1 :
世界@名無史さん:
どうしてこんな最期になったのでしょうか?
象と傭兵は有効に使えなかったのですか?
ハンニバルの無茶なアルプス越えはどうして後世で称えられているのですか?
海軍も強力だったらしいですが、それならどうしてあんなローマの
ヘナチョコ戦艦に敗れ去ったのですか?
それと外交面では失敗だらけだったみたいですけど...
なんとかローマに盛り返す機会はなかったのですか?
2 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 00:34
どうして質問スレに書かないのでしょうか?
4 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 08:53
>>1 あなたのは文章は3回のポエニ戦争が混在しております。
海軍が強かったのは第一次ポエニ戦争の頃です。当時ローマには海軍が
なく圧勝してましたが、傲慢になった艦隊がローマの港を襲撃した時、
ローマが軍艦を配置して1/3を撃滅しました。
ハンニバルは第二次ポエニ戦争の話しで、アルプスを越えた後に半島を
蹂躙してローマがパニックに陥りトレビア川、トラシメヌス湖、カンネー
の戦いに敗北しました。しかし、ハンニバルに味方する都市が一部だけ
だったため弱体化し、北アフリカザマの戦いで敗北、海外領土の没収(
この戦でアルキメデスが死亡)、軍艦の没収、軍備制限、外国への派兵
と宣戦布告の禁止、ローマ軍駐留の容認と滞在費負担する事になります。
その後50年程は経済大国となり地中海貿易で一大富を得ますが、ロー
マはカルタゴがウザくなったため、隣国ヌミディア(ローマの同盟国)
との国境紛争が条約違反と難癖をつけて開戦、滅ぼされたのです。
5 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 09:31
・どうしてこんな最期になったのでしょうか?
究極的には、「二虎並び立たず」です。
・象と傭兵は有効に使えなかったのですか?
象は役立ちませんでした。
傭兵はカルタゴの主力で、十分に使われました。
・ハンニバルの無茶なアルプス越えはどうして後世で称えられているのですか?
チャレンジ精神は褒め称えられます。
アルプス越えはローマに地中海を制圧されていたがゆえの苦肉の策です。
・海軍も強力だったらしいですが、それならどうしてあんなローマの ヘナチョコ戦艦に敗れ去ったのですか?
ローマ軍が海戦でも陸戦のように戦ったのが原因です。
・それと外交面では失敗だらけだったみたいですけど...
カルタゴからの講和交渉は、ローマ元老院に拒否されております。
・なんとかローマに盛り返す機会はなかったのですか?
傭兵主体で商業優先のカルタゴと、
国民皆兵で軍事主体のローマでは差がありすぎます。
6 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 09:47
第三次ポエニ戦争の直前にハンニバルが追放されなければもうちょっと
歴史が違ったのでは?ハンニバルは有能な軍人であるとともに政治家だ
から。
7 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 10:41
>>6 カルタゴ第三次ポエニ戦争の頃、生きていたら100歳だぞ…
彼はBC247年頃の生まれです…第三次ポエニ戦争BC149年
8 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 11:59
なんでローマがカルタゴを滅ぼしたのかというと、第1次、第2次の
ポエニ戦争で叩いても叩いても、そのつど、カルタゴはあっという間
に経済大国として回復してしまった(大戦後に高度経済成長をなしと
げた日本に似ている)から。
ローマ側は「こりゃ、完全に滅ぼす以外にカルタゴの脅威はなくなら
ねえ」と不気味に思ったのだ。
9 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:27
一方でローマの元老院内には、カルタゴを残しておくことで
ローマに精神的な緊張を常にもたらさせておくべきだとする
意見も存在したらしい。まあ少数派だったのかね・・・
10 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 12:32
カルタゴ ローマ
オランダ イギリス
日本 アメリカ
ってところか?
すべては「デレンダ エスト カルタゴ」による(嘘
ハンニバル,結局身内に殺されたんだたけ?
13 :
・・・・:2001/06/22(金) 16:13
たしかハンニバルは二次ポエニ戦争後の復興にもかなり尽力してる。でも結局政敵
に追放されたあと暗殺されたはず。
14 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 16:14
逃げて逃げて逃げまくって、
小アジアビチュニアに匿われていたところに手が回ったので
観念して自害した。
15 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 18:26
カルタゴの歴史は外務省のホームページが面白い…
彼らは日本を第二次ポエニ戦争後のカルタゴと見てるのかも…
気付いていたらもっと策を練ろっちゅーの…
16 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 18:31
17 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 21:10
18 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 21:23
確か、晩年のハンニバルは、いくつもの国を転々と亡命するのだが
その行く先々にローマの手が回るので、最後には「よろしい、ロー
マの脅威をなくしてやろう」みたいな台詞を言って毒杯をあおいだ
んじゃなかったっけ。
19 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 21:57
>>17 ヘ_ ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミ ・ ・ ミ < 「はなしし」とは?
( °)〜 \_____________
20 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 22:01
21 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 22:27
>>19 話…この漢字はね、訓読みで「はな」って読むんだよ…
22 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 23:13
カルタゴを反面教師にした結果が今の外交か・・・
23 :
世界@名無史さん:2001/06/22(金) 23:18
>>22 で、結局纏わりつく日本がウザくなって、第二次日米戦争…
25 :
世界@名無史さん:2001/06/23(土) 00:37
>>17 いい事書いてるがタイトルが ちょっといい話(第一話)
ワラタ
26 :
世界@名無史さん:2001/06/23(土) 14:20
>>9 カルタゴを残しておくことで
ローマに精神的な緊張を常にもたらさせておくべきだとする
意見も存在したらしい。
これってすごい発想だよな・・・なかなかできる事ではない。
・危機感がない
・自信満々
・自分たちだけ、ではなく、世界(商業圏全体)を考えている
どれか、ってとこかな?
27 :
世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:47
元々そういう血の気の多い国だからじゃないの?
28 :
世界@名無史さん:2001/07/03(火) 16:15
このスレ、もうちょっと続くと思ったが。
29 :
うむ:2001/07/03(火) 20:18
第3次ポエニ戦争ほど、世界史上で大義のない、卑劣な戦争は無いと言われています。
もちろん、ローマに対して同情する理由が全くないて言うこと。
経済的に繁栄したカルタゴがただ憎い!、とのが全てだからね。
第2次戦争で勝利して、散々無理難題を吹っかておきながらだぜ。
カルタゴは本当にかわいそうだよな。
30 :
世界@名無史さん:2001/07/03(火) 21:36
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/ ̄ ̄7ー---―' ̄ ̄/:::.. /::::.. |:::. / l:::::.... l:::.. l::
>>30 こういうAA荒らしが来るたびいつも思うんだけどさぁ、最近のAA
ってマジすごくない?(藁 なんかの変換ソフト使ってんだろうけどさ、
それにしても手が込んでる。(藁
32 :
名無しさん:2001/07/03(火) 23:11
アメリカの数値目標要求も世界史に類のない卑劣なものだけどね。
>>31 同意。とてもテキストエディタでどうこう出来る物とは思えぬ。
36 :
林則除@欽差大臣:2001/07/07(土) 00:13
>>29 違うよ!
阿片戦争のが酷いよ!!
なんでアヘンの密売人のために大英帝国ともあろうものが
戦争ふっかけるのよ?
>>36 確かに林則除は難題ふっかけられないように万全の対策をしていたからね。
38 :
ななしふたたび:2001/07/18(水) 13:44
なんかえらくカルタゴの擁護をしているような・・・
ちょっと主観的ですが、遅ればせながらやってみます。
<まず、第一次ポエニ戦役から>(前264〜前241)
契機:シラクサに攻められたメッシーナが、ローマに援護を求めた際、
派遣された執政官クラウディウスが、シラクサともども
カルタゴのシチリア植民地防備隊をぶっ潰したこと。
で、ここでローマは防衛隊だけ残してシチリアから引き上げたが、
シラクサがローマ同盟に組み込まれたことに危機感を抱いた
カルタゴが、4万の兵をシチリアに送ったことで、開戦。
1)アグリジェント(シチリア)・・・ローマ〇
4万の傭兵隊も、優秀な指揮官を欠いたため、脱走が相次ぎ、落城。
2)海戦(ミラッツオ沖、シチリア)・・・ローマ〇
>5さんのいうように、陸戦風に戦った。
具体的にいうと、それまでの「船同士のぶつけ合い戦法」ではなく、
「重装歩兵が橋を渡して乗り移る」戦法を使ったため。
これには、前者のような戦いを予想し、操船術を重視していた
カルタゴはひとたまりもなく壊滅。
(↓続く)
39 :
ななしふたたび:2001/07/18(水) 13:45
↓
3)海戦(リカータ沖・シチリア)・・・ローマ〇
一列に並んだカルタゴの船隊と、
弓形に並んだローマの船隊の衝突。
どっちが勝つかはわかりますね。
4)陸戦(アフリカ)・・・ローマ×
ここで、カルタゴはスパルタ人の傭兵隊長クサンティッポを雇うが、
彼は従来のようなカルタゴ貴族が指揮官を務めるシステムに反発。
それで、「じゃ、おまえがやってみろ」ということで、彼が軍を訓練。
これには、執政官レグルスの任期満了間近のせいもあって、
勝ち急いだローマが完敗。
5)ローマ艦隊、嵐により6万人死亡。操船者の未熟によると思われる。
6)講和交渉・・・決裂
カルタゴから講和使節。
ただし、やってきたのは、4)で捕虜になったレグルス。
しかし彼は、元老院にて、ここでシチリア全島返還の要求をのめば
すべてが無駄になる上、カルタゴと直接向き合うことになると説き、
結局ローマは講和を拒否。言いつけどおりにカルタゴへ
帰ったレグルスは虐殺される。
7)シチリア戦線・・・ローマ〇→×
カルタゴは楽観し、クサンティッポを解雇。
ローマ有利に終始するが、冬季に本国へ帰還しようとした
艦隊がまたもや遭難。
8)パレルモ(シチリア・シチリア)・・・ローマ〇
ここで、カルタゴの象が登場。
しかし、ローマ執政官メテルスの戦術の前に敗退。
つまり、城壁の前に濠を設け、軽装歩兵で象を煽って、
突進してきたところで退却。象は濠へ落ち、
なんとか止まることのできた象も味方を踏み潰す。
あとは、重装歩兵で片付け。
(↓続く)
40 :
ななしふたたび:2001/07/18(水) 13:45
↓
9)トラパニの海戦(シチリア)・・・ローマ×
執政官プルクルスが、カルタゴの包囲網にはまり、
初の海戦での敗退を喫する。
10)天才登場。
ハンニバルの父、ハミルカルがシチリアへ出撃。
しかし、対ローマ外交をめぐり政局が二分し、
ろくな軍隊もないままの出撃で、ゲリラ戦に終始した。
彼は講和を待つつもりのようだったが、ローマは別戦略に出る。
11)海戦(マレッティモ近海・シチリア)・・・ローマ〇
ローマ快勝。
12)講和・・・受諾
(ローマ執政官カトゥルス:カルタゴ指揮官ハミルカル)
1、カルタゴはシチリアから完全撤退し、
以後永久に支配権を放棄。
2、カルタゴは、ローマ同盟への不宣戦を認める。
3、無償にて捕虜の相互交換
4、カルタゴは、3200タレントの賠償金を支払う。
(注:当時のカルタゴの年収益は1万タレント以上)
5、カルタゴの自治権と独立権を、ローマは尊重する。
長い・・・ (汗
結局、第一次戦役はシチリアの攻防ですね。
講和条件も、とんでもなく甘いですし、カルタゴの復活は
時間の問題です。
あ、間違い等ありましたら教えてください。不束者ですので・・・
>>1さん、いらっしゃいます?
質問でスマソだが、ローマって第一次ポエニ戦争中にアドリア海
東岸に進出、しかもマケドニアと戦争しているけれど、原因は
何だったのだろう?
第一次ポエニ戦争はローマにとってけっこうきつい戦争だった
っていうイメージがあるのに、よくもまあ二方面で戦争やった
もんだなあと思うので。
42 :
世界@名無史さん:2001/07/18(水) 20:29
力作なのでageよう。
43 :
ななしふたたび:2001/07/18(水) 20:38
>>41 たしか、当時アドリア海東岸はイリリア族が住んでいたためにイリリア地方と呼ばれていて、そいつらが海賊行為を働いていたらしい。
それで、ローマが海賊行為をやめるように使節を派遣したところ、イリリア族は使節を殺したため、開戦。
2万の正規軍と200隻の軍船で一気に片をつけたそうな。
44 :
ななしふたたび:2001/07/18(水) 21:15
では、次〜〜
<第1次ポエニ戦役後〜第二次ポエニ戦役開始>
〜ローマ〜
1) >>43のごとくアドリア海東岸に進出。
2)ガリア平定。国境をポー川と定める。
3)カルタゴの1)の反乱の際にカルタゴに反旗を翻した
サルデーニャに援軍を派遣、ローマの支配が
既成事実化。
4)軍制改革により、兵力増強。
5)軍事マニュアルの作成。
〜カルタゴ〜
1)傭兵への給料をケチって反乱発生。
反乱軍は、一時5万人にもなるが、ハミルカルが鎮圧。
2)国内重視派と、対外進出派が対立。嫌気が差した
ハミルカルがジブラルタルより現スペインに移住。
ローマと、国境をエブロ川とする条約を結ぶ。
スペイン植民地は、新カルタゴ(現カルタへーナ)を
中心に大繁栄し、
ハミルカル→ハシュドゥルバル→ハンニバルと
受け継がれる。
45 :
ハミルカル・パルカ:2001/08/01(水) 00:34
サグンツムの内乱平定→アルプス越え→トレビアの戦い→トラシメネス湖畔の奇襲戦→ローマ市に接近→カンナエの戦い→ザマの戦い
46 :
名も無き世界史さん:2001/08/01(水) 00:49
>>45 もしカンナエの戦いの後、ローマを包囲攻撃していたら、歴史は
変わったな・・・
ちなみにローマ船の海難事故頻発は、
カラスなんて重量物をすえつけたせいで、復元性が極端に悪化したためです。
諸刃の剣ですな。
二回目以降はカルタゴ側も対策を練ったそうですし。
塩野が書くほどには有効ではなあかったと思われ(爆
>>46 攻囲戦できたらやってますって。
敵地でほとんど孤立状態だし、(つまり援軍に逆包囲されかねない
そもそも攻囲戦するだけの兵力もない。
攻城兵器も……。
同盟諸市の切り崩し以外の策は無かったと思われます。