1 :
世界@某スレ25:
2 :
某スレ21:2001/06/16(土) 01:16
3 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 01:22
ヨハンの手紙の件だが
ハザール帝国上層部の可汗であるヨハンが
イスラムの守護者だと言明したのは
出してきた相手が後ウマイヤ朝の臣である事が大きいのでは?
前スレの引用を見て思ったが名前が
ハスダイ・イブン・シャプルトという人なんだそうだけど
ユダヤ人であると同時にイスラムっぽい名前なんだよね。
ん?書いていて気がついたけど可汗の名前が
ヨハン?
チュルク系の名前とはちょっと思えないね。
ヨセフとかそういう聖書に出てくるような名前が変化したような・・・・
4 :
ヨハンの手紙:2001/06/16(土) 01:24
5 :
自転車小僧:2001/06/16(土) 01:35
ハザラ族とハザール族は別物ですよ。
ハザール族自体カスピ海周辺にいたユダヤ教を信仰していた
民族らしいと言うだけで実態はほとんど分かっていません。
『ハザール族辞典』と言うのもユーゴスラビアの作家の書いた
フィクションに過ぎません。
6 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 01:41
ハザラ族とハザール族は別物ですよ。
ハザール族自体カスピ海周辺にいたユダヤ教を信仰していた
民族らしいと言うだけで実態はほとんど分かっていません。
>
>>5 前スレ読んだんですか?
がいしゅつですけどね〜〜。
ハザール族辞典とやらは知らないけど
ハザール国は実際に存在していたし
上にリンクあるじゃないですか。
7 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 01:43
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/eiyu.html 本来はロシア史のページだが
ハザール国について
ロシア/ソヴィエトの歴史学界では、南方の草原との戦いをもっぱら好戦的な遊牧民に対する防御的なものとして描いてきました。こうした見方は遊牧民に対する偏見を含んでいると言わなくてはなりませんが、特にハザールとの関係を見る場合には不適当だと思われます。
ハザール国は、こういう言い方ができるなら当時のルーシよりはるかに「進んだ」国でした。なにしろルーシが統一されるはるか以前から、ハザールはビザンツやアラブといった超大国と肩を並べていました。国際貿易から得られる莫大な富、華やかな都市文明、広大な領土を治めてその住民から貢税を取り立てるシステムなど、国家としては「駆け出し」に過ぎなかったルーシとは比べものにならないくらいの蓄積があったわけです。
8 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 01:49
>>6 分かっていないのはハザールの国制などであって国際的関係は
かなり判明しているよ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/hosetu12.html ハザール族は確かに遊牧民でしたが、しかし完全に遊牧経済に依存していたのではなく、言うなれば半定住生活を送っていました。先に述べた二つを含め、旧ハザール国内では数多くの都市の遺跡が発掘されています。
これには彼らの占めた地理的環境が影響しているようです。というのも、ハザールの版図にはカスピ海・ヴォルガという当時の国際貿易の要地が含まれており、ここから莫大な関税収入が期待できたからです。かつてのハザール都市は、異国から来た多くの商人でにぎわう国際色豊かなものであったと考えられています。
交易によって、また支配下の諸族から得られる貢税によって力を蓄えたハザール国家は、当時の国際社会で重きをなしていました。大国ビザンツもハザールには一目置き、東方の強敵イスラム勢力と対抗す髀繧ナ重要な同盟者と見なしていたのです。732年、ハザールの可汗は娘をビザンツの皇子に嫁がせ、彼女の息子レオン4世(在位775〜780)は後に「ハザールのレオン」というあだ名で知られるようになります。
ほとんどの外国人を見くだしていた気位の高いビザンツ人が、その帝室にハザールの血を入れることを厭わなかったという事実は、彼らがハザールを戦略的パートナーとして、また帝国と肩を並べる「文明人」として高く評価していたことを物語っています。
9 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 01:50
また上述の都市サルケルの建設に際しては、ハザール人はビザンツに要請してその建築技師を派遣してもらい、城壁の設計にあたらせています(830年代)。両国の絆は、少なくともハザールが強国であるうちは堅いものだったようです。
こうした外交的な華やかさに比べ、ハザールの国制についてはほとんどわかっていません。とにかくハザール人自身が残した史料はほとんどない、というのが実状なのです。
比較的有名なのが、宗教的権威を司る可汗(カガン:遊牧社会に伝統的な支配者の称号)とその下で政治的権力を握っていた王との、いわゆる二重王権が成立していたことです。この関係は後のイスラム社会におけるカリフとスルタンを彷彿させるもので、きわめて興味深いものと言えます。
10 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 01:53
>>5 『ハザール族辞典』と言うのもユーゴスラビアの作家の書いた
フィクションに過ぎません。
指摘されているようにそのとおりです。内容は忘れたけど・・・
(つうか最期まで読んでない、多分。)
ただ、ヨハンの手紙はフィクションではなく実在のものです。
掲載されているのは『ハザールの謎』のほう。
>>5 自転車小僧さんの、場が読めないタイプの典型的なボケっぷりが
好きです。
12 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 02:19
正確には『ハザール事典』ミロラド・パヴィッチ著。
17行だけ内容が違う男性版と女性版が存在。
ハザールに関する事典という形式をとった事典小説、とのことだが
ファンタジーだな、こりゃ。
13 :
誰か教えて:2001/06/16(土) 02:29
あの本の違っている所って何ページ?図書館から両方借りて来て
見比べたけど、ついにわからなかった(笑)
どこにもそれが書いてなくていまだに心残り。
14 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 18:00
間違えてた。ヨハンの手紙じゃなくて「ヨセフの手紙」だった。
いま、本読んで確認した。
15 :
世界@名無史さん:2001/06/17(日) 12:08
このスレも、いつトンデモ信者が乱入するかとハラハラするスレのひとつだね。
16 :
世界@名無史さん:2001/06/17(日) 17:24
>>15 どうしても、消えたハザール人とアシュケナージとの関係っていう話に
なって、狂信的シオニストはうんぬんって話になってきちゃうからね〜。
って、これはヤブヘビだったか…。
17 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 16:04
ハザール=匈奴
は「と」?
18 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 16:14
>>17 時代が飛んでる。
むしろハザール=突厥のほうがまだありそう。
普通に考えれば居住地から言って
ハザール=鉄勒の一派ではないかと。
19 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 16:27
トルコ系なの?<ハザール
20 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 19:48
21 :
αジョーカーω:2001/06/24(日) 20:04
カライム(カライメ)人やクリムチャイ人
―両者共、カライ派ユダヤ教を信仰するトルコ系民族―
は、ハザールの末裔だという説がある。
東アシュケナジー=ハザール説よりは、遥かに現実性が
有るように思える。
22 :
αジョーカーω:2001/06/24(日) 20:04
訂正:よりかは
23 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 20:07
カライ派はもちろんアシュケナージはすべて
ハザール人の子孫です。
24 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 20:17
カライムとクリムチャクのどっちだったかは忘れたけど、
今はもう数百人しか残ってないって聞いたような…。
25 :
αジョーカーω:2001/06/24(日) 20:19
>24
クリムチャクだと思います。
カライムは、リトアニアのトラカイ地方以外にも
イスラエルやポーランドにも少数ながら居住しています
(確か総勢、数千人ですが)。
26 :
αジョーカーω:2001/06/24(日) 20:25
東アシュケナジーは、ドイツ・フランス・フランドルなど
から大挙して避難・移住してきた人達の末裔。
西欧・ドイツに残留したのが西アシュケナジー。
特にポーランド国王は、ユダヤ人を優遇したので。
27 :
世界@名無史さん:2001/06/26(火) 02:48
ハザールは古くは唐に隷属するマイナーな部族だったらしいけど、
いつの頃か突厥の王族の領民になった。後に西突厥のアセナ王朝の分家として自立。
ハザールの可汗は、そういうわけでアセナ王朝(阿史那氏)。
(かなり昔だけどニフの草原部屋に系図もアプされてたよ)
28 :
世界@名無史さん:2001/06/26(火) 07:20
系図までわかるんだ!
意外と謎じゃないんだな。
29 :
世界@名無史さん:2001/07/05(木) 14:17
>>15 トンデモが言ってるから嘘。みたいな物言いする提灯持ちも多いけどね。
「反ユダヤ主義者が主張してるハザール説」みたいに
トンデモ以外の人がそのことをいってるのをわざと無視するようなの。
30 :
:2001/07/05(木) 14:29
関係ないが、ミロラド・パヴィッチの「ハザール事典」は、
20世紀最高の文学作品だと個人的に思ってます。
マラルメ、ボルヘスの「書物に内包された世界」観を押し進め、
さらに物語典型の底力を見せつける多数のショートストーリーを
html構造にも似たハイパーリンク方式(?)で
有機的に一冊の書物にした、大傑作です。
パヴィチの次作「風の裏側」って小説も傑作。
でもこの人、ベオグラード大学の教授で、
氾セルビア主義者、前大統領(現在国際法廷被告人の)
ミロシェビッチ派なんだよね。なんだかなぁ。
31 :
世界@名無史さん:2001/07/05(木) 14:53
高校のとき、ハザール事典読んだけど、なんか読みづらくて途中で
やめた。(ワラ
32 :
世界@名無史さん:2001/07/05(木) 15:12
>>29 このスレも、いつ提灯持ちが乱入するかとハラハラするスレのひとつだね。
33 :
30:2001/07/05(木) 15:52
>>31 確かに、通常の「前から後ろへページを繰るのと物語進行が一緒」
という本ではありませんからね。面倒なのはあります。
けれど、暇な時、パラっと開いたページを読んで、
それを何度か繰り返した時に、全ての物語が
実は全てつながっている(全ての物語が全ての物語への伏線)
という構造に気付いたとき、きっと感動されると思うのですが。
もちろんそれ以前に、一つ一つの物語も非常に魅力的です。
ちなみにこの本では、
「イスラム改宗」「カトリック改宗」「ユダヤ改宗」の
いずれものパターンが場合分けされて書かれています。
面白いですよ(ってオレは宣伝マンか)。
34 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 07:32
>トンデモが言ってるから嘘。みたいな物言いする提灯持ちも多いけどね。
トンデモ野郎だとて、たまには正しいことをいう場合もあるってか。
そりゃ理屈の上ではそのはずだが、実例が・・・
それにしても言うにこと欠いて提灯持ちよばわりとは・・・
トンデモ信者の病理もきわまれりって感じだナ。
いるじゃん。提灯持ち。このスレじゃないけど。
36 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 11:01
>9〜10世紀に消滅した民族であるがその前後に東欧を中心に急にユダヤ人が
>増えたので彼ら起源のユダヤ人という説が出たと思われる。
>ソ連崩壊後ウクライナなどでようやく調査にとりかかれる段階に入ったそうだが
>現状では東欧ユダヤ人の祖が彼らなのか全然違うのかまだよくわからない状態らしい。
↑は前スレからだが、
>>34はハザール起源説を断定してる人は勿論、
可能性を考えてる人もすべてトンデモと言いたいようだね。
それならそれで否定しきるだけの論拠を書くべきだろう。
では、お願いします・・・・・
>>30 そうかあ・・・工房には難しすぎたかも。(この頃はなぜか、どんな本も
つまんなくて漫画ばっかし読んでた時期だったな、そういえば。
杉浦日向子に出会ったりして、それなりに有意義ではあったけど。中学の頃
はあんなに小説が好きだったのに、村上春樹の「ハードボイルド・ワンダーランド」
くらいしか、まともに呼んだ記憶が無い。(笑))
凝った本と言えば、最近「クラウド・コレクター」という本を読みました。
これは中々良かったですよ!多分あなた好みです。
作者はクラフト・エヴィング商會。日本人の作です。
38 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 12:33
30は逝って良し!
っつーか、早く逝け。
このスレのタイトルは「諸々のこと」なので、
異なる話題が平行してても良いと思う。
ハザールに糸一本でも関わることであれば。
40 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 14:41
>>36 >
>>34はハザール起源説を断定してる人は勿論、
>可能性を考えてる人もすべてトンデモと言いたいようだね。
提灯持ちの病理もきわまってる可能性も考えられる。(w
ハザール起源説が諸説の一つとしてあって、
トンデモの人たちが都合がいいのでたまたま採用したというのが
実際のところでしょう。
41 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 15:26
42 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 15:28
中立ぶったふりしたつもりがドキュン丸出しなのが気づかないようだね。
トンデモ以外でハザール起源説なんてないだろ。60年代ならともかく今時。
43 :
36>42:2001/07/06(金) 16:12
>現状では東欧ユダヤ人の祖が彼らなのか全然違うのかまだよくわからない状態らしい。
じゃあ前レスでこれ書き込んだ人もトンデモさん?
だから根拠を教えて欲しいって言ってるんだけど。
ドキュンとかトンデモとか単語ふりまわすんじゃなくて
ちゃんと教えてくれて言ってることに嘘がなければ納得するよ。
まず書いてよ。実際、俺は細かい事情は知らないんだけど、
どーしてもハザール起源じゃないことにしたいように見えるけど。
>トンデモ以外でハザール起源説なんてないだろ。60年代ならともかく今時。
それって断定してる人の話じゃないの?上の人とか朝日新聞は?
まあ朝日はトンデモかもしれないけど。
44 :
43:2001/07/06(金) 16:48
>トンデモ以外でハザール起源説なんてないだろ。60年代ならともかく今時。
忘れてた。あとウクライナの調査団もトンデモ集団ってことになるけど。
それとアラブ人にもたぶんハザール起源説はいるだろうが
これは当たり前か。
私はパレスチナ問題経由でこの説を知ったので中立とは言えないかもしれませんが、
今までのレスを見た限りでは42さんも中立には思えませんよ。
45 :
43:2001/07/07(土) 15:38
結局、とにかくハザール起源説は誤りという結論が欲しかっただけなのかな。
でも、もう少し待ってるので、できれば教えてください。
ハザール消滅後に急速に増えたアシュケナージが
西からやってきた、セファルディと同根の人々ならその論拠を知りたいのですが。
46 :
30:2001/07/07(土) 16:02
おお、クラフト・エヴィング商會ですか。
「クラウド・コレクター」も面白いですが、
「どこかにいってしまったものたち」も最高ですよ。
架空の昔の道具の、架空のポスターや箱などを再現(?)、
それを考古学的にどういう道具だったのか推察する、
という凝った本です。(小説とは言えないな)。
ハードボイルド・ワンダーランドもいいですね。
っていうか、ハザールと全く関係ないのでsage。、
47 :
世界@名無史さん:2001/07/07(土) 16:17
>>46 「どこかにいってしまったものたち」
昔好きだった女にあげたなあ・・・
鬱死
48 :
37:2001/07/07(土) 20:35
なんか・・・雑談スレに移動したほうがよさそうですね。(笑)
49 :
モーセ:2001/07/08(日) 08:28
このスレを見てフト思い出したのが10年程前に読んだケストラー(ロッテ
じゃなくてサンバガエルのほう)の「ユダヤ人とは誰か、カザール王国の謎」。
確かスファラディ・ユダヤ人の東方浸透は少数で、アシュケナージ・ユダヤ人
のルーツはハザール帝国、との趣旨で多方面から書かれていて、非常に面白かった
記憶があるけれども、この問題はパレスチナがらみであまりに政治的すぎて
世界の田舎、日本のボケッとした学者の中にも不用意な発言でモサドに始末
されちまっているのが、既にいたりして・・・。サルマン ラシュディがらみで
モスレムに消されたのもいたっけ。
50 :
カザールのレオン:2001/07/08(日) 09:32
翻訳者が宇野正美って点だけはひっかかるけど、
面白い本だったよな。
51 :
世界@名無史さん:2001/07/08(日) 09:51
アシュケナージ=ハザール人説をやっきになって
否定するヤツらの動機って一体何なんだろね?
日本人のくせにシオニストを気取りたいのか?
52 :
世界@名無史さん:2001/07/08(日) 10:47
>>50 同感。あの本にとって不幸だったのは翻訳者が宇野正美だったってこと。
でも、ケストラーなんだし、いいんじゃないですか。
「機械の中の幽霊」はかなり面白いけど
その話をすると、上の「ハザール事典」の時みたいに
怒る人が出るかもしれないのでやめます。(W
53 :
世界@名無史さん:2001/07/09(月) 22:30
>>42はもう出てこないのかな。いずれにせよ提灯持ち派の人たちは
「反ユダヤ」「ネオナチ」に匹敵する
議論を進行させないための便利なレッテル言葉「トンデモ」を
作ってくれた唐沢俊一に感謝すべきでしょう。
もっとも唐沢自身はそういう使い方に批判的ですが。(藁
ハザール起源説に関しては決定的なキメテはないが、
躍起になって否定する輩も何か意図があるという
あたりでいいんじゃないですか。
54 :
世界@名無史さん:2001/07/09(月) 22:33
思えば唐沢俊一とかオタクって言葉作ったやつとか、すごい影響力だな。
あれ、唐沢俊一じゃなかったような…?
漏れの記憶違い?
あっ、そうなんだ。まあ広めたのは彼の「功績」ってことで。
でも唐沢自身がそういう議論封じな使い方に批判的なのはホント。
まあ当然といえば当然だけど。
しかし歴史上のハザール帝国の話も案外出てこないね。
57 :
世界@名無史さん:2001/07/10(火) 22:06
「オタク」って言葉を作ったのは中森明夫だよ。
初出はロリコンマンガ雑誌「漫画ブリッコ」。
58 :
世界@名無史さん:2001/07/11(水) 03:37
59 :
世界@名無史さん:2001/07/12(木) 13:18
>ユダヤ人自身にもカザール=アシュケナージ説を信奉する人達はいるよ。
ケストラーもそうだね。それにしてもあの死に方は
中川一郎や伊丹十三なみの怪しさだな。
若い頃はシオニストだったし、モサドじゃなくても
裏切り者として始末されたのかもしれないね。
>>49 ハザール説の真偽はおいとくとしても、不利な宣伝はしたんだし。
ただし「第十三氏族を」書いてから死ぬまでの間に
かなり間はある。
個人的印象でいえば、「機械の中の幽霊」「ホロン革命」
「サンバガエルの謎」「偶然の本質」等
翻訳されてるものは一通り読んだけど、
自殺する人間には思えなかったな。
60 :
:2001/07/13(金) 08:15
既出かも知れないが・・・。
ユダヤ人は本来アラビア系だが、白い肌、青い目を持つ遊牧民族
ハザール人がロシアから迫害を受けた時にユダヤ教に改宗し、
現在の白人系ユダヤ人の祖先になったという説がある。
トンデモだろうと思ってたら、朝日新聞なんかにもこの説に付いて
言及されていた。
電波を集めそうなネタ振りかも知れないけど(苦笑)、誰か詳しい人いる?
61 :
世界@名無史さん:2001/07/13(金) 10:58
いや、当時ロシアはそれほどの強国ではなかった(というか、ロシア人という
自覚すらあったかどうか・・・)ので、あるとすればビザンティンやイスラム
勢力との対抗上、そうなったんじゃないのかな。
62 :
世界@名無史さん:2001/07/13(金) 12:52
>>60 ちょっと上の方まで、40あたりから読んでご覧。
肯定も否定もできないってことになってる。
もっと細かい知らない話を自分も聞きたいんだが。
63 :
:2001/07/13(金) 14:06
>>61 つうか、まだキエフ公国すらないんじゃない?
4,5年前のネイチャーの記事にアブラハムの純粋な血統は
もう混血を繰り返した為にないことがDNAからわかったらしい。
ネットで検索かければ見つかると思います。
あとハザール汗国についてだが、まだ不明の部分も多くこれからの発掘で
明らかになっていくでしょう。
>>64 ただ、それを言ったらハンガリー人やフィンランド人も
同じようなことが言えてしまう。
起源て、それとは意味が少しずれると思う。
もしアシュケナージの起源がハザールとすると、
ハンガリー、フィンランドやそれこそトルコ人同様、
コーカソイド化したウラルアルタイ語族と言うことになるのかな。
66 :
過去ログ:2001/07/14(土) 15:00
67 :
>65:2001/07/15(日) 20:21
同意。混血を繰り返して
DNAはどっかいっちゃっても
起源は起源。
68 :
世界@名無史さん:2001/08/07(火) 14:26
69 :
世界@名無史さん:2001/08/07(火) 14:47
>>68 トルコ人ってチュルク語系言語をしゃべる人としか定義できない
からなぁ。
人種的にはトゥラン人種、アナトリア人種が主だろうけど、
モンゴロイドも当然ながらいたでしょう。
70 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 08:08
トルコ人って元々は北東アジアのウラルアルタイ語族と違うの?
突厥と関係あるって話は聞いたけど。発音は似てるよね。
だったらモンゴロイドかなと自分も思ってたけど。
71 :
70:2001/08/10(金) 08:10
挿入訂正します。
だったら「元々は」モンゴロイドかなと自分も思ってたけど。
>>65 仰るとおりです。言葉が足りませんでした。言いたかったのは混血の為に自分が正当なユダヤ人だ
というのは不可能と言う意味でした。
73 :
梵阿弥:2001/08/10(金) 16:24
突厥の下部?に可薩という集団があった。ハザルの前身かも。
ブランやオバディアも自分の決断が元で1000年以上も
後のはるか離れた国で熱く語られ続けるとは予想できん
かったろうなあ。イスラムやキリスト教だったらスレも
たたん。
>>74 近現代でもっとも熱い地域の一つに関わる話題になってしまったからね。
仮にハザール説が十分な根拠で否定されるようなことが
あったとしても、だからといって
パレスチナでの所行が正当化されるとも思えないけど、
まあこれはハザールとは直接関係ない話か。
76 :
世界@名無史さん:2001/08/12(日) 03:22
◆453年
アッティラ死去。フン帝国崩壊へ。コーカサスの北においてサヴィル・ブルガル・
ハザール(何れもトルコ系言語を話していた)など分離。
↓
◆5XX年代
主にサヴィル人を中心とする同盟体。ビザンティン帝国やササン朝ペルシャ帝国
と同盟・対立を繰り返す。5XX年代後半よりハザール人が主体となったらしい。
↓
◆5XX年代後半〜630年
コーカサス北部は突厥河汗国に併合。ビザンティン帝国やササン朝ペルシャ帝国
と同盟・対立。黒海北岸はアバール河汗国に併合。
↓
◆630年頃〜
突厥(西突厥河汗国)崩壊。アバール河汗国弱体化。北コーカサスの諸民族分離。
↓
◆635年
アゾフ海沿岸・タマン半島あたりにドゥロ氏(突厥の名門)のクブラトにより
大ブルガリア成立。
同じ頃カスピ海沿岸においてハザール河汗国成立。河汗はアシナ氏(突厥の支配家系)
であったらしい。
↓
◆64X年代
クブラト死去により大ブルガリア分裂。
↓
◆6XX年代半ば〜後半
ハザール河汗国によりアゾフ海沿岸(バトバイ治下)、ボルガ・カマ流域
(コトラーグ治下)のブルガール(ブルガリア)は併合され、コーカサスの北から
北方の草原地帯にいたる国土が成立する。
66X年頃アスパルフ治下のブルガール集団はドナウ川河口に移動し、ブルガリアを建国。
先住のスラブ人と同化し現在のブルガリア人へとつながる。
↓
◆6XX年代後半〜7XX年代前半
ビザンティン帝国と同盟し、その政治に関わる。ウマイヤ朝アラブ帝国との数次に
わたる戦争。一時占領されるが撤退。
↓
◆73X年〜74X年
ブラン河汗、ユダヤ教受容。
↓
◆800年頃
オバディア河汗、ユダヤ教を公的に受容。キリスト教のビザンティン帝国や
イスラム教のアッバース朝に対抗する意図があったのではと考えられている。
ハザールはイスラム帝国やビザンティン帝国や東ヨーロッパを結ぶ商業ルート上に
あり、ユダヤ商人が多く入っていたようである。
また7XX年代前半に上層部がユダヤ教を受け入れていたという事情もある。
ユダヤ教受容によりイスラム帝国やビザンティン帝国から多くのユダヤ人が流入
したらしい。
77 :
世界@名無史さん:2001/08/12(日) 03:22
◆81X年代〜83X年代
反乱発生。反乱側(カバル人と呼ばれるようになる)が敗れ西方の黒海北岸へ移動。
ハザール内にいたマジャール人がペチェニェグ人に圧迫され、黒海北岸へ
移動しカバル人と連合。
↓
◆86X年代
リューリク(ロシア(ルーシ)最初の公)の家来アスコリドとジールが
ハザール領であったキエフ一帯を併合。
↓
◆88X年代
ルーシのオレーグ、キエフ併合(アスコリドとジールは殺された)。周囲の
ハザールに貢納していたスラブ人も併合。
ペチェニェグ人、ハザールと同盟したグズ人に敗れ黒海北岸へ。
↓
◆900年前後
マジャール人(カバル人も)、ペチェニェグ人に敗れさらに西方へ。
↓
◆922年
ボルガ・カマ流域のブルガール国へバグダッドのカリフからの使者
イブン・ファドラーン行く。ブルガールはハザールに貢納していたが、
反抗しようとしていた。
↓
◆9XX年代前半
ペチェニェグ人は南ロシア平原全域に広がり、ハザール領北部の
大半は失陥してしまう。
ビザンティン帝国との関係悪化。ペチェニェグ人やグズ人、アラン国
との戦争。
ルーシ、カスピ海沿岸へ遠征。
↓
◆9XX年代の何れか
キエフ(当時はルーシ首都)においてトルコ系名のユダヤ教徒すなわち
ハザール人により綴られた文書(キエフ文書)
↓
◆954年〜961年
コルドバ・カリフ国(後ウマイヤ朝)の大臣ハスダイ・イブン・シャプルト
とハザールのヨセフ河汗の書簡交換。ハザールに関する重要な文献資料。
↓
◆965年
ルーシのスヴャトスラフの攻撃。サルケルなど占領。大打撃を受ける。
↓
◆966年
ルーシのスヴャトスラフ、ハザール最後の貢納民であるヴャティチ人を
支配下に。
以降、ルーシやグズ人などから攻撃され衰退していく。イスラムの影響力
が強くなる。
11XX年代半ばあるいはモンゴルが来る(122X年代)までは存続?
1245年〜1247年、修道士ヨハネス・デ・プラノ・カルピニが法王よりハーン
への使節としてモンゴル帝国へ。そのレポートの北部コーカサス住民リストに
ユダヤ教徒ハザール人が記載されている。
78 :
世界@名無史さん:2001/08/12(日) 09:50
>ユダヤ教受容によりイスラム帝国やビザンティン帝国から多くのユダヤ人が流入
>したらしい。
だとするとハザール起源説もそうでない説もどっちも一理あると言うことだね。
うむ
80 :
世界@名無史さん:2001/08/17(金) 01:44
>>78 そうか。流浪の民と化してかなり長く、各地で差別の対象となっていたユダヤ人が
ユダヤ教国家に集まるのは当然ですね。しかも、商業が盛んな国なんですし。
81 :
世界@名無史さん:2001/08/17(金) 23:17
>>80 >>78のようなことだったとして、「差別が理由」で集まったのは
ヨーロッパ方面からでしょうね。
イスラム世界じゃイスラエル建国前はさほど差別されてなかったらしいし。
82 :
世界@名無史さん:2001/08/17(金) 23:45
>>81 イエメンや一部の地中海の島では、未だに共存が続いているとか。
83 :
世界@名無史さん:2001/08/19(日) 12:28
やっぱりスファラディにとってはイスラエル建国で
得るものは何もなかったんだね。
イスラム世界にいたときよりも現在のイスラエルでの方が
差別されてるようだし。
84 :
梵阿弥:2001/08/23(木) 13:08
>>82 インドのムンバイやクチンには紀元前175以来と伝えるユダヤ教徒の街区がある。
16世紀にポルトガルが来るまで差別は無かったそうだ。
85 :
世界@名無史さん:01/09/16 22:37
「ユダヤ人とは誰か」だが翻訳序文(宇野正美)では
>ケストラーはユダヤのタブーに挑戦した
・・・
>本書によって世界の焦点・ユダヤ=イスラエルの真相が見えてくる
・・・
>パレスチナ人達はまさに絶望の状態にある。しかし本書は、そのイスラエル建国が
>いかに不幸なものであり、ユダヤ人達のやり方がいかに傲慢極まりないものかを示す
>ものでもある。
>ユダヤ人達は建国の根拠としてバルフォア宣言を持ち出すこともあるが多くの場合
>は自分達の先祖がこの地に住んでいたから自分達もここにすむ権利があると主張する。
>スファラディ・ユダヤ人がそう言うのならわからないでもない。しかしアシュケナージ
>・ユダヤ人、すなわちもとは中央アジアにいたカザール人がなぜそのように主張する
>のか。
付録(後書きみたいなの。アーサー・ケストラー)では
>まず第一に私が懸念しているのは、本書の論点が悪意に解釈され、イスラエルという
>国家の存在する権利の否定に結び付けられてしまうという危険性である。
>しかしこの権利はユダヤ民族の仮説上の起源基づいているものでもなく、アブラハム
>が神と交わした神話的契約に基づいているものでもない。
>イスラエル国家の存在権は国際法に基づいているのである。
・・・
>そこに住む人々の染色体がカザール人の遺伝子を持っているか、セム族か、ローマ人
>かあるいはスペイン人かは、イスラエルの存在する権利には影響を及ぼしえない。
・・・
>1000年も昔のカザール人の血の流入などはたとえそれがどんなに魅力的な問題であった
>としても、現代のイスラエルとはかかわりがないと言って良いだろう。
んで本文(アーサー・ケストラー)は第一部がハザールの歴史、第二部は第五章〜第七章
はアシュケナージがハザール系ではないかという説、最終第八章は「ユダヤ人神話と
その人種的多様性」でユダヤ人は古代・中世から預言者や教会やラビの反対にも
かかわらず混血し続け、初期の段階では広く他民族に対し布教したことを書いている。
なんか前書きと後書きがてんでバラバラな感じで面白い本だなあと思った。
http://www.fuji.ne.jp/~kimura/のwww.fuji.ne.jp/~kimura/holon/holon2_1.html にケストラーの割と詳しい略歴がある。遺書も。
http://ds.hbi.ne.jp/netencyhome/によれば("ケストラー"で検索できる)
安楽死協会会長だったそうで安楽死を実行したとされているようだ。
俺もハザール=アシュケナジー説の是非は
情報戦の一環として以外は殆ど意味がないと思う。
ユダヤ、パレスチナどちらサイドから物を言うにしてもね。
ハザル<アシュケナジ<ユダヤ教徒 でいいのです。
88 :
世界@名無史さん:01/09/17 20:58
イランでは一部でカスピ海と呼んでいる大湖のことを
ダラヤ・イ・ハザル =ハザルの海と呼ぶ。
Darya-ye Hazar
91 :
世界@名無史さん:01/10/09 23:17
発掘って今も日本人が手をつけてるの?
92 :
世界@名無史さん:01/10/11 16:22
ハザールが東欧ユダヤの起源なら、
どうしてトルコ系の言語でなく、
ドイツ語に近いイディッシュ語を話していたのか?
ここのところが納得できない。
93 :
世界@名無史さん:01/10/11 16:25
>>92 ハワイの日系人が独特の言葉を話すのと同じだろうな。
「ユーはミーのフレンドよ」
>>92 ポランドのヴァルシャワの近くのトラカイに住むカライム人はユダヤ教徒カライ派で、
カライム語はトルコ語と近縁らしいですよ。
95 :
世界@名無史さん:01/10/11 21:39
トルコ系の言語を話すユダヤ系民族集団としては、
クリミア半島にクリムチャク人もいる。
カライムにしろクリムチャクにしろハザールの子孫かどうかはわからないけどね。
96 :
世界@名無史さん:01/10/18 01:53
>
>>92 >>78のような事情もあるようだし、
トルコ系言語にこだわることは意味がないという見方もできる。
まあトルコ系言語を話す東欧ユダヤ人は
>>94-95氏の言うように
一部にはいるらしいから別にいいんだけど。
一応カライム人はハザルの末裔と自他ともに認めているそうです。羊を包んだパイをトラカイ
で客に食べさせます。もっともリトアニア大公はタタル傭兵を招いていたしハザルには
カライ派以外も明らかにいたので、彼らが本当にハザルの末裔なのか、彼らだけが末裔とも
言えないでしょうが。やはり民族は「混ざりあっけきた」のでしょうな。
「ユダヤ人とは誰か」だが翻訳序文(宇野正美)では
>
宇野正美ってトンデモ本を数多く書いている人で
信用無いよ。
10念ぐらい前に「ユダヤがわかると世界がみえてくる」という
トンデモ本が出たな。
まともな人ならこころみないよ。
99 :
世界@名無史さん:01/10/20 12:29
>98
???
>>85氏は訳者の宇野の書いた序文と著者のケストラーの書いた後書きに
温度差があるということを言ってるんだが。ちゃんと読もう。
わざと“トンデモ”で一緒くたにして
「カザール説は完全否定するのがマトモ」
みたいな印象与えたいワケじゃないんでしょう?
少し前にこのスレでそういう提灯持ちがいたけど。
100 :
世界@名無史さん:01/10/24 03:48
で、歯ザールの首都イティルはどーなってるの?
まだ水没したまま?
101 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/24 20:07
>95
ナチはリトアニアのカライムのことは虐殺しなかったようですが、
クリミアのクリムチャックは大分殺されたらしいです。
ナチの判断基準は何だったのだろう?
>>101 クリムチャックにはカライ派はさほど多くなかったのかもしれません。また、ドイツ軍は
クリミアで苦労しましたからね。「スパイだろう!」とかいって八つ当たりしたのかも。
クリムチャクは要するにテュルク語を話すだけで
あとはただのユダヤ教徒だからでしょう。
アシュケナージと一緒に扱われたんではないかと。
カライムはカライ派でしょ。
普通のユダヤ人と別に扱われたのでは?
>>103 カライ派をどうして虐殺しなかったのでしょうね。またどの程度末端で守られたかも興味深い。
105 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/30 19:47
成る程・・・。1938年にドイツ内務省がカライ派を
迫害の対象にはしない、と決定したそうですが、
実際には、戦中で、ポーランドのカライムは激減したとか・・・
106 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/30 20:30
70代のレスにありましたが、ハザールにはバグダッドや
ホラズムやコンスタンチノープルから大勢にユダヤ人が
商人などとして移住し、ユダヤ教徒のハザール貴族
(ハザール人と言っても、血統は様々で、イラン系・カフカス系・
スラヴ系・フィンーウゴル系などの雑種だったらしい)と結婚した
人もいたそうです。
私は、東アシュケナジー(東方ユダヤ人)の一部がハザール起源だという
説は誤りではないと思いますが、西アシュケナジーまでも
ハザール起源とする説は余りに歴史を無視していると思います。
107 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/30 20:43
東方ユダヤ人=西欧・ドイツのユダヤ人+ハザール+スペイン・
ポルトガルのユダヤ人(元来のセファルディ)。
近年のクリミアのユダヤ教徒は700人という記述を見たことがあります。詳しいことは
忘れてしまったし、ハザルと安易に結び付けてもいけないでしょうけど。
109 :
世界@名無史さん:01/11/10 01:52
イティルの発掘はどうなったの?
110 :
世界@名無史さん:01/11/12 02:31
ずいぶん前の方で出ていた提灯持ち(?)だが。まだ続いてたんかい。
久しぶりにきてみりゃ何だコリャ?
つまりアシュケナジーの一部がハザール起源ではということだけどなにか?
ごく一部でいいんなら、そりゃなんだってあるだろ。馬鹿らしい。
そういうのは「アシュケナジーの起源はハザールではなかった」ってことを全然否定してないじゃん。
113 :
【^▽^】ジョーカー:02/01/12 14:09
東アシュケナジー(東欧ユダヤ人)には、髭や体毛が非常に濃く、
鉤鼻(鷲鼻)で、縮んだ頭髪の人が多くいる。
これはセム系の証拠だ。
114 :
【^▽^】ジョーカー:02/01/12 14:13
DNAを調べれば判明するさ。
115 :
【^▽^】ジョーカー:02/01/12 14:21
”アシュケナジー”=ハザール説は、
明治天皇=大室寅之祐説と同じ位の電波ぶりだ。
>>112 本気でいってるのならおもしろい。(・∀・)
このスレまだ続いていたのか・・・感動したのであげ。
118 :
世界@名無史さん:02/01/16 04:52
119 :
世界@名無史さん:02/01/26 03:30
>117
もっと続くよ。
アゼルバイジャンに山岳ユダヤと言う集団がある。
121 :
世界@名無史さん:02/02/18 17:14
>>120 ユダヤ人はほとんど移住したって聞いたけど。
ユダヤ人とどう違うの?山岳に住んでるだけ?
ユダヤ教徒は都市に他の集団と混じって暮し商業を担う事が多いのですが(ゲットー等例外は有る)
アゼルバイジャンの山岳ユダヤ教徒はハザルの海(カスピ)近くの山奥にユダヤ教徒だけの集落を
構えて住んでいます。数は少なく千以下かもしれませんが。ハザル発の文書に、カフカスを通り
伝道師が来て神の教えを広めた、とあり(東ローマ皇后イレネ宛だったか)ハザルのユダヤ教受容
の経緯を偲ばせる集団かもしれません。すぐ傍にタート人というのが居てかつては混同されてました。
123 :
世界@名無史さん:02/02/24 18:56
あげ
124 :
メキシコ彦蔵:02/02/24 23:25
「ユダヤ人」という名称は、ハザルが栄えていたときにはないのではないでしょうか?
あくまでも、「ユダヤ教徒」でありましょう。
>>115 ハザル<アシュケナジ<ユダヤ教徒 でいいのです。
@
■東欧ユダヤ人のルーツの謎 〜「出ドイツ仮説」の検証〜 その1
一般に「アシュケナジーム」のルーツについて“定説”とされてきたのは、
西欧のユダヤ人が東部へ向かって流れ出して、ドイツ・ラインラントから
東部へ移住したというものであった。
いわゆる「出ドイツ仮説」と呼ばれるもので、東欧のユダヤ人の祖先は
西ヨーロッパ、特にドイツからの移住民であったと信じられてきたのである。
しかしこの伝統的「出ドイツ仮説」は、ラインラントのコミュニティーの規模の小ささ、
ラインの谷間から出て行くほどの積極性のなさ、逆境下でのあまりにも紋切り型な対応の仕方、
そして、当時の年代記などにその移動を示唆する記述が全くないなど、様々な問題を抱えている。
(以下、長文が続くけどごめん。テキスト保存だったのでURL忘れちった(汗)
A
「アシュケナジーム」というヘブライ語は、中世のラビ文献中では
「ドイツ」の意味に使われており、一般に誤った印象を与える恐れのある語である。
この語のイメージが、現代ユダヤ人の9割を占める東欧のユダヤ人の祖先は、
ライン川から興ったとする伝説を生み出す原因となったのである。
また、東欧のユダヤ人たちが使用していたイーディッシュ語は、
ドイツ語からの借用語が多く、このことも「出ドイツ仮説」を支える結果となっていた。
イーディッシュ語というのはユダヤ教の礼拝に用いられている言葉で、
ナチスによるホロコースト以前は日常の話し言葉としても広く用いられていたが、
今日ではソ連やアメリカの少数の伝統主義者の間で残っているだけである。
イーディッシュ語はヘブライ語、中世ドイツ語、スラブ語その他の混成語で、
ヘブライ文字を使って書かれる。現在は、絶滅しかかっている言語であるためにかえって
アメリカやイスラエルでは学問の対象として注目を集めるようになった。
しかしそれまでは、20世紀に入ってからでさえ、ヨーロッパの言語学者の間では
単なる奇妙な訛り言葉でまともな学問の対象にはならないと考えられていた。
***
B
イーディッシュ語におけるドイツ語からの借用語の多さは注目に値するが、
どこの地方のドイツ方言が含まれたかを辿ることによって、
逆に「出ドイツ仮説」が正しくないことが判明する。
ユダヤ史研究家ミエセスは、イーディッシュ語の語彙、音声、統語法を
中世の主なドイツ語方言の幾つかと比較研究して、次のように結論している。
「フランスと国境を接する地域のドイツからの言語要素は、
イーディッシュ語には全く見られない。J・A・バラスがまとめた
モーゼル−フランコニア語起源の語彙リストからは、ただの一語もイーディッシュ語に
入っていないのである。もう少し西部ドイツの中心に近いフランクフルト周辺の言語も、
イーディッシュ語に入らなかった。……つまり、イーディッシュ語の起源に関する限り、
西部ドイツは除外されてよい。……では、ドイツ・ユダヤ人は昔々、フランスから
ライン川を渡ってドイツへ移住してきたという定説が間違っていたということなのだろうか?
然り。ドイツ・ユダヤ人──アシュケナジームの歴史は、書き直されなくてはならない。
歴史の間違いは、しばしば言語学の研究によって訂正されるものである。
アシュケナジームはかつてフランスから移住してきたとするこれまでの定説も、
訂正を待つ歴史の誤謬の一つなのである。」
このように、ミエセスは、イーディッシュ語の中のドイツ語要素が
西ヨーロッパ起源のものではないとして、これまでの定説を覆した後、
イーディッシュ語に最も大きな影響を与えたのは、
いわゆる「東中部ドイツ方言」であると指摘している。
この方言は、15世紀頃までオーストリアのアルプス地方および
バイエルン地方で使われていたものである。
つまり、イーディッシュ語に入ったドイツ語は、
東ヨーロッパのスラブ・ベルト地帯に接する東部ドイツのものだったのである。
***
C
ここで重要になってくるのが、中世の東欧・ロシアでは、
ドイツの文化がもてはやされていたという点だ。例えばポーランドに住む人々は、
ドイツ人の文化を喜んで受け入れ、ドイツ式のやり方を真似た。貴族階級さえも
ドイツ式を好むようになり、ドイツから来たものは何でも美しく素晴らしいと考えた。
当時、ポーランドにいたユダヤ人──アシュケナジームたちも、
社会的成功のためにドイツ語を学ばざるをえなかったであろう。
また、先住のポーランド人と商取引をする立場の人は、商業用ポーランド語も
学ばねばならなかったであろう。手工業者や材木商人はドイツ人顧客には
ブロークン・ドイツ語で話し、荘園内の農奴にはブロークン・ポーランド語で話し、
そして家庭ではヘブライ語にドイツ語やポーランド語を適当に交ぜて、
混成国際語としてのイーディッシュ語が形成されていったと推測される。
***
もともとイーディッシュ語は長期にわたる複雑な過程を経て完成された言語である。
書き言葉として現われるのは19世紀になってからであり、それ以前にはずっと
「話し言葉」としてのみ使用されており、しかも決まった文法もなく、
人が好きなように外国語を加えることができた。決まった発音も綴りもなかった。
ポーランドのユダヤ人の中で、ドイツ語の誘惑に精神的でも物質面でも
抵抗をしたのはカライ派のみである。彼らはラビの学問も物質欲も拒否した。
したがって、彼らはイーディッシュ語には決してなじまなかった。
1897年の第1回全ロシア国勢調査によると、ロシア帝国(ポーランド含む)内には
1万2894人のカライ派ユダヤ人がいた。彼らのうち9666人がトルコ語
(ハザール方言)を母語としており、2632人がロシア語、
そしてイーディッシュ語はたった383人であった。
しかし、カライ派というのはあくまで例外的存在といってよいだろう。
一般論として、移住民というものは2、3世代のうちにはもとの言語を捨て、
新しい土地の言語を採用するものなのである。例えば、現代アメリカの場合を考えてみても、
東ヨーロッパからの移民の孫の世代はポーランド語やウクライナ語を話さない。
そればかりか、祖父母のしゃべるチンプンカンプンな言葉をこっけいとさえ思うだろう。
このことから考えても、これまで多くの歴史学者たちが
ハザールからポーランドへの移住を裏付ける証拠を無視してきた理由というのが、
ハザール人がハザール語とは異なった言語を使っている──移住後500年以上も
経っているのに──という点だったとはとても理解しがたいことである。
ついでながら付け加えると、聖書に登場するイスラエル12支族の子孫たちは、
言語的適応性を示す見本と言えるほど、多くの言語になじんできている。
最初、彼らが話していたのはヘブライ語である。バビロン補囚時代になるとカルデア語、
イエスの時代にはアラム語、アレキサンドリアではギリシア語、
スペインではアラビア語──ただし後にはラディノ語となる。
ユダヤ人は宗教上のアイデンティティーは守り続けたが、言語の方は
都合のよいものにどんどん変えていったのである。ハザール人は
イスラエル12支族の子孫ではない。しかし、彼らはイスラエル12支族の
コスモポリタン気質と、その社会的特徴とを共有しているのである。
***
D
■東欧ユダヤ人のルーツの謎 〜「出ドイツ仮説」の検証〜 その2
次に、当時のドイツのユダヤ人の状況を具体的に眺めて、
「出ドイツ仮説」を検証してみたいが、
これまで定説とされている、西ヨーロッパ・ユダヤ人の
ラインラントからポーランドへの大脱出──その途上、彼らは敵意に満ちた
非ユダヤ人地帯であるドイツを通り抜けたとされていたのだが──は、
歴史的にみて根拠が薄いことが分かるのである。
***
E
記録に残っている限りでは、ドイツにおける最初のユダヤ人コミュニティーは、
906年のものである。この年、イタリアのルッカから
マインツへ移住したカロニムスという人物の率いる一団があった。
同じ頃、シュパイヤーやウォルムスにもユダヤ人が住んでいたという記録が見出される。
もう少し時代が下ると、トレブ、メス、ストラスブール、ケルンなど、
ライン川沿いのアルザス地方にもユダヤ人コミュニティーができていたらしい。
この頃のユダヤ教会の記録類を見ると、ドイツでは3つの都市
(ウォルムス、マインツ、シュパイヤー)だけが挙げられているにすぎない。
これらのことから、11世紀初頭のラインラントでは、この3都市以外の
ユダヤ人コミュニティーは、まだとるにたらない程度の
存在であったとみなしてよいだろう。
1096年に第1回十字軍が起き、ラインラントのユダヤ人たちは
キリスト教徒の十字軍によって大勢が虐殺された。
この時の犠牲者は、ウォルムスでは約800人、
マインツでは900〜1300人と、ヘブライ側文献では一致している。
もちろん、死よりは改宗を選んだ人々もいただろうし、文献には生き残った人の数は
記されていない。しかし、この両都市でのユダヤ人総数は、
死者だけの人数とされている数よりさほど多かったとは考えられず、
ウォルムスとマインツで生き残ったユダヤ人の数は、
それぞれせいぜい300人程度にすぎなかったと推測されている。
***
F
以上のように、ドイツ・ラインラントにおけるユダヤ人の人口は
第1回十字軍以前でさえ、ほんの少人数であったと考えられ、
十字軍が通過した後はますます減少してしまったということが考えられる。
しかも、ライン川より東の中央・北部ドイツには、当時──そしてその後かなり長い間──
ユダヤ人コミュニティーは全く存在すらしていなかったのである。
以前ユダヤ史学者の間では、1096年の十字軍がドイツ・ユダヤ人の大集団を
ポーランドへ押し出したと考えられていたようであるが、これは今や伝説と化してしまった。
当時はハザールの歴史についてはほとんど何も知られていなかったため、
東ヨーロッパに何処からともなく出現した大量のユダヤ人の出どころが他には考えられず、
辻褄の合いそうな仮説で埋め合わせしてきたのだ。
最近の文献では、ラインラントからドイツ東部へ向かってのユダヤ人の移住について、
ましてや遥か東のポーランドへの移住に関しては全く触れられていない。
この旧学派に属するユダヤ人学者シモン・デュブノブは
「東へ向かった第1回十字軍は、ユダヤ人集団を更に東へ追いやった」と
いったん書いたすぐ後、次のように付け加えざるをえなかった。
「ユダヤ史にとって非常に重要な意味を持つこの移動の状況に関し、
詳しい記録は一切残されていない」。
***
ところが一方では、次々と繰り出される十字軍の時代に、ドイツ・ユダヤ人
コミュニティーがとった悲惨な行動の記録は豊富に残されているのである。
例えば、自ら死を選んだ者あり、抵抗して殺された者あり、
中には幸運にも生き残った者もいた。この生き残り組は、緊急時には一応法律上は
ユダヤ人を保護する立場にあった司教や軍事長官の城塞にかくまわれていたのだった。
ただ、この種の保護は常に有効であったとは言えないが、ともかく十字軍が
嵐のように通り過ぎた後、生き残った者たちは略奪された我が家へ、シナゴーグ
(ユダヤ教会堂)へと戻って行って、そこで新たな出発をしたのであった。
年代記には、トレブで、メスで、その他の地域で、このパターンの繰り返しが見られる。
第2回以降の十字軍遠征の頃になると、ユダヤ人側の対応の仕方も手慣れたものになってくる。
「新しい十字軍が沸き起こると、マインツ、ウォルムス、シュパイヤー、
ストラスブール、ウュルツブルクその他の都市のユダヤ人たちは、
書物その他の財産を新しい隣人に託して、近くの城塞へと逃げこんだ」
これらの史料の一つである『追想録』を書いたエフライム・バー・ヤコブ自身も
13歳の頃、ケルンからウォルケンブルク城へ逃れた避難民の一人であった。
ソロモン・バー・シモンによると、第2回十字軍の時代には、マインツのユダヤ人は
シュパイヤーにかくまわれ、やがて故郷へ戻って新しいシナゴーグを再建したという。
これが年代記に一貫して現われるモチーフである。
ユダヤ人が東部へ向かって流れ出していったという記述は一言もないのだ。
更に指摘するならば、ドイツ東部は当時はまだ「ユーデンライン」
(ユダヤ人に汚されていない土地)であった。
そしてそれからも、数世紀にわたって「ユーデンライン」であり続けるのである。
***
G
なお、13世紀に入るとドイツのユダヤ人コミュニティーは多少回復の兆しを見せる。
しかし、これはほんの短い猶予期間にしかすぎなかった。
14世紀になると、フランスとドイツのユダヤ人には、
また新たな迫害の手が伸びてきたのであった。
その最初の悲劇は、フィリップ4世の領地からの全ユダヤ人追放であった。
フィリップ4世に追い出されたユダヤ人たちは、フィリップ4世の版図外にあるプロバンス、
ブルゴーニュ、アキテーヌ、その他のフランス内の封建領土へと逃れて行った。
「フランスのユダヤ人がまさに崩壊の危機に瀕していたこの時代にも、
ドイツのユダヤ人人口がフランスからの流入によってその数を増したという
記録は全く残されていない」とユダヤ史研究家ミエセスは述べている。
また、ユダヤ人がフランスからドイツを通り抜けポーランドへ移動していったという記録も、
この時代にはもちろん、その他の時代にも全く見当たらない。
フィリップ4世以後の時代になると、ユダヤ人は
一部呼び戻された(1315年および1350年)が、もとの状態に回復することは
不可能であったし、新たに湧き起こる迫害を阻止することもできなかった。
14世紀末頃まではイギリス同様、フランスも事実上「ユーデンライン」
(ユダヤ人に汚されていない土地)であったと言えるであろう。
***
H
14世紀のユダヤ史上第2の悲劇は「黒死病(ペスト)」であった。
トルキスタン経由で東方からやってきたこの疫病は、1348〜1350年の2年間だけで、
ヨーロッパ全人口の3分の1(地域によっては3分の2)を消し去った。
この黒死病は、十字軍に続いて、東欧のユダヤ人の起源の謎を解く
“第2の鍵”だと長らく考えられていたのであるが、黒死病の場合も、
ユダヤ人の「出ドイツ仮説」を裏付ける証拠は皆無である。
黒死病の時も、ユダヤ人の生き残りへのたった一つの道は、十字軍の時と同様に
ドイツを出ることではなく、ひたすら団結して砦のような場所か、
多少は敵意の少ない地域にかくまってもらうというものだった。
黒死病の時代にユダヤ人が移住を行なった唯一の例としてミエセスが言及しているのは、
シュパイヤーのユダヤ人がハイデベルクに逃れたというものであるが、
これでも、ほんの10マイル程度の移動にしかすぎない。
黒死病の通りすぎたあとのフランスとドイツでは、
ユダヤ人コミュニティーは事実上消滅してしまった。その後、ほんの2、3の小集落が
細々と生活していただけで、スペインを除く西ヨーロッパ全域は
それから200年間というもの「ユダヤ人に汚されていない土地」
(ユーデンライン)であった。
16〜17世紀になって、イギリス、フランス、オランダに、近代コミュニティーを
開いたユダヤ人たちというのは、スファラディム(スペイン系ユダヤ人)と呼ばれる
全く別の系統のユダヤ人である。彼らはそれまで1000年以上にもわたって
住んでいたスペインから、この頃になって追い出されたのであった。
***
このように、これまで定説となっていた
西ヨーロッパ・ユダヤ人のラインラントからポーランドへの大脱出
──その途上、彼らは敵意に満ちた非ユダヤ人地帯であるドイツを通り抜けたと
されていたのだが──は、歴史的にみて根拠が薄いことがわかる。
「出ドイツ仮説」を裏付ける証拠は皆無といってよいのだ。
***
I
■東欧ユダヤ人のルーツの謎 〜「出ドイツ仮説」の検証〜 その3
面白いことに、ポーランド建国にまつわる言い伝えの中に、
ユダヤ人が重要な役割を担っている話がある。この言い伝えによると、
ごめん送信ミスった。
時間が無くなったので、とりあえずこのへんで m(__)m
どうでもいいけど、機種依存文字使いまくりですな。
138 :
世界@名無史さん:02/03/18 19:36
・∀・) オモシロイ! 続編希望〜
現在、ユダヤ人の9割近くを占めるといわれるアシュケナジー系ユダヤが
世界で一番多い国はアメリカだけど、20世紀以前の歴史では、
ロシアが世界で一番多い国だったという。
他のヨーロッパ諸国に比べて圧倒的な数だったらしい。
(もちろんイベリア半島のスファラディ系ユダヤ社会は除く)
なんでベニス周辺の国(中欧)ではなくてロシア?と思ってたが、
ハザールについて知ってからは、いろいろと謎が解ける感じで興味深い。
>>140 むしろ、中東に多いのが自然でないかい?
>>141 中東のユダヤ人(オリジナル系?)って、
西暦130年頃にローマ帝国との戦いに惨敗し、
70万人以上死んだという。
そして、皇帝ハドリアヌスが徹底的なユダヤ狩りを開始したから、
もともと中東に住んでいたユダヤ人は、随分、消えちゃったらしい。
イベリア半島で栄えたユダヤ社会は、この中東から追われた人たちが
作ったものだけど、スファラディ系ユダヤだから、
現在のユダヤの9割近くを占めるといわれる
アシュケナジー系とは別の集団。
143 :
世界@名無史さん:02/03/21 03:52
え、ミズラヒムは?
126は大昔のケストラーの説まんまじゃねえか??? 害毒まきちらすのやめれ
145 :
世界@名無史さん:02/04/06 17:02
>>126 さっと読んで2つの重要な間違いや見落としがあるが。
1 ポーランドが憧れを持っていたのはフランク教会系のドイツでなく、ローマ教会のあるイタリアであった事
2 カジミェシュ大王によるユダヤ人の大量受け入れ政策
146 :
世界@名無史さん:02/04/06 17:07
,、_ __,....,_ _,...、
,} {`i;:r,;'ニ (;;;;、` , r'
. {i' i:.'ー<.・)}:ム ヾi,
キタ━━━━━━━ノ // -r /:::ミ ('ーヽ━━━━━━━━━??!!
i゙ i:/ /二./ /',=、__ノi/
ヽ ヽ! {:::} //::::''´`'7!/
ヽ、__ヽ!l::i:::::ii;;;;;;;|,ノ
`ヽ、`ー""ヽ
`'ー-'''"
147 :
世界@名無史さん:02/04/06 17:27
>>126 >>145 あと、
14世紀の末のドイツからポーランドへのエクソダスがはっきり書かれてないね。
これはカジミェシュ大王の頃だけど。
そのころ同時にキリスト教会が、ユダヤ人のキリスト教徒への高利貸しを禁止して、
彼らは職人になっていった。
15世紀の終わりにはクラクフの都市ギルドがユダヤ系職人への権利保護協定を結んでいるが、
他の地域では対立の収拾がつかず、各地でキリスト教徒とユダヤ教徒の都市職人同士の衝突が起きている。
148 :
世界@名無史さん:
>>147 ツー事は、西欧に残ったユダヤ人は金貸しを続け、
東欧に移ったユダヤ人は職人になったわけか。
ポーランドが消えてロシア支配下になってからは無産階級に突き落とされたんだよな。