1 :
ミハイ勇敢公:
余が生まれる100年以上も前に祖国ルーマニアをオスマントルコから
守ったヴァラキア公がいた。彼の名前はヴラド。のちヴラム・ストー
カーの小説で「ドラキュラ」の名で有名になった。今宵はこの英雄に
ついて語ろうではないか。
2 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 00:36
3 :
ミハイ勇敢公:2001/07/02(月) 00:40
かくゆう余は17世紀このヴァラキアとモルダヴィア、トランシルヴァニ
アを併せ今のルーマニアの基礎を築いたのですが、ヴラド公と同様暗殺
されてしまいました。(悲)
4 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 00:45
この時代串刺し公に限らずヴラド僧公とかミフネヤ悪党公とかペトル
ちんば公、なんとか溺死公なんてもいたかな。この串刺し公の末裔に
アレクサンドル繭公なんていうのがいたけどこの「繭」ってどういう
意味?誰か知ってたら教えて。
5 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 00:52
ネズ公みたいなもんだったんじゃないの
6 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 00:53
>4
あと恐怖公に僧公、悪魔公・・・。なんちゅうあだ名だ。
ところで、ブラド3世の家系だけど、家名はなんというのだろう。
今まで聞いたことがないのだが・・・。
7 :
スナゴウ修道院:2001/07/02(月) 00:56
>>6 そういえばオーストリアにはハプスブルク家、ロシアならロマノフ家
っていうけどこの家系苗字(ファミリーネーム)はなんて言うのかな
? ヴラドツェッペッシュフリークの私も知りませんでした。
8 :
ジョン:2001/07/02(月) 01:00
やはり一番カッコイイのは私だ
9 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 01:05
>>7 そもそもこの時代のワラキア人に
家名という概念があったかが問題では…。
10 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 01:12
カッコイイ順に幾つかピックアップ
ラドゥ3世=美男公
ラドゥ・ミフネヤ=勇敢公
ヴラド・ツェペルス=小串刺公
ヴラド2世=ドラクル悪魔公
ミフネヤ=ミハイル悪党公
ペトレ=不具公
11 :
9:2001/07/02(月) 01:14
ちょっと検索してみたけど、
だいたいのサイトでは「ヴラド家」って書いてあるみたいだね。
日本語の苗字にあたるようなものはなかったのかも。
12 :
ミハイ勇敢公:2001/07/02(月) 01:50
ヴラド・ツェペッシュ公の父ヴラド悪魔公、兄のミルチャ公を殺した
ハンガリー摂政のヤーノッシュ・フニャディは一説によると神聖ロー
マ皇帝ジギスムントの落胤との噂あり。その真偽は如何なるものか?
13 :
世界@名無史さん:2001/07/02(月) 22:08
>12
それはヤノシュ・フニャディの在世中からあった噂らしい。フニャディ家は
ワラキアでの勢力争いに敗れ、トランシルバニアに逃れたルーマニア人貴族
の出身。フニャディの父の代にフニャド県を領地として与えられ、姓をフニ
ャディと改めた。若いころからジギスムントに引き立てられたのでこういう
噂が出来たと言われているそうだ。
>9
私もそう思っているところ。しかし隣のトランシルバニアなんかはフニャディ
家とかシラージ家・バートリー家なんていう家名が成立しているのでなんか不
思議な気がする。
14 :
ミハイ勇敢公:2001/07/02(月) 22:17
レス有難うございます。ヤーノッシュ公は対トルコ十字軍の失敗の責任を
ヴラド悪魔公に押し付けるため殺害したそうで、その殺し方も残忍極まり
なく自らの墓地を掘らせ生き埋めにしたそうです。
もうひとつついでに質問しますが、ヴラド公は何故、この憎きヤーノッシ
ュ・フニャディの息子、後にハンガリー王となるマーチャシュ・コルヴィ
ーヌスと同盟を組んだんでしょう。
確か、ヴラド公は自らすすんでハンガリー王国へ幽閉されたと聞きますが。
15 :
アマノウヅメ:2001/07/03(火) 00:02
歴史的に正しいかどうかは別として『ドラキュラ伝説』角川選書―26
(マクナリー、フレスク共著、矢野浩三郎訳)が1番おもしろかった。
16 :
9:2001/07/03(火) 00:10
>>13 実際のところ、どうなんだろう。
>フニャディの父の代にフニャド県を領地として与えられ、姓をフニャディと改めた。
ってことは、この姓のフニャディっていうのは
たぶんハンガリー語で「フニャド在住の」という意味ですよね。
ハンガリーはカトリック文化圏なので、
西欧の地名から取った姓の概念が伝わっていたのかも。
17 :
ミハイ勇敢公:2001/07/03(火) 01:57
>>15 一番最初にヴラド公について日本で紹介された本だったと思う。
他にも中公文庫から「ドラキュラ伯爵」なんて本あったけど、
ドラゴンの騎士の称号をトルコからもらったとか(実際は神聖
ローマ皇帝ジギスムントから)結構、誤記があるのであまりよく
ない。一番いいのは清水さんの「ヴラド公ツェペッシュ」がお気
に入りだ。ちなみにマクナリーの本はおまけでエリザベート・バー
トリーの話ものっているからおすすめだ。
18 :
アマノウヅメ:2001/07/03(火) 08:40
ミハイ勇敢公閣下
中公文庫の『ドラキュラ伯爵』は面白くなかったので、1回読んでほったらかしですが
あれは、ルーマニア文部省認定という感じの本じゃありませんか?
当時はまだチャウチェスク時代だったような。
19 :
世界@名無史さん:2001/07/04(水) 00:40
>14
自ら望んでではなく、マーチャーシュ王の陰謀にはまったのだと思う。
チェコ出身の傭兵隊長ヤン・イスクラ率いる軍団と一緒に進軍中にイス
クラに逮捕されたはず。
因みにこのイスクラなる人物も非常に興味深い。一時期はスロバキア地域
を占領して実質的に王のような状態になっていた。ヤノシュ・フニャディ
の軍勢と何度も戦闘しているがことごとく退けた戦上手。マーチャーシュ
王の代になって大軍団で攻められ降伏したが非常に好条件で取り立てられ
た。傭兵隊長というよりマーチャーシュ王直属の軍団「黒衛軍」の司令だ
ったはず。もっと知りたいのだが資料はどっかにないだろうか。
20 :
ドイツにん:2001/07/08(日) 17:04
ヴラド・ツェペッシュ公は最後トルコ兵に間違われて、部下に殺されたというが
本当かな? 嘘っぽいね。
21 :
音速の名無しさん:2001/07/13(金) 23:38
>20
そういう俗説はある。あと騎乗中に暗殺者に切りつけられたというのもある。
なんにしても真相は藪の中。
22 :
世界@名無史さん:2001/08/04(土) 05:30
23 :
世界@名無史さん:2001/08/17(金) 11:29
国営軍?
24 :
世界@名無史さん:01/08/31 18:14 ID:t4rMRnh.
>>17 清水氏の本て、角川の「ドラキュラ伝説」と
恒文社の「ドラキュラ伯爵のこと」って本から記述抜き出して
簡単にしただけじゃん(苦笑)
25 :
世界@名無史さん:01/08/31 21:13 ID:9mDoMIrw
ドラキュラ紀元を読みなさい。
オスマントルコから捕虜虐待に関して賠償金を請求される護国卿にワロタ。
続編「ドラキュラ戦記」もあるね(笑)。
28 :
世界@名無史さん:01/09/02 00:22 ID:oUyE0a8Q
>23
黒衛軍または黒軍と言われるマーチャーシュ王直属の傭兵軍団。
原語ではフェケテ・シェレグ
黒いユニホームに身を固めていたので後にそう呼ばれた。
元はイスクラの率いるフス派の兄弟団の連中が主体となって編成
されていた。
マーチャーシュ王の死後、大貴族たちに恐れられ、トルコ戦線に
補給なしで出撃させられたうえ、貴族の軍団である旗軍(バンデ
リュウム)に攻撃されて壊滅した。
29 :
世界@名無史さん:01/09/03 00:52 ID:RR74Evjo
>24
本があるだけありがたいという考えもある。
東欧の歴史上の人物の伝記なんてブラドとエリザベート・バートリぐらい
というのは納得いかないが・・・。
30 :
世界@名無史さん:01/09/08 01:22
ドラキュラランドなんてのを国営で造るらしい。
血迷ったかルーマニア
31 :
世界@名無史さん:01/09/08 01:42
じゃあそれに便乗してコナミはドラキュラゲームを
アミューズメント施設として置いてこい。
32 :
世界@名無史さん:01/10/01 19:19
33 :
アマノウヅメ:01/10/01 19:29
>>30 外国人向けドラキュラ・ツアーは既にあるって本当ですか?
34 :
世界@名無史さん:01/10/03 12:26
age
くし刺しのやり方:
前にルーマニアだったかの映画を見た。子供がさらわれてトルコの親衛隊に
育てられ故郷の村を攻撃して支配するという話だ。
その中でキリスト教徒で回教に改宗しないものを罰としてくし刺しにする。
寝かした男に、尖らせた木の柱を肛門から大槌で打ちこみ、口からだす。
これでくし刺しだ。魚みたいだ。
ドラキュラはくし刺し公と呼ばれたという。
宿敵のトルコ兵を料理したのだ。
36 :
世界@名無史さん:01/11/11 04:22
篠田真由美さんの小説でその描写があった。
読むだけで気持ち悪くなってきた。こんな死に方だけはしたくないと思った。。
(ボソッ・・・)プリンス・コンソート・・・。
38 :
世界@名無史さん:01/11/11 15:11
肖像がみたけど、幸薄そうな顔。貧相な顔じゃなかった。
39 :
世界@名無史さん:01/11/12 01:07
>>37 誤爆…?
>>38 ムスリムの君主といわれても信じそうな顔立ちだった。
地理的に混血しているとは思うけど。
弟は美男子みたいだったが肖像画を見たことがないのでよくわからない。
40 :
世界@名無史さん:01/11/12 04:42
何でこいつらこんなに詳しいんだ
>37
『ドラキュラ紀元』だなんて・・・。
42 :
世界@名無史さん:01/11/13 17:13
「吸血鬼ドラキュラ」じゃなくて「救国士ドラキュラ」というべきかな。
43 :
世界@名無史さん:01/11/13 17:29
ワラキアの信長という印象。
あと10年長生きしたら、1国作れたかも。
44 :
世界@名無史さん:01/11/13 23:14
少年時代に他国の人質にされ、そこでホモセクハラされたため
性格がねじまがった、という説をなにかで読んだ気がする。
45 :
世界@名無史さん:01/11/14 02:19
46 :
世界@名無史さん:01/11/14 16:45
個人的な印象なんだけど、ヴラド公の肖像画と政策・軍事行動を見るにつけ
織田信長とダブってしまうのは私だけ?
相手がジプシーだろうとスルタンだろうと関係なしってのがちょっと考えものよね。
48 :
世界@名無史さん:01/11/14 19:59
>>38 >肖像がみたけど、幸薄そうな顔。貧相な顔じゃなかった。
口唇口蓋裂、いわゆる「兎唇」だったのではと思われ。
ひげを生やしていたのはそのためかも。
それが、性格がねじけた理由の一つかもしれない。
>46
自分もそう感じる。
なんといっても果断さを強く感じる。
地主貴族の虐殺にしても、信長の比叡山焼き討ちとかぶる。
信長は寡兵をもって大敵に当たるような戦いはあまりしなかったけど。
50 :
世界@名無史さん:01/11/14 23:36
>43
隣国のハンガリー王がバルカン方面よりもボヘミア・オーストリア方面の
制圧に関心が行ってしまったのがブラドの不幸。二方面で戦争をしたくな
いハンガリー王マーチャーシュ・コルヴィヌスによって逮捕されてしまっ
た。
彼の末期の状況をみると生き延びたところで残念ながら大したことはこと
は出来なかったような気がする。僚友であるシュテファン大公のようにあ
る意味狡さがあれば・・・。
51 :
世界@名無史さん:01/11/15 03:38
話それてしまいますが・・
どうしてルーマニアってエリザb
52 :
世界@名無史さん:01/11/15 03:38
すみません・・・
53 :
世界@名無史さん:01/11/21 19:21
ヴラド公の肖像画の画像ってどっかに落ちてるかな?
見たいけど無いよー。
54 :
こちらをどうぞ>>53:01/11/21 19:53
55 :
世界@名無史さん:01/11/21 20:52
ディオゲネスクラブのマイクロフト・ホームズと申しますが、なにか?
56 :
世界@名無史さん:01/11/21 20:53
ヤン・イスクラってヤン・ジシュカのこと?
>>54 サンクスー!
ホントに信長だ。ラディソにも似てるけど彫りを深くした信長って言った方がドンピシャ。
スレ違いだけど見れば見るほどどこの人種なのかわからなくなるね…
59 :
世界@名無史さん:01/11/22 00:32
>56
ちがいます。リパニの敗戦でフス派の強硬派(ターボル派)
が敗北して以後にその残党を率い北部ハンガリー(今のスロ
バキア)を占拠した傭兵隊長です。
アルベルト王の死後のハンガリーの王位争いの際にエルジェベート王妃に雇われて
北部ハンガリーにやってきたのですが、ヤゲヴォ家のウラースロー1世を支持する
ヤノシュ・フニャディと4度に渡り交戦し、一度も破れず、スロバキア地域を実質
的に支配しつづけたという人です。マーチャーシュ王の時代についに敗北し、マー
チャーシュ王に仕えるようになりました。有名な王の直属の傭兵軍団「黒軍」は彼
の旧フス派の兵団が母体となっています。
ブラドの逮捕はマーチャーシュ王の配下の将軍となってからのお話ですね。
60 :
世界@名無史さん:01/12/18 03:58
ネタ切れ?
61 :
世界@名無史さん:02/01/09 08:18
皆語り尽くして枯れ果てたか?
62 :
世界@名無史さん:02/01/11 18:26
>>59 傭兵隊長って東欧でもけっこういたんでしょうか?
63 :
世界@名無史さん:
ミハイ勇敢公ってかっこいー。