
ために調査隊をイランや中央アジアに派遣する計画を立てた。
新通貨の名称をファシズム政権である「クロアチア独立国」時代の
「クーナ」にしようとした。
さらにスロベニアにも領土要求を突きつけ、両国関係は最悪の状態になった。
DQN政治家。
162世界@名無史さん:02/02/24 20:16
スラブ人全体がペルシャ系との関係があるだろうに。
スキタイとの混交やサルマチア伝説。
さらには言語学的相似まで。
大体ゲルマン人とペルシャ人とギリシャ人の中間種に当たるアーリア人がスラブ人。
163世界@名無史さん:02/02/25 00:19
クロアチアでは「民族浄化」ならぬ「言語浄化」という運動があった。
外来語の影響を排除して新しくつくった単語に置き換える、というものらしい。
意識的にセルビアとの間に差異をつくりだそうとしている。
164世界@名無史さん:02/02/25 03:46
>>163
それは WW1 前のバルカン諸国がこぞってやっていたことでもある。
165世界@名無史さん:02/02/25 13:32
ロマン主義がもっとも強く作用したのがバルカンだったのでしょう。
古代・中世の話ではないのでsage。
166世界@名無史さん:02/02/25 16:17
>>133
リトアニアの民話に雷神ペルナークスというのがでてきますが、
これは東スラヴの雷神ペルーンと同じですか?
異教時代なら双方の神々が混ざり合うこともあると思いますが。
167世界@名無史さん:02/02/26 23:51
ボスニアの「ムスリム人」は、
ボスニア民族・ボスニア語と自称するようになったのだろうか?
「ムスリム人」というカテゴリーが
第2次大戦後つくられる以前は
自分らを何ジンと自称していたのでしょうか?

168世界@名無史さん:02/02/27 00:07
>ボスニア民族・ボスニア語と自称するようになったのだろうか?
なりました。
「ボスニア語」はラテン文字で書かれながらも
クロアチア語との差異を広げて独自の国語とする努力がされている模様。
現在のボスニア・ヘルツェコヴィナは
ボスニア人・クロアチ人・セルビア人三民族の連邦国家と規定されています。

>自分らを何ジンと自称していたのでしょうか?
元来は民族としての意識はなく、
ムスリムかつボスニアの住民という意識のみあったとされていますね。
近代以降(民族の概念が浸透し始めてから)は
場合によってセルビア人orクロアチア人とされたりされなかったりしたようです。
169世界@名無史さん:02/02/27 14:51
>>166
ペルンでしょう。
これは東スラブだけの神とはいえない、西でも高位の神。
確かシュチェチンに神殿遺跡があった。
170世界@名無史さん:02/03/01 21:05
ギリシア神話に、小アジア系の女神セメレ(ゼメロ)というのが出てきますが、
これはどうもスラヴ語のZemlya(土地)と同根らしいです。
スラヴ人と小アジアにはなんらかの接点があったのでしょうか?
171世界@名無史さん:02/03/01 22:26
>>170
古い印欧語が語源。
ゾロアスター教など、イランの古い宗教の用語を調べてみるとわかるよ。
ポーランド語はバルトのラトビア語と共に、非常に古い印欧語の形態を
とどめていて、古語はサンスクリット語や古代ペルシャ語と綺麗な
相関関係をなしているそう。
172世界@名無史さん:02/03/03 20:43
>>169
ロシアでは今でも魔術的儀式や占い、民間治療法などがたくさん存在している
らしいですね。
特にペレストロイカ以後、民間伝承の研究は息を吹き返しているとか。
173世界@名無史さん:02/03/04 01:07
>>172
その「魔術」と言うのは、あくまでキリスト教から見た発想で、
じつは日本土着の神道(国家神道ではない)と同じものなんだよ。
174世界@名無史さん:02/03/04 01:34
>173
ロシア史における「二重信仰」問題ですね。
日本における「神仏習合」とちょっと似てるかな。
175世界@名無史さん:02/03/08 16:03
「ルテニア」は、「赤いルーシ」という意味なんだってね。
知らなかった。
ルテニア人は独立した民族として扱われているのかな?
176世界@名無史さん:02/03/08 16:12
今はルテニア人=ウクライナ人になってるんじゃないの?
177世界@名無史さん:02/03/10 00:50
>>175
ルシン人のことかな?
ちなみにハンガリーではルシン人も少数民族の一つとして
認められている。
178スラヴァ:02/03/10 02:16
ヨーロッパでのスラブ人居住地の最西端はドイツ国内のソルブ人居住区?
かれらは、ドイツのどこいらに住んでるのかな?
179世界@名無史さん:02/03/10 02:19
ライプツィヒとかドレスデン。
180世界@名無史さん:02/03/10 02:28
http://homepage2.nifty.com/ksasahar/sorb/

ソルブ語辞書。研究に良いかも。IMEで使える。
ユネスコで絶滅寸前だと指定されているそうな。
181スラヴァ:02/03/10 07:18
>>179、180
サンクス。趣味でスラブ語いろいろ勉強してるんだけど、ブルガリア語が一番
古代スラブ語に似てるよね。語彙の面で。文法はだいぶ簡略になったけど。
182世界@名無史さん:02/03/10 08:56
 
183世界@名無史さん:02/03/10 15:41
スラヴ民俗のフォークロアで、人狼伝説とならんで必ずでてくるのが
吸血鬼だね。
リトアニア(バルト系)でもあるらしい。
184世界@名無史さん:02/03/10 22:47
>>179
コットブスとバウツェンが最も多いよ。

>>181
それはキュリロスとメトディウスの時代の南スラブ語で、すでに
モラビアなど西スラブやルーシなど東スラブは異なる言葉を話していた。
古代スラブ語であることは確かなんだけど、スラブ祖語というと、
言語学的にはポーランド語がもっともそれに近い。
185世界@名無史さん:02/03/10 23:27
スペイン人とポルトガル人は互いに言ってることがほぼ分るそうですが、
ポーランド人とチェコ人、またはウクライナ人の同じスラブ人の間でも、
互いの言葉で大体意思は通じ合うものなのでしょうか?
186世界@名無史さん:02/03/10 23:38
>>185
通じることは通じるけど、意思疎通が出来るのは
チェコ人とスロバキア人。
これがポーランド人とチェコ人(またはスロバキア人)となると、
同じ西スラブでも難しくなる。主に発音が異なる。
ポーランド語にはフランス語のような鼻母音があり、母音は短音だけ(標準語)で、
イタリア語のように最後から二番目の音節に強弱アクセントがつくのに対し、
チェコ語スロバキア語は鼻母音が無く、長音の母音があり、アクセントは第一音節に来る。
ソルブ人は文法的に他の西スラブ語に近いが、語彙が随分異なってしまう。
カシュープ語は文法がポーランド語と殆ど同じだが、訛りが強すぎる。
東スラブ系のロシア人とは意思疎通が殆ど無理だが、おなじ東スラブでも
ウクライナ人やベラルーシ人はポーランド支配時代が長かったので
語彙が似ているため、ほんのちょっとは西スラブ人達に通じるらしい。
187世界@名無史さん:02/03/10 23:40
ポーランド語の幼児語がチェコ語では格調高い言葉として大量に使われるので、
チェコ語はポーランド人に爆笑を呼ぶらしい。
188世界@名無史さん:02/03/11 00:04
ポーランド人はドイツ化に抗する手段としてラテン系語彙を大量に
導入した時期があったんじゃなかったっけ

それに対してチェコ人はドイツ化に抗するためにチェコ語の純化を
推し進めたのかな

189世界@名無史さん:02/03/11 01:11
>>188
教会制度の歴史を見るとわかりやすい。
ポーランドがキリスト教化(ヨーロッパ世界における独立国化)にあたって
導入したのはローマ教会組織を直接イタリアから。ドイツ人の妨害があったが、
それを跳ね除けた。このためラテン語の外来語が大量に入った。
ボヘミア(モラビア時代から)はドイツ人の圧力によってフランク教会が入ってきてしまった。
フランク教会はドイツ人の教会組織。同じローマ・カトリックだが。
そのため、ボヘミアは神聖ローマ帝国に組み入れられてしまった。
民族運動としてのチェコ語体系化に関してはずっと後のフスの時代まで待たなければならない。
190世界@名無史さん:02/03/11 01:42
西欧社会は現代でも2つに分かれる。
陽性国家群→旧ローマ教会支配下(イタリア・ポーランド・アイルランド・フランスなど)
陰性国家群→旧フランク教会支配下(ドイツ・チェコ・オランダなど)
191190:02/03/11 01:43
フランスは初期はフランク教会だが、のちローマ化した。
192世界@名無史さん:02/03/11 03:18
>>188
チェコ語に関してはドイツ語からの転用語が非常に多い。
193世界@名無史さん:02/03/11 10:40
>>178,179
ライプツィヒは、スラヴ語で「菩提樹の街」を意味するリープスクに由来。
ドレスデンは「湿地の森に住む人」を意味するスラヴ語 Drezdzaneに由来すると
考えられている。
194世界@名無史さん:02/03/11 14:05
コトブスはホチェブシ
バウツェンはブジシュン
が元の名

エルベ川周辺まではスラブ人が住んでいた。
195世界@名無史さん:02/03/11 15:45
ドイツのアンハルト・ツェルプスト公家から嫁いできて、ロシアの女帝になった
エカテリーナ2世は、
「古代スラヴ語は人類の原初の言語だ」
「アングロサクソン人もスラヴの一部族」
などと主張した。
スラヴ世界にもこういう「トンデモ説」があったのか?
196世界@名無史さん:02/03/11 15:54
>>195
それらは全くトンデモだが、
言語学的にはスラブ語(特にポーランド語)とバルト語(特にラトビア語)が
非常に古い印欧語の特徴を残していることは確か。
だから「古代スラヴ語には印欧語族の原初の言語に近い」とか言い換えればよかったのに。
197世界@名無史さん:02/03/14 23:08
>>166
バルト人の神々
ディエバス(天空の神)
ライマ(結婚の女神)
サウレ(太陽の女神)
メーネス(月の神)
ペルクーナス(雷神)
ゼメス・マーテ(大地の女神)
198世界@名無史さん:02/03/15 00:47
ユーゴスラビア消滅

ttp://www.asahi.com/international/update/0314/012.html
新国名はセルビア・モンテネグロ ユーゴが国名変更合意
199世界@名無史さん:02/03/15 00:57
>>198
びっくり。
とりあえずモンテネグロは分離しないということだが、どうなることやら…。
200世界@名無史さん:02/03/15 01:07
>>198
モンテネグロはすでにユーロ圏だから、
これでセルビアは早晩海を持たない内陸国となる。
201世界@名無史さん:02/03/15 01:33
言語の名称も、かつて「セルボクロアチア語(スルプスカ-フルヴァツキ)」
と呼んでいたみたいに、「セルボモンテネグロ語(スルプスカ-ツルナゴールスキ?)」
とかになるんだろうか
202世界@名無史さん:02/03/15 09:43
ちょっとまじめに露西亜語を勉強したポーランド人はすぐ達者になる。
俺の知っているウクライナ人、白露西亜人たちは皆ポ語がたっしゃだった。
(残念ながらポ語が達者な露の知人なし)。お互い訛りが耳につくそうだが。
どうもちょっとまじめに勉強したらすぐに上達できるらしいのはうらやましい。
お互いの複雑な感情をちょっと棚に上げての話だが。
あるポの友人の話だと小中学校の露語の試験は皆カンニング(先生公認)
で済ませたそうだ。
しかし東西スラブ語群の差異はどの程度何だろう。
203?X?????@:02/03/15 11:19
>>202
ロシア人の先生曰く、スロベニア人とでも数時間はなしたら、お互いの母語で
意志疎通ができるとのこと。基本語彙がほぼおなじだから。
日本の
204世界@名無史さん:02/03/15 14:28
>>202
>しかし東西スラブ語群の差異

互いに通じないが、何について話しているのかくらいはよく聞いていると何となく理解できるそうな。
するとドイツ語とスウェーデン語くらい?
ドイツ語とオランダ語にたとえると近すぎる。

言語学者たちの話では、東西スラブ語群は紀元前数世紀に分化したそうだ。
だから歴史的にもやはりスカンジナビアの言葉と、大陸のドイツ語オランダ語くらいの違いだろう。
205世界@名無史さん:02/03/21 20:12
中世のハンザ同盟諸都市だけど、これらの都市はいつもドイツ騎士団の側について
いたわけじゃなくて、時にはポーランド側についたりしたこともあったんだよね?
206世界@名無史さん:02/03/21 21:33
>>205
ハンザ同盟の経済はドイツ騎士団と関係が深いが、
もともとドイツ騎士団の支配を嫌った都市が多い。
207世界@名無史さん:02/03/23 14:15
このスレでは中世ボヘミア王国が1度も取り上げられてないな。
最初バイエルンの影響下にあり、その後大モラヴィア国の版図に入り、
それから東フランク、ついで神聖ローマ帝国との関係が強くなった。
ポーランドと違い、プラハ司教座はマインツ司教座の管轄下におかれたけど。
208世界@名無史さん:02/03/23 15:10
>>207
フランク教会に支配されたことでドイツ(神聖ローマ帝国)に吸収されてしまったんだよね。
209世界@名無史さん:02/03/23 15:32
でもボヘミア王のカレル1世は神聖ローマ皇帝(カール4世)
に選出されたね。
「金印勅書」を出してボヘミア王も七選帝侯の一つに定めた。
プラハは帝国でただひとつの大学を擁する都市になったし。
210世界@名無史さん:02/03/23 15:36
>>209
カレル一世の家系はドイツ系でしょ?
211世界@名無史さん:02/03/23 15:39
ルクセンブルグ家
212世界@名無史さん:02/03/23 15:46
プラハ大学のヤン・フスは後の時代で言うところの汎スラブ主義者だったね。
213世界@名無史さん:02/03/23 18:28
当時のボヘミア王国は隣接のニュルンベルク市より貧乏だったらしい。
カレルはイタリアに行って戴冠したけど、ローマ市内で一泊もせずに直ちに帰国。
ウォルムスの路上で代金支払いを催促する肉屋が彼を拘束して宿屋に閉じ込める
という珍事も発生。
214世界@名無史さん:02/03/23 19:47
>>211
中世のボヘミア、ハンガリー、ポーランド、リトアニアの君主は
ほとんどがヤギェウォ家、ルクセンブルク家、ハプスブルク家、アンジュー家
の出身だね。
215世界@名無史さん:02/03/23 20:48
>>212
ポランド軍がグルンヴァルド(タンネンベルク)でドイツ騎士団をシバキ倒したとき、
プラハ大のフスはポランド国王ヤギェウォに熱狂的な祝辞の手紙を送ってることから、
フスという人は相当なドイツ人嫌いだったことがわかる。
216世界@名無史さん:02/03/23 22:44
>>212
ボヘミアの改革運動の中心はプラハのベツレヘム礼拝堂だったけど、
ここでは説教がチェコ語でおこなわれていた。
217世界@名無史さん:02/03/23 23:14
そっかフスの改革は対ドイツ民族戦争の端緒だったんだ。
218世界@名無史さん:02/03/24 00:10
>>210
ハプスブルク家出身のラディスラウスの死後、
イジー・ポディエブラディが王に選ばれて、
彼は「チェコ人の王」と呼ばれた。
彼の時代にローマ教皇が穏健フス派の要求を拒否したことで、
ボヘミアに長く急進的な反カトリシズムを残存させることになる。
219世界@名無史さん:02/03/24 01:21
ボヘミアのカトリックはフランク教会だったから、彼らの反カトリックというのは
実はもともと反ドイツからだったんだ。>>215の逸話のごとく(ポーランドは
ローマ直轄のグニェズノ大司教座でフランク教会ではない)。
220世界@名無史さん:02/03/24 18:22
895年にプシェミスル家とスラヴニク家の代表に率いられた一団が、
バイエルンのレーゲンスブルクに現れ、東フランク王に臣従の礼を取っている。
これがドイツ語圏との強い結びつきの始まり。
ボレスラフ2世のときにプラハに司教座がおかれる。
フリードリヒ1世(バルバロッサ)はプラハ司教に対するボヘミア王の
管轄権を否定して、これを帝国封としている。
フリードリヒ2世の時代にモラヴィアへの支配権や国内の司教叙任権を獲得。
こうしてボヘミアが発展するにつれて、多くのドイツ人植民者がやってくる。
221世界@名無史さん:02/03/25 11:56
この時代、宗教改革といってもその実、民族問題が絡んでいるという例が多いね。
ドイツの宗教改革も、ある意味、ドイツ人のローマ教会に対する抗議だし。
ヘンリー8世のイギリスも国家か宗教かの選択を迫られて国家をとったと
いえなくもない。
222世界@名無史さん:02/03/26 21:10
>>217
プラハの年代記作者が1325年に
「わが国にとっては、ドイツ人たちが王命によってそれを所有するよりは、
荒野となったほうがましであろう」
と書いてるね。
223世界@名無史さん:02/03/28 19:55
プラハといえばルドルフ2世を思い出すな。
画家のアルキンボルドや天文学者のティコ・ブラーエ、ケプラーなどを
周りに集めた。
「プラハの孤独者」という綽名をつけられた変人。最後には弟のマティアスに
王位を奪われて孤独の内に死去。
224世界@名無史さん:02/03/31 15:57
モンゴル軍とドイツ・ポーランドの連合軍が戦ったレグニーツァの戦いだけど、
モンゴル史研究者が、実際にはヨーロッパ人が言うほど大規模な戦いでは
なかったとか書いてるけど、本当ですか?
ヨーロッパではワールシュタット(死体の山という意味)の戦いともいいますが。
225 :02/04/02 11:28
>>224
つーか、モンゴルの本隊はパンノニア盆地にいて、レグニツァにはガリツィア方面からの所謂分隊が来た。
勿論モンゴルの感覚では大規模とはいえないが、当時のヨーロッパから見れば大戦闘だった。
226世界@名無史さん:02/04/08 10:30
>>217
フス派は傭兵隊長ヤン・ジェシカの天才的組織力と軍略でしばらくは
優勢を保ったが、結局フス派内のタボル派と他派との内部分裂で自壊
していった。
しかしヨーロッパの各勢力はボヘミア傭兵の無類の強さだけは忘れず、
彼らは傭兵市場でスイス傭兵、ランツクネヒトに次ぐ目玉商品となった。
とりわけ対オスマン帝国の戦いにボヘミア傭兵が多数投入されている。
227世界@名無史さん
>>215
これは私の推測だけど、当時のチェコ人の反ドイツ人感情には、
農村部の人々の、都市部の住民(そのほとんどがドイツ系)に対する反感
という面もあったんじゃないかな。
この時代の年代記には、太古、チェコ人による理想的な社会が存在し、
それが都市文明によって堕落させられてしまった、という内容の
記述がある。