1 :
カニシカ王:
2 :
世界@名無史さん:2001/06/26(火) 23:14
史上初の東欧人(ポーランド人)法王であり、
450年ぶりの非イタリア人法王である
ヨハネ・パウロ二世が(エキュメニズム)教会合一運動と
異教との対話を進めて来ているのは法王就任以来の方針です。
別に最近急進かしたわけでもなんでもありません。
例えば、すでに、1980年代から、日本の禅宗の僧侶と
ヨーロッパの修道僧の交換団が互いの精神修養の修法を
体験しあうなどの交流は積み重ねられて来ています。
さらに言えば、キリスト教内のエキュメニズムもその
ルーツは第一次、第二次大戦間期の教会改革運動、
解放神学の運動にルーツを持ちます。
ヨハネパウロ二世の就任も、そうした運動を背景にして
のこと。
やはり、昨日今日急進化したわけでもなんでもありません。
3 :
世界@名無史さん:2001/06/26(火) 23:34
異教との対話を実質的に実践したのは、たしかプロテスタントの
ティリッヒだったかな?
>>1 >昨日今日急進化したわけでもなんでもありません。
↑
だってさ。
もうそろそろ、法王も寝たきりになることだし今のうちだけだよ。
暖かい目で見守ろうよ。
うちの旦那寺の住職は、カトリックとの交流に熱心です。
ま、本職は仏教系女子大の先生ですがね。
>>3 ティリッヒがそうしたこともしていたとは私は知りませんでした。
啓蒙主義からの批判やヴェーヴァーのような研究に呼応するかの
ような型でのリッチェル→トレルチの宗教史的研究が異教との対話を
準備し、そのうえで20世紀に実践がなされるようになった、程度の
理解でした。
8 :
世界@名無史さん:2001/06/27(水) 14:12
ヨハネ=パウロIIはポーランド出身だそうですが、
やっぱり対共産圏対策?
9 :
世界@名無史さん:2001/06/27(水) 14:25
>>8 一時、落合信彦などが盛んにそんなことを書いていましたね。
確かに、旧ソ連時代、東欧の正教会やソ連では地下活動家していた
正教会を支援しよう、とした意図は読み取ることが可能です。
その意味では、間接的な対共産圏政策の面があったことは否定でき
ません。
ただし、対共産圏政策がエキュメニズムの第一の目的であるかのように
言ってる説は、妄想的陰謀史観の一種にすぎません。
なぜなら、
>>2に書いたように教会改革運動〜エキュメニズム
自体はもっと以前からある運動で、もっとワールドワイドな運動
(例えば中南米までにも渡る)だからですし。
ソ連が崩壊した後も、エキュメニズム運動は推進されているからです。
ただし、副効果として、エキュメニズムや、ヴァチカンの運動
法王の行動などに各国の思惑が絡むことは当然あります。
>>6 >うちの旦那寺の住職
が、うちの旦那の住職に見えた・・・
11 :
名無し:2001/06/27(水) 21:34
12 :
世界@名無史さん:2001/06/27(水) 22:12
そういえば法王が狙撃されたとき、
来日してたワレサが大層ショックを受けていたな。
13 :
世界@名無史さん:2001/06/27(水) 22:23
>>7 や、俺の知識もちょっと偏ってるかもしれないけど、ティリッヒは
来日したときに大谷真宗派や禅の坊さんと異教間の対話を試みている
ことは事実なんだな。実際に対話の内容をメモしたものが残ってるから
間違いない。ティリッヒ全集に多分載ってるんじゃないかと思うけど。
宗教史研究の流れ的には、ティリッヒがどういう分類をされているまで
はあんまり知らないが、あなたが述べられていることは一般的には
間違いではないと思います。
14 :
世界@名無史さん:2001/06/28(木) 11:03
やっぱりギリシア正教との和解ってのは、キリスト教徒の
切実な願いなんかね。
15 :
カニシカ王:2001/06/28(木) 17:25
>>2 そもそもヨハネ・パウロ2世がポーランド人だったとは、初めて知りました。
勉強になりました。ところでギリシア正教の現大司教(名前失念)がTVに出てましたが、
めちゃくちゃ渋いですね。王陽明の似顔絵みたいな顔してました。
16 :
2:2001/06/28(木) 23:02
17 :
世界@名無史さん:2001/06/28(木) 23:11
2さん、サンクスです。
あのときの書き込みにいまごろ間違い見つけた…鬱だ。