1 :
うー:
アフガニスタンで虐殺され続けるモンゴル人の子孫
ハザラ人を救おう
2 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 00:10
すくうのは別にして、一口メモ
イランを旅行すると
日本人はよくアフガニスタン人にまちがえられるけど、
あれはハザラ人にまちがえられているからだ。
かれらはシーア派なので、同じシーア派のイランにたくさん逃げているのだ。
3 :
でも:2001/06/14(木) 00:27
ハザラ人の先祖が現地の人々を虐殺したんだよね。
どこだっけチンギスの孫が戦死したのを痛んで
住民のほとんどをぶっころして壊滅した都市が中央アジアの
どこかにあったよね。
4 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 00:42
近代までチンギス・ハンの時代のモンゴル語を話し続けていた
「モゴール人」ってのもいるはずだよね、アフガニスタン。
>>3 現アフガニスタン領の中央アジアのどこかだったと思う…。
5 :
自転車小僧:2001/06/14(木) 01:34
>3
サマルカンドかブハラ。
ハザラ人はパキスタンにもタジキスタンにもいる。
モゴール人はアフガンにしかいないし、ドスタム将軍
派と行動を共にしてバーミヤンで敗北したあと北部へ
逃げたと聞く。モゴール人のモンゴル語はもうほとんど
話されてないよ。
岩波新書『モゴール族探検記』梅棹忠男参照。但し絶版
>>5 違う。
サマルカンドの旧市街がチンギス・ハンに破壊されたのは事実だけど、
チンギスの孫が戦死したのは絶対サマルカンドでもブハラでもないはず。
…調べた。そうだ、バーミヤンだった。
アフガン領トルキスタンじゃない、
まさについこの間までハザーラ人の拠点だった所じゃないか…。
>モゴール人のモンゴル語はもうほとんど話されてないよ。
だから「近代まで」って書いたんですけどね。
7 :
つまり:2001/06/14(木) 04:05
ハザラ人はパーミヤンなどという過去の虐殺の地にそのまま住んでいた
というわけですね。
現地の民族主義者に冷静になれと説得する事がそうとう難しそうな
土地によりによってハザラ人もよう住んだもんですね。
ウヨッキーな政権が出来たときにそんな虐殺の歴史があった土地に
虐殺を行った民族の子孫がおったらスケープゴートにされる事は
わかりきっておろうに・・・・・・
お!そういえばこの土地だろう。仏像が破壊されたのは?
ハザラ人の虐殺と同じ土地であった事は単なる偶然なんだろうか。
タリバンの主力はパシュトーン人と聞くが、原理主義であると同時に
アフガニスタンの過去の清算とうたった民族浄化政策だったりしてー
でも他民族国家アフガニスタンでそんな事して収まるわけないし
なんか複雑な背景があるような気がするなり。
誰かその編もおりこんで騙ってくれ。
8 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 08:16
おなじ黄色人種としてハザラ人への同情は起こらないのかな。
モンゴル軍の虐殺といえば
当時アフガンのあたりで第一の都市だった
アフガン領トルキスタンのバルフの方が有名やね。
現在のマザーリシャリフ近傍。
それから、ハザラ族以外はスンニー派なんスよ。アフガニスタン。
タリバーンもマスードもドスタム将軍もついでにパキスタンも。
10 :
ななし:2001/06/14(木) 11:30
アフガニスタンではモンゴル軍が地下水路に至るまで
徹底的に破壊した都市とかは、そのまま復活せずに
廃墟のままだとか…。
11 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 12:29
ハザラ族の容貌が典型的なモンゴロイドなのは確かだけれど、
チンギスハーン軍の末裔というのは伝承にすぎないです。
言語的な関連性も薄いし、どちらかと言うと古いモンゴル語
の特徴を保持しているモゴール語を話していた(?)とされる
モゴール族の方が、モンゴル人の子孫である可能性高いとさ
れてます。
1が言うハザラ族虐殺の詳細は知らないけど、モンゴル云々
という事より、彼らの多くがシーア派である事の方が、迫
害の理由として大きいと思いますよ。
板違いのスレッドにしては、世界史板らしいレスが色々付
いたねえ。
>>11 昔からハザラはモンゴルの末裔って言われてるけど
まったく証明はされてないんだよね、たしか。
顔つきがモンゴロイドっぽいなぁというだけの話で。
ハザラ人ってペルシア語話者だっけ?
13 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 10:18
同じモンゴロイドとして黙っておれん!!
日本でアフガニスタン野郎をみつけたら徹底的に痛めつけてやる
10年くらい前に、イランのコムでハザラだと名乗る小父さんに会いま
したが、喋らなければ日本人と区別つかないようなモンゴロイド顔でし
た。
>>12 > ハザラ人ってペルシア語話者だっけ?
平凡社世界大百科事典には、ペルシャ語のハザラ方言と書かれてます。
15 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 16:29
16 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 23:11
ハザラ人とハザール人の関係は?
17 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 23:34
ハザール人は人種的にはどうか知らないけどユダヤ教徒だったんじゃないの?
一年ぐらい前のMSNの田中学のMLに
イスラエルの民はディスアポラ以前の民であるのは少数で
ハザール人の子孫が結構いるというような意味の記事を読んだ覚えが
ある。
もっとも田中学なる人物が信用に値する人なのかどうか
わしゃしらん。
MSが雇っているライターだからトンデモ説では無いと思うけどね。
18 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 23:40
ハザールはビザンチンとかペルシャのころにコーカサスにいた
遊牧民でしょ。
一つの国家がまとめてユダヤ教に改宗した世界史上唯一の例
と言うことで有名だよね。
名前からするとチュルク系という感じもするけど人種的には
どうだったんだろうね。
いまのタタール人なんかから想像するとコーカソイドの血が
けっこう入ってたような気もする。
ハザラ人はモンゴル帝国の末裔とも言われてるくらいだから
ハザールとは時期的にずれてるんじゃないかな。
19 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 23:50
ユダヤ教に何で改宗したんだ?
あれは民族宗教だろう・・・・
ユダヤ教を他民族にも普遍的にしたキリスト教ならまだわかるけど
ユダヤ教になる理由がさっぱりわからん。
ついでに言えば連中が縁もゆかりも無いイスラエルに移住したのは
事実なのか?
まあイスラエルは人種的統合国家では無いからそんなものかとも
思うが・・・・
20 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 23:58
たしかビザンチンからはキリスト教を受け入れるように圧力を
うけ、もう片方からイスラム教をせまられ、国家として隣国
の宗教に飲み込まれないようにするためにユダヤ教を受け入れた
という説を聞いたことがあるな。
21 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:05
22 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:19
http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F/a2f2103.html ●『ユダイカ百科事典』という面白い本がある。これはユダヤ人の学者たちが編纂する、今日ではユダヤ文化・宗教・歴史・人名・地名・政治に関する最も権威ある百科事典とされているものであるが、この百科事典には「イスラエル版」と「外国版」があって、「イスラエル版」はイスラエル国内でないと読むことができない。
そして興味深いことに「イスラエル版」のほうでは、ハザール人の起源とヨーロッパのユダヤ人の接点について以下のように記述し、東欧のユダヤ人が中欧(ドイツ)のライン地方から移住したという通説を否定している。
「・・・中世の東ヨーロッパにおけるユダヤ人の存在およびユダヤ思想には、大きな影響力があった。東方から中央ヨーロッパに向かっての移住集団が、“ハザール”と呼ばれていた事実から、彼ら東欧のユダヤ人の起源がハザール汗国にあった可能性を無視することはできない。」l
23 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:20
●また、同じ『ユダイカ百科事典』によれば、15世紀末にスペインから追放されたスファラディ系ユダヤ人が17世紀に減少したのに対し、“シュテトル”と呼ばれる独特の村落を形成した東欧のアシュケナジー系ユダヤ人の人口は増加しているという。
更に、12世紀の中央ヨーロッパで、ハザールと呼ばれる移住集団に関する記録が消滅すると、その後まもなくアシュケナジー系ユダヤ人の歴史が始まっているのだという。しかも、12世紀において、アシュケナジー系ユダヤ人が全ユダヤ人の6〜7%にしか過ぎなかったにもかかわらず、現在は全ユダヤ人のうちの90%以上を占めているという。
・・・・だって。
トンデモですかね?
24 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:24
ユダヤ人って中東起源のはずなのに
アシュケナージの顔は全然中東風じゃないもんな。
25 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:36
以前、ハザール人のスレッドあったんですけどね。お蔵入りしちゃったみたいですな。
何でハザールがユダヤ教に改宗したかはよくわかってないですが、ハザールって国は
かなりの強国なので
>>20さんが言われていることから連想されるほど弱弱しい理由
ではないでしょう。まあ、文化的なアイデンティティの確立のために利用された、という
ことならば納得できなくもないですけれど。(もしかしてそういう意味?)
アマゾンこむで捜したら、こんなの出てきた。
ハザール 謎の帝国
S.A. プリェートニェヴァ (著), 城田 俊 (翻訳)
2. ハザール事典―夢の狩人たちの物語 男性版
ミロラド パヴィチ (著), その他 単行本 (1993/05/01) 東京創元社
ハザール事典―夢の狩人たちの物語 女性版
ミロラド パヴィチ (著), その他 単行本 (1993/05/01) 東京創元社
一番上のは持ってる。下の男性版のほうも読んだことあるが、内容は覚えてないぞ・・・
でも、下のは物語りみたいのだった気がする。
26 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:38
伝説では、キリスト・イスラム・ユダヤで論争させて
その結果でユダヤ教を選んだとか。嘘っぽいらしいけど。
王の称号がカガンとかいったそうだから、遊牧民がルーツ
みたいだね。ユダヤ教に国民全部が改宗したのか、支配層
だけなのかもまだよくわかっていない。
ハザール滅亡後、大半はイスラム教やキリスト教に吸収
されたんじゃないかというのが常識的な線じゃない?
コーカサスに小さなユダヤ教コミュニティがあるらしいが
これが末裔じゃないかという噂。
28 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:46
上のリンクに
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/hosetu13.html ところで、ハザール人自身の手になる数少ない史料の中に「ヨセフの手紙」があります。これは10世紀の中頃に可汗であったと見られるヨセフが、西の果てスペインに住むハスダイ・イブン・シャプルトというユダヤ人からはるばる送られてきた手紙に答えたもので、ハザールの支配者が自国の情勢について語った貴重な史料になっています。
ヨセフの語るところによれば、ハザールはヴォルガを下って攻めてくるルーシその他の民族と勇敢に戦い続けており、それによってイスラム世界全体が荒らされるのを防いでいる、のだそうです。これは、手紙の受取人であるハスダイがイスラム王朝(後ウマイヤ朝)の廷臣だったことから、「我々はイスラムの側に立っている」という一種のアピールであったとも考えられます。しかしそうした点を割り引いても、ハザール自身が(現代のヨーロッパの研究者と逆に)「西からの攻撃に対して東を護っている」と述べているのは皮肉なことだと言えます。結局ハザール滅亡後も、ヨセフが危惧して見せたようにルーシの軍勢がバグダードを荒らすことはなかったのですが。
と書かれているね。
ユダヤ教なのにイスラムの担い手?
さらにわけわかんないね。
誰か別スレたてろや!
29 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:48
話題が外れて申し訳ない。他にモンゴル帝国の遺民の末裔
じゃないかとされてる民族ってどういうのがあるんですか?
30 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:50
朝鮮人がモンゴルの血がかなり入っているとよく言われているね。
高麗の首脳陣が江華島に逃げている間
庶民が半島単位で強姦され続けたらしいが・・・・
31 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:53
それは皮肉にもハザールがビザンティンやキエフと、イスラムとの
間の中間に位置し、緩衝国的存在になったからでは?
32 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:55
スマソ。31は>28氏です。
どうせ板違いのスレなんだから、どんな話題続けても良さそう
な気がするけど、既に立ててしまったじゃしょうがないか。
>>4梅棹忠夫「モゴール紀行」(岩波新書?)というのがあるね。古いけど面白い。
36 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 06:54
>>29 西のほうにいるモンゴルはみんな現地の人間と混血しちゃって
言語も顔つきもトルコ化してしまったものばかり。
そのうちではアフガニスタンのモゴール人は
(近代までだけど)モンゴル語を保存していた数少ない民族だし、
ハザラ人は(本当にモンゴルの末裔だとしたら)
言語こそモンゴル語を早くに失ってしまったけど
モンゴロイドの顔つきを残した珍しい例だと言える。
やっぱり彼らが山岳地帯の住民だからかな?
37 :
4:2001/06/16(土) 06:57
38 :
もんごろいどー:2001/06/16(土) 17:16
ムンダ族 ムンダぞく Munda
インドの中・東部に住む部族の一つで, 人口は約 600 万人。 とくにビハール州のチョタ・ナーグプルの丘陵地帯に集中している。 本来は北西部インドにいたが,アーリヤ人の侵入を受けて現地帯に移動した。 人種的にはプロト・オーストラロイドに属し, 言語的には東南アジア大陸部に広がるアウストロアジア語族に属する。 ムンダとは〈富裕で信望のある人〉の意味で, ヒンドゥーの人々による呼称であり,ムンダ族自身の自称は〈ホロ〉で人間という意味である。
ノガイ族 ノガイぞく Nogaitsy
ロシア連邦,北カフカスの南部に住む民族。 キプチャク・ハーン国を構成したトルコ系・モンゴル系遊牧民の末裔で, 人口 7 万 3700 (1989)。 チュルク語系のノガイ語を話し,宗教的にはイスラムのスンナ派に属する。
39 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 18:38
ノガイはトルコ系遊牧民でしょ…。
だから人種もコーカソイドだと思う。
もともとタタールの一派だから。
それよりあのあたりにはモンゴル系民族カルムィクがいる。
16世紀にジュンガリア方面から移住してきた
オイラトの一部族トルグート部の末裔だから、
モンゴル帝国の子孫というわけではないが。
トルグート部の半分は18世紀のジュンガル部の滅亡後に
ジュンガリアに帰還して清→中国に入ったけど、
帰還のときヴォルガ川の向こうにいて川が渡れずに取り残された者たちが
そのままロシアの支配下に残ったもの。
レーニンの祖母がたしかこの民族の出身だね。
40 :
自転車小僧:2001/06/16(土) 23:59
41 :
世界@名無史さん:2001/06/17(日) 22:43
アフガニスタンってグレコ・バクトリア人の子孫と思われる
ギリシア人そのものの民族的特長を残した人々もいませんでした?
42 :
世界@名無史さん:2001/06/17(日) 23:49
>>41 ヌーリスタンのヌーリ人ですね。アレクサンドロス軍の子孫てな説もある。
ヌーリ人はイスラム教徒になってますが、パキスタン側のカフィリスタンの
カフィル人(カラーシャ人)は独自の宗教のままとのことですのー。
43 :
世界@名無史さん:2001/06/17(日) 23:54
>カフィル人(カラーシャ人)は独自の宗教のままとのことですのー。
カフィル(カーフィル)ってアラビア語の単語で、
(イスラム教徒から見て)「異教徒」って意味らしいね。
44 :
自転車小僧:2001/06/24(日) 03:31
>29
モルドヴァのガガウズ人、ロシアのトゥヴァ人、
カルミク人なんかもそうだと言われる。
45 :
39:2001/06/24(日) 04:19
>>44 ガガウズはギリシア正教徒のトルコ系民族。
モンゴルとは直接の関係はなく、むしろモンゴルに追われて
バルカンに入ったクマン族と関わりがありそうな気がする。
でも、言語学的に言うとトルコ諸語の中でも
アナトアリアのトルコ語やアゼルバイジャン語に近く、
クマン族のキプチャク系トルコ語とは違うらしいのだけど。
トゥヴァはモンゴル高原の西北端に住むトルコ系遊牧民だが、
19世紀まではモンゴル人の一派であるように考えられていた。
要するに、言語がトルコでも生活文化はモンゴルみたいなのね。
類似した境遇の近接するトルコ系民族にはハカス、アルタイがいる。
同じロシア領内でもバイカル湖の回りにいるブリヤートは
言語も文化も間違いなくモンゴル系民族。
カルムィクは
>>39で触れました。
16世紀の移住者なのでモンゴル帝国と直接繋がるわけではありません。
もちろん、オイラト族はモンゴル帝国に参加していた部族だから、
広い意味でのモンゴル帝国の末裔には違いないのだけど。
46 :
2:2001/06/26(火) 01:42
そういえば、千人隊のハザーラと関係あるのかないのか?
(おもいつき)
47 :
世界@名無史さん:2001/06/26(火) 04:56
>45
ガガウズはモンゴル系の言語です。
まぁ、元朝の末裔と言えるかどうかは
分かりませんが。
後、元朝の末裔と言えば、中国の雲南
にいるモンゴル族。
今はイ語を話すけれども祭の時だけ、
モンゴル文字で書いた札を作ったり
オボを作ったり、馬に乗ったりします。
48 :
39:2001/06/26(火) 07:17
49 :
48:
>>46 実は
>>48はあいまいな記憶で書いたんだけど、
千人隊の「ハザーラ」ってペルシア語なんですね。
ハザラ人もいまはペルシア語の方言をしゃべってるわけだから(
>>14)
やっぱりモンゴルに関係ありそうな気はする。
ハザラ人自身もあくまで伝承としてだけど
モンゴル人の末裔と言っているようだし。