なぜイスラムはカトリックに負けてしまったの?

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1
少なくとも10〜11世紀においては
科学・技術・文化・思想はイスラムの方が進んでいたはず。
普遍的な世界宗教であり思想的にも寛容で
ある意味ギリシャ・ローマの系譜を受け継いでいたのでは?
どうして北方の野蛮人に負けてしまったのでしょうか?

2世界@名無史さん:2001/06/09(土) 08:18
最終的な決着は未だついてないでしょう?
3カニシカ王:2001/06/09(土) 09:07
イスラム教徒は優しいからな。異教徒寛容政策を貫いたし。
また君主も(サラディンが良い例)人格者が多かった。

対してキリスト教徒は征服という一点に関して
獰猛さがムスリムを上回っていた。

突き詰めれば教義の性格にまで行き着くかと
4世界@名無史さん:2001/06/09(土) 19:28
オスマン トルコがウィーンを落としていてくれれば随分世界も変わっていたろうに。
2次包囲の時じゃなくて1次包囲の時にスレイマンが落としてれば良かった。
全盛期の時ならイタリアぐらいは征服できたと思うんだけどな・・・

マルムーク朝もイベリア半島を奪回する気なら出来たと思うのだが・・・
そんでもってかつてできなかったピレネー越えを果たしてほしかった。
5世界@名無史さん:2001/06/09(土) 19:34
馬鹿なトルコ人がイスラム教圏で,
ヘゲモニーを握ってしまったからです。

というか,カトリックには負けてないんじゃ?
要するに決定的差がついたのは,
近代科学が発生したか否か,
もう少し正確に言えば,
近代科学が発展してその成果が金儲けに利用されたか否か,
で差がついたのでは。で,インドとか取られて------。
6世界@名無史さん:2001/06/09(土) 19:45
1度モンゴルにバグダード破壊をやられちゃってるからな。
あれがなきゃカリフ制は崩れなかったんじゃねーの?
トルコ人が幅を利かせるのも押さえられた筈だ。
7世界@名無史さん:2001/06/09(土) 19:50
バグダードではきっとさまざまな学問が当時の世界レベルで頂点に
達していた筈だ!
それを・・・・・・モンゴルめ!許さん!!
8世界@名無史さん:2001/06/09(土) 20:00
文明には燃料が不可欠。
中近東はその燃料供給源の森林が乏しく、しかも、なまじ早くから文明
があったために、その乏しい資源を使い果たしてしまった。そして、次
の時代の燃料となるべき石炭もなかった。石油はあったが、一足飛びに
その利用に進むことはできなかったのだ。
燃料なくしては冶金技術も発達しない道理で、まして産業革命など起こ
りようもない。

一方ヨーロッパは、冷涼な気候と、文明の発生が比較的遅かったおかげ
で林産資源は豊富。さらに、石炭の埋蔵もあった。おかげで、鋼鉄を作
る技術が生まれ、産業革命へと進んでいくことになる。

もちろん、燃料だけですべてが説明できるわけではないが、かなり大き
な要素だと思う。
9世界@名無史さん:2001/06/09(土) 20:13
>>6
それ以前からトルコ人が実質しきってました。

>>7
残念ながら,そこまでは難しいかも。
ホラサーンをやられたのが,その点では一層,
痛かったかも。

>>8
資源は大きいでんな。
それにルネサンス以降の自然科学。

中東の人間は,組織で仕事したがらないので,資本の集中が
起こらなかったのも,一因かも。
10世界@名無史さん:2001/06/09(土) 20:28
中世まで中近東は、中国・インド・ヨーロッパ・アフリカを結ぶ交易路の
結節点だった。それがゆえに、どこよりも早く文明が進歩した。
15世紀にヨーロッパで大航海時代が始まり、新大陸航路・アフリカ航路が
ヨーロッパ独自で開かれ、新大陸からは金銀がヨーロッパに流れ、その金で
当時の先進文明の文物を買いあさり、中近東すっ飛ばして(中近東通ると
イスラム国に関税払うことになるから)インド・インドシナに交易拠点を作り、
交易しまくった。
その間オスマントルコはぼけーとしていたら、気づいたら西の野蛮国が
世界一の文明国になり、東のインドを征服していた。東西挟み撃ち状態になったら
もはや交易路の中心ではなく、交易路の辺境でしかなくなっていた。
11世界@名無史さん:2001/06/09(土) 20:54
オスマン・トルコってブルガリアとかではキリスト教徒を相当虐待していたらしいが?
12:2001/06/09(土) 21:03
イスラムによる大航海時代・・・ってなかったのは何故だろ
交易ルートを既に抑えていたからあえて地球を一周する必要がなかったから?
イスラムが新大陸に進出する可能性はなかったのだろうか
13世界@名無史さん:2001/06/09(土) 21:09
インド洋はもともとイスラム商人の商業圏で、今さら大航海もくそもない。
そのままポルトガル人(とスペイン人)に奪われた。
これを西洋人にとって大航海というだけのこと。

新大陸については「新大陸の発見」といっていたのが、先住民に対して差別的だというので
「大航海」というようになったのじゃなかったか?
14世界@名無史さん:2001/06/09(土) 21:15
>>11 ヨーロッパの東端が近代化するのは、ずうううっと後です。
オスマントルコから見ると、ブルガリアは東の野蛮国、スペイン・イギリス・
フランスから見ると、ブルガリアは西の辺境。
ヨーロッパの大航海時代時代は中近東経由で交易すると高い物になる、
西の外れの国から始まりました。そして豊かになっていったのも、西の端から。
15世界@名無史さん:2001/06/09(土) 21:34
ところで今気づいたのだけど。>>1の設問て、「イスラムがカトリックに負けたのは
なぜか」だから、スペインがオスマン帝国に勝ったレパントの海戦(1571)のことなんですね。
(イギリスはプロテスタント)
この時点で、スペインはアステカ征服から50年、インカ征服から40年経過しています。
1545年にはボリビアで銀山開発され、スペインは世界一の富裕国になっています。
1565年には、フィリピンを征服しています。

オスマン帝国も1550年代極盛期を迎えていたそうです。
またレパント海戦はスペインの他、ベネチア、ローマ教皇領などが、連合軍に
参加していたそうです。
このギリシャ沖での戦闘では、ヨーロッパ軍のほうが火器に勝り勝利したものの、
オスマン帝国もすぐに海軍を再編し、「ヨーロッパの側の心理的な景気づけ」に
結果は留まったようです。
とはいえ、これ以降ヨーロッパは自信をつけ海軍力を増強し、次第にオスマン帝国の
海上勢力を押していったようです。

なんとなく、日露戦争のときの、日本とロシアの関係を、連想します。
16世界@名無史さん:2001/06/09(土) 22:26
なんで
「カトリック」vs「イスラム」なの?
「西欧文明」vs「イスラム文明」なら理解できるけど。
17世界@名無史さん:2001/06/09(土) 22:34
>>15
「レコンキスタ」かも。
それとも、「サモリ・トゥーレ」?
18アマノウヅメ:2001/06/09(土) 23:14
一夫多妻がいかん。
公然と多妻を認められたらだれてしまう。

形式的には一夫一妻で女房にバレハしないかと冷や冷や
しているほうが男は実力を発揮できるものです。
19世界@名無史さん:2001/06/09(土) 23:42
トルコ人云々は別としても、アッバース朝の終りごろから、
たとえばイスラム法学では10世紀に新しい法を立てることが
(少なくとも建前上)認められなくなったというように、
イスラム社会の相対的革新性が薄れつつあったことがあるのでは。

でも一番は新大陸の発見による西欧社会の経済発展だろうね。
おかげで東欧や中東は資本主義世界システム論でいうところの周縁に落とされてしまった。

>11
>オスマン・トルコってブルガリアとかではキリスト教徒を相当虐待していたらしいが?
そう言われているのも実はそれほどでもなかった、
ということが最近言われてます。
オスマン帝国ではキリスト教徒にはある程度の自治が認められていたしね。
そのせいかむしろ正教会上層部のギリシア人による抑圧があったという話まである。
「トルコの圧制支配」は「解放」された側が
前時代の「われわれ」の不幸ぶりを強調しすぎた面もあるのでは。

>>14
どうでもいいことですが、東西逆。

>>15
レパントのあとも西地中海のヘゲモニーはともかく、
東地中海と陸上ではオスマン帝国の軍事拡大は続いてますよね。
縮小に転じるのは1683年の第二次ウィーン包囲失敗から。

>>18
中近世のヨーロッパの王侯って平気で愛人持ってたり
庶子がたくさんいたりしたんじゃ?
まあ、明快な一夫多妻とは違うんでしょうけど。
20自転車小僧:2001/06/10(日) 02:44
私はムスリムですが、カソリックに負けたなどとは思っていません
し、カソリック教会もイスラームに勝ったとは言っていません。
このスレ自体、何を求めているのでしょうか?

>6
正統カリフは第4代アリーが661年に没したのが最後です。
それ以後のカリフは正式の選挙で選ばれていないので同時期に複数
立つこともあります。モンゴルが滅ぼしたのはアッバース朝のカリフ
カリフ制度を崩壊させたのとは違います。カリフ制度の崩壊はファー
ティマ朝の創始者ファーティマがカリフを名乗ってからです。

>18
誤解。コーランには女奴隷を人数には含めていませんが、現実的には
4人。妻は公平に扱うことが条件。女人の章3節
また離婚は2度まで。雌牛の章229節

カソリックなどと違い、イスラームは基本的に布教活動や強制改宗と
言ったことはしないのが原則です。
皆さんもイスラームに改宗しなさいというような宣教師には出会った
事はないでしょ。しかし、信者は着実に増えています。
イスラームの理想とするウンマ共同体は異教徒との共存も含んでいます。
歴史教科書だけではイスラームの理解はできません。ましてや勝ち負け
など誰も判断できません。
21世界@名無史さん:2001/06/11(月) 01:25
ああ、確かに「あなたはアッラーを信じますか?」とは聞かれたことがないや・・・
22世界@名無史さん:2001/06/11(月) 01:32
>>20
ジバードと称して異教徒を殺しまくったくせに
騙されては逝けません!
23世界@名無史さん:2001/06/11(月) 01:43
>>22
異教徒・異端者を殺しまくったという点では
イスラムもキリスト教に一歩譲らざるを得ないのでは?
24世界@名無史さん:2001/06/11(月) 01:43
>>22
黙れやチンカス
25世界@名無史さん:2001/06/12(火) 14:05
>>19
>たとえばイスラム法学では10世紀に新しい法を立てることが
>(少なくとも建前上)認められなくなったというように、
>イスラム社会の相対的革新性が薄れつつあったことがあるのでは。

よくある誤解。
スンナ主義(スンナ派)がヘゲモニーをとった後は,
イスラム解釈の対立のフロントは,ウラマーとスーフィーの間に
移りました。

それから,いわゆる「イジュティハードの門が閉ざされた」時の話を
したいのだと思うが,10世紀(西暦?)は早すぎ。一部の権威ある
ハディース集は10世紀に出来てまっせ。
俗に言われているのは,13世紀ぐらいでしょ。
それでさえ実は誤解なんだけど。
26世界@名無史さん:2001/06/12(火) 14:10
>>20

信者ならきちんと勉強しましょう。
同じ妻を離婚するのが,三回まで。
4回目にまた同じ妻を娶る時は,その妻が一回他の男性と
結婚していなければいけない。
そのため過去には,「雇われ夫」というのがいたくらい。
(今でもいるか?)
27世界@名無史さん:2001/06/12(火) 15:37
燃料ねえ。
現代の感覚で言えばイスラム圏って世界で最も燃料豊富な地域に見えてしまうけど・・・。
近代的科学技術以前の時代には石油なんてほとんど何の役にも立たなかったんだろうな。
28世界@名無史さん:2001/06/12(火) 15:50
バクーでは10世紀頃から石油が採掘されてはいましたけどね。
ゾロアスター教関連の宗教行事に用いるのが主だったようです。
29名無しさん:2001/06/13(水) 00:25
>>15
まさか>>1氏はツゥール・ポワティエ間の戦いの事を指していたのでは?w

30あいうえ尾君:2001/06/14(木) 00:30
その話をフランスオタの佐藤賢一氏に早く小説にしてもらいたいものである。
ツゥール・ポワティエ間の戦いって誰か小説にしてへんかの?
31:2001/06/14(木) 02:10
1は実はあまり深く考えもせずスレッドを立てた模様。

「イスラムvsカトリック」という設問の趣旨は、
「現在の文明(西洋文明?)の根幹となる宗教がイスラムであってもよかったのでは?」
という意味でした。

現在の文明の成立にキリスト教精神はどのくらいかかわっているのか、
現在の文明の維持に宗教は必要不可欠なのかあるいは必要悪なのか
それはキリスト教である必要があったのかたまたまキリスト教だったのか
などなどの漠然とした未定義の疑問の連続の中で
ひょいとスレッドを立ててしまったのでした。

32世界@名無史さん:2001/06/14(木) 02:28
>>31
現在文明=西欧近代文明なのか、
ってところからまず問題やね。
33世界@名無史さん:2001/06/14(木) 10:32
>>31
その辺は日本の経済大国化(古い言葉だ・・・)という証拠によって、
キリスト教自体は必要ない、という結論だったようなきおくが。
34名無しさん:2001/06/14(木) 16:23
>>33
R.N.ベラーはTokugawa Religionで、江戸期の心学を中心とした宗教的勤労精神が
ヨーロッパ産業革命におけるプロテスタンティズムと同等の役割を果たしていた事を
指摘している。
それが事実なら(そう思うが)、キリスト教は入らなくともプロテスタント・キリスト
教と同種の精神的内容を擁した宗教は資本主義のスタートに必須、という事になる。

ニックス諸国の経済発展も、儒教倫理が基盤な上(産業を軽視する儒教基盤なその分、
限界もあるのだが)資本の原始蓄積と法治とは宗主国が残してくれているから

民国・韓国>日本
香港・マレーシア・シンガポール>英国

仏蘭はその点でもニ流以下かと
3533:2001/06/14(木) 16:38
>>34
「キリスト教」である必要はない、って言いたかったのです。
36ドレミファ名無シド:2001/06/15(金) 00:38
>>34
マックス・ウェーバーのプロ倫に影響されたその種の本は,あんまりうのみにしないほうがいいよ。
資本主義にプロテスタントと同種の精神的内容を擁した宗教が必要,なんて笑わせないでくれよ。
37物申す。:2001/06/15(金) 02:20
一つ言わせていただく。
みんな勘違いがあるようだが、イスラム教徒が他宗教の人間を惨殺しれきたという事実は歴史上ほとんどみられない。
逆にキリスト教などは十字軍の時代に捕虜となったイスラム教徒をみんな虐殺したりしたんですから。
イスラム教徒がまったく他宗教の人たちを惨殺しなかったのか?といわれれば答えはNOだがキリスト教とくらべたらはるかに他宗教に慣用な宗教なのである。
現代においてイスラム教徒はテロばっかりやっていると思われがちだがそれは違う。
それは一部の過激派のみの暴走であり、またアメリカとイスラエルによるイスラム教に対する弾圧のPRとしれ大々的に報じられているだけである。
そう、逆にイスラム教は迫害されてきているのだ。(今でも)
例としてあげれば筆頭にイスラエル。今のイスラエル現政権はイスラムに敵対心むきだしの弾圧を繰り広げているのです。
また、少し前の話だがボスニアの紛争のときもイスラム教徒の市民が多数虐殺されたとのことだ。
イメージとしてはアメリカ映画などによってイスラム教徒=過激派という間違ったイメージがあるが決してそんなことはないということを言っておきます。
38あのー:2001/06/15(金) 05:11
>>37
ここのスレにはイスラムが残虐だなんて言ってる人はいないみたいだけど…?
39ななし:2001/06/15(金) 10:32
>>38

>>22
の頭の悪い発言があります。
40世界@名無史さん:2001/06/15(金) 10:39
イスラムは
「コーランか、貢納か、剣か」
って言葉があるぐらいだから、伝統的に他宗教には寛容だよ。

その寛容さがアダとなった場合すらある。
41世界@名無史さん:2001/06/15(金) 11:44
いま現にイベリア半島にムスリムが残っていないことがキリスト教の不寛容の証拠だ。
イスラム時代のイベリア半島にはキリスト教徒も多数存在していた。
42世界@名無史さん:2001/06/15(金) 12:52
イスラムは後退したのではなく
西洋が進歩したというべき
イスラムはイスラムである事自己完結する宗教
仏教儒教は抵抗しない”穏やかな”宗教
下手に西洋に抵抗しなかったからここまできた
43世界@名無史さん:2001/06/15(金) 22:48
>>41

キリスト教がイスラム教に寛容ではない
イスラム教がキリスト教に対して寛容である。。。

と言う理由の一つに
イスラム教にキリストは含まれ
キリスト教にマホメットは含まれない

このことも見落とせません。
44世界@名無史さん:2001/06/15(金) 23:40
イスラム側から見れば、イエスも偉大な預言者の一人だが、キリスト教側から見ればムハンマドは預言者を詐称する極悪人ということになってしまうね。
45世界@名無史さん:2001/06/15(金) 23:54
アウラングゼーブ帝を初めとするムガル帝国の非イスラム教と
弾圧は?
46:2001/06/16(土) 00:36
タブーの鱈レバをあえて。

もし西洋人が *たまたま* イスラム教徒であったとしても
似たような西洋文明ができていたであろうか?

47ゲーリング@元帥:2001/06/16(土) 01:01
>>1
カトリックではなくプロテスタントに負けたのだよ。
厳密には、軍事・科学・経済面での話だけど。
48イスラム教徒の異教徒虐殺:2001/06/16(土) 15:08

 イスラム教徒が異教徒を虐殺した歴史がない,というのは不正確。

 ムハンマドはハンダク(塹壕)の戦いの後,メディナのユダヤ部族(名前失念,クライザ族だったか)の成人男子全員を殺している。この殺害の原因そのものは不確定。ユダヤ部族が,何らかの形で敵側のメッカ勢力と結んでいたことが原因とする説が有力。殺された人数は,600人とも900人とも。この殺害の直接の決断は,ムハンマド自身によってなされたものではないが,反対もしなかった。

 ただこの殺害も含めて,イスラム初期の異教の殺害は,宗教の違いよりも,イスラム共同体との政治的関係が主たる原因となっているもよう。

 ただしイスラム教圏のキリスト教徒達など異教徒がどこでも常に快適な暮らしをしていたのではないことも事実。しかし全般的に考えれば,西洋世界での異教徒のそれよりは幾分ましだったと考えられている。
49世界@名無史さん:2001/06/16(土) 15:21
>>36そうでもないさ。確かにウェーバーのオリジナルのように狭くとる必要はない。が、世俗化とある種のストイシズムを同時進行させるような精神傾向を促すものの役割のあったことも否定できない。近年のウェーバーへの否定的な評価にはキリスト教中心主義的なものへの反発とアジア地域の工業化の進展があると思うが、後者は他地域で発生した産業資本主義が移植されるという歴史の別のステージの問題だし、前者はウェーバーの議論を広くとれば問題ない。イスラム圏の産業化に何が必要なのか考えるのにも応用できるものを含んでいる。
5049じゃないが:2001/06/16(土) 20:47
というか、ウエーバー自身、世俗内禁欲思想がキリスト教でしかでてこないとは
言っていないし、山本七平とかの著作も参考のこと。
5136:2001/06/18(月) 00:33
笑っちゃうのは,プロテスタンティズムと心学を同列に扱う,その無知とこじつけなんだよ。
ウェーバーは資本主義精神はなぜプロテスタントの国で「生まれた」かを問題にしているのに対し,
その亜流は,「経済発展する国にはプロテスタンティズム的な宗教があるに違いない」
と勝手に思いこんで,やれ「日本には心学があった」やら「儒教経済圏」やらやってることが
ばかばかしいのだ。
52世界@名無史さん:2001/06/18(月) 01:15
>>43
それは寛容性の説明にはならないはず。
キリスト教の教義概念の中にユダヤ教の要素が多数含まれ
キリスト教徒自身それを認識していたはずですが
キリスト教はユダヤ教に対し寛容ではありませんでした。
53:2001/06/18(月) 02:48
>>49 50 51
ウェーバーの何かよい入門書ありませぬか?
54日本@名無史さん:2001/06/18(月) 06:16
虐殺No.1決定戦なら、イスラムは全然弱いよね。
プロテスタントVSカトリックVSギリシャ正教VS儒教
の争いとみたっ!!
55世界@名無史さん:2001/06/18(月) 12:17
んじゃ、多宗教国家のモンゴルが最強?
56世界@名無史さん:2001/06/18(月) 13:15
サラディンの戦いまでにイスラムがヨーロッパから得たものと、
ヨーロッパがイスラムから得たものとを比べてみれば一目瞭然。
5749:2001/06/18(月) 13:45
>>51確かに儒教文化圏論はこじつけ的だね。単に儒教が教育を促す程度の発想だが、実は徳川日本以外は朝鮮にしろ中国にしろあまり教育が広く普及していたとは言えない。そんなこと言えばイスラムだって知識や教育を尊重する面はある。またよく言われるように最初に産業化に成功した日本はあまり厳密には儒教的ではない国だし。そしてウェーバー的関心からいえばむしろそういう儒教圏やイスラム圏でなぜ近代資本主義が発生しなかったかの方が問題にされるべきなわけだね。
だけど思考様式・生活様式の問題事体はやはり無視できない。消費にしろ労働にしろ組織化にしろ現代人が当たり前に思っている考えが多くの前近代社会で当たり前でなかったのも確かだから。もっとも思想・宗教というか上部構造がから下部構造という方向だけでなく逆もやはり無視できないが。あるタイプの宗教や思想がある社会で受け入れられたこと事体にその社会の特質があるわけだから。
ところで日本について言えば心学などだけでなく真宗なども考慮すべきだが。
58αジョーカーω:2001/06/18(月) 23:07
西洋崇拝も東洋崇拝もイスラーム崇拝も馬鹿げている。
全ての文化には一長一短あり、全ての宗教には表の顔と
裏の顔があるのだから。
59名無しさん脚:2001/06/19(火) 00:22
高校の時の世界史教師が「イスラムは乾燥地帯の宗教だから、オンドルで
木を伐採しまくって砂漠化が進んでいる朝鮮半島ではイスラム教徒が
増えている」なんてことを言っていたな。
だったら東南アジアのムスリムはどうなるんだろう?
60世界@名無史さん:2001/06/19(火) 04:44
朝鮮半島ではイスラム教徒が増えている?初耳。でもタリ蛮とかホメイニとかとお似合いの気もする。
61世界@名無史さん:2001/06/19(火) 09:47
>>51
ごもっとも。
心学うんぬんは、あとづけ理論のような気がするのは確か。
62世界@名無史さん:2001/06/19(火) 11:27
前の方でも詳しく出ていたが、
商業の流通経路が変わったことが原因だと思う。
東からイスラム圏通って西へ、あるいは逆だったのが、
東からインド洋大西洋通って西へ、あるいは逆のパターンが出来てしまったから。
つまり、イスラムとばしてもインド以東とヨーロッパ圏が交易できるようになったのが理由だろうね。
この中抜きが主因だろうね、ありきたりだけど。
でも、燃料によるという説も少し新鮮みがあり、かつ説得力もあるね。
63?¢?E???¼?³?j?³?ñ:2001/06/19(火) 12:28
>>61 心学は徳川も後期のものだから、むしろ速水融などのいうIndustrious Revolutionの起こった結果盛んになったものと考えた方がいいかも知れないね。
64世界@名無史さん:2001/06/19(火) 13:43
>>63 はやみゆう<=>早見優
65考える名無しさん:2001/06/19(火) 14:33
トマスモアの「ユートピア」のような征服・植民地化を正当化するようなイデオロギーが中東に生まれていれば、東洋にもイスラム国家が多数出来て資源不足も克服できていただろうにね。
日本の神仏習合のような、土着の宗教の教義が混合された「歪曲された」イスラム教が生まれてたならばあるいは…
66世界@名無史さん:2001/06/19(火) 15:16
>>65
イスラムなんて征服しまくってるじゃないか。
アラビア半島の端っこで産まれた宗教が、アフリカ、中東、
中央アジア、インド、東南アジアまで広がっている。
大抵は、征服とセット。
67世界@名無史さん:2001/06/19(火) 15:22
欧米のイスラムへの伝統的偏見も相変わらずひどいとは思うが、最近日本でやけにイスラムの寛容性とか強調しすぎる人いるんだよね。ちょっとやりすぎだと思うが。
68世界@名無史さん:2001/06/19(火) 15:25
>>66
アッバース以前はアラブ人と現地民とを差別していたから、
植民地化ともいえるしね。でも、アッバース以後は同化政策
見たいな物だから、植民地化を正当化するようなイデオロギー
ではなかった気がする。正当化するようなイデオロギーだったら、
サハラ以南も完全に支配されていたはずだしね。
69世界@名無史さん:2001/06/19(火) 20:14
征服と虐殺は区別しましょう。
70世界@名無史さん:2001/06/19(火) 21:02
戦争して降伏しなかった場合、三日三晩略奪・虐殺と好きなことが
できる風習って、イスラムの風習? トルコ人の風習?
コンスタンティノープルをトルコが落としたときに、やってたけど。
71αジョーカーω:2001/06/19(火) 21:05
>67
同感。新右翼と左翼のプロパガンダの影響です。
>70
イスラムの伝統です。
72世界@名無史さん:2001/06/23(土) 18:48
>>70
トルコの風習でないでしょうか。
初期イスラムの頃にはそのような話は
聞いたことないのですが。
73世界@名無史さん:2001/06/23(土) 22:10
>> 70-72
イスラム・トルコに関係なく、
占領地の略奪、虐殺は古代・中世では
誰でもやってたのでは?
74世界@名無史さん:2001/06/23(土) 23:26
やってた
75世界@名無史さん:2001/06/24(日) 01:53
>>72
初期イスラームの法では
交渉によって降服した異教徒はジンミーとして
ジズヤの支払を代償に財産を保証し、
降服しなかった異教徒の財産は
5分の1がイスラム共同体の財産として国家が取り、
5分の4がその戦争に参加した戦士に分配されると定められていた、
とものの本にはあります。

>>73
イスラム世界では殺すよりも
捕虜にして身代金を取りたてたり奴隷に売ったりするほうが多いみたい。
コンスタンチノープル陥落のときもそうだったはず。
76自転車小僧:2001/06/24(日) 02:52
宗教に勝ち負けや優劣を求めることこそ愚行。
信じるものにとっては正義なのだから。

虐殺や偏見は人類が普遍的に持つもの。
特定の集団や宗教だけが持っているものではない。
このスレを立てたのも偏見からと言えば言えなくも
ない。
77世界@名無史さん:2001/06/24(日) 19:07
>>75
かのイスラム法が確定したのはもうすこし後だけどね。

殺害より奴隷は,
中近東に昔からある習慣。このほうが怨嗟が少ないし。
奴隷にした後,雑婚して,民族は中和させるわけ。
シュメール人もアッシリア人もこうしていなくなりました。
78世界@名無史さん:2001/06/24(日) 20:03
>>76
このスレの場合は
なぜ先進的だったイスラム「世界」は
後進的なカトリック「世界」に軍事的・経済的に劣勢になってしまったか?
が問題であって宗教そのものの優劣を論じてるんじゃないと思うよ。
偏見・差別に神経質になりすぎないんじゃないの?

でもまあ、ちょっと不用意な問題設定だったのは確かではないかと。
レスの中にも宗教の優劣を論じる向きがあるしなあ。
79ドレミファ名無シド:2001/06/25(月) 22:11
では、話を本題に戻すということで。
経済的には、利子を禁じているということがある程度の影響があると思われ。
信用創造によって、実際にある金よりもずっと大きな資金を生み出す、というのが資本主義の基本技だから。
80世界@名無史さん:2001/06/25(月) 23:26
カトリックも利子は禁じてたよ。
ズル賢いイタリア商人などは抜け道を考え出していったわけだが。
81ドレミファ名無シド:2001/06/26(火) 00:06
>>80
資本主義はプロテスタントじゃなかったっけ?
82世界@名無史さん:2001/06/26(火) 00:14
でもカトリックのイタリアで銀行・保険・簿記などの
商業および初期資本主義(?が発達したような。
83アマノウヅメ:2001/06/26(火) 00:16
>>80
資本主義の推進者はプロテスタントです。
カトリックは後ろめたくやっていただけ。

フランスは国内からユグノーを追放したため大損しました。
84世界@名無史さん:2001/06/26(火) 00:17
クロワッサンage
85世界@名無史さん:2001/06/26(火) 00:34
去年の夏,牟田口義朗の講演会があって,そこでもイスラムはなぜヨーロッパにしてやられたか,という話があった。
そこではたしか,途中で文明の方向性が変わった,というような話だった。
イスラム帝国の頃は,自然科学,哲学,医学などの方向を向いていたが,やがて神秘主義へ向かってしまった,というのが第一。
あと,オスマン・トルコがイスラムのリーダーシップをとった,というもの。
トルコ人は(ローマのように)土木,建築,法律など実用的分野に興味があり,科学や哲学などに興味を示さなかった,というもの。
さて,皆さんはどう考えるか。
86世界@名無史さん:2001/06/26(火) 04:04
イスラム神秘主義(スーフィズム)って、どう考えてもイスラムに反するはずなんだけどなあ。
聖者崇拝なんてあきらかに反イスラム的だと思うのだが。しかし、スーフィズムって合法なんだよね?
87世界@名無史さん:2001/06/26(火) 07:30
イスラム世界にも資本主義的なものがあったはずなんだけど。
利子は禁じてるけど投資はいい、とか。

>>85
神秘主義の中にも科学への志向もある。
むしろ最後まで科学が神秘主義から分離できなかった
(ヨーロッパ科学だって最初は錬金術や占星術だったよね?)
ことにあるんではないかと。
でも、アラビア科学だって国家が推進したわけではないような…。

>>86
ワッハーブ派はスーフィズム非合法にしてます。
だからサウジアラビアではスーフィズムは絶滅させられたはず。
でも大多数は合法。
なにせ法学者がスーフィーを兼ねることもあったらしいですね。
88世界@名無史さん:2001/06/26(火) 08:58
>>87
アラビア科学は国家が推進したわけじゃないけど、それは問題にならないような。
西欧もそうだからね。
問題は、やはり方向性ではないかと。
>(ヨーロッパ科学だって最初は錬金術や占星術だったよね?)
これは納得。ニュートンが錬金術師(?)だったくらいだから。
では、なぜ西欧は神秘主義から科学が分離し、イスラムはそうならなかったのか、
これは論じる価値ありのテーマだな。
8987:2001/06/26(火) 09:31
>>88
>問題は、やはり方向性ではないかと。
そういえばそうだ。
フランスで科学アカデミーやら技術学校やらができたのは
ルネサンスよりあと、18世紀に入るくらいだったかな?
そのときにはすでにイスラム世界より科学が発展していたような気が。
>では、なぜ西欧は神秘主義から科学が分離し、イスラムはそうならなかったのか
それって西欧において近代の政教分離に帰結する、
宗教・神秘主義と科学・合理主義の分離ってことではないかな。
90世界@名無史さん:2001/06/26(火) 10:21
欧州では曲がりなりにも政教分離(=皇帝と教皇)が
果たされていたから宗教批判がしやすい状況があって、
プロテスタントの勃興とともに科学的批判精神が容認されていきましたよね。

対するイスラムは政教分離どころか生活全般を規定する宗教なので、
そういう状況は起こりにくかったのではないか、と思いますが、どうでしょう?
91世界@名無史さん:2001/06/26(火) 14:19
スーフィズムが,大多数のマズハブで合法かどうかは,疑問。
スーフィーにも色々あるが,スンナの軽視,広く言えば,
過去の判例を形式的に模倣する精神への批判がある。

ダリールを認めない連中が,ウラマーからみて合法なわけないだろ。

スーフィーでもあったウラマーももちろんいた。
しかしこれもスーフィーをシャーリーアに近づけておこう
とするウラマー側からの努力の側面もあるので注意。
92世界@名無史さん:2001/06/26(火) 14:22
西洋との競争の話ですが,
経済活動を国家が軸ないし国家が後押ししてやる,
という形がイスラム教圏には希薄だったという点も
一要因でしょう。既出だと思いますが。

しかし両サイドの白黒がハッキリするのは,
植民地化以降でないけ?
9387:2001/06/26(火) 14:25
>>91
うぁ…専門用語ばっかり…。
マズハブ=法学派
ダリール=シャリーアの法源
ウラマー=法学者
で理解してOK?
9491:2001/06/26(火) 16:54
>>93
Sadaqta
9587:2001/06/26(火) 20:42
>>94
>Sadaqta
………………何語?

たぶんアラビア語なんだろうけど…。
96世界@名無史さん:2001/06/28(木) 13:51
アラビア語で「貴方は正しいことを言った」
くらいの意味じゃないの。
97世界@名無史さん:2001/06/29(金) 11:17
>>85中東史について専門的な知識がないので単なる思い付きですが、(イスラム世界の“筋目”でないトルコ人の)オスマン帝国とイスラム世界の衰亡を結び付ける見方ってイスラム世界自体でされているものなのでしょうか?もしそうなら、ちょっと近代中国の西欧への劣勢を異民族王朝の清朝に帰するのと似た面はないのでしょうか?
9885ではないが,:2001/06/30(土) 22:25

数年前アラブ人にアラブ衰退の原因が,
「オスマントルコ統治」に原因があるんじゃないか,
と私が言ったら,
「まさに,そのとうりだ!」みたいな反応が返ってきましたぜ。
99世界@名無史さん:2001/07/01(日) 00:10
そりゃアラブ人は独立した側だからなぁ。
100世界@名無史さん:2001/07/03(火) 09:31
ロジャーベーコンとオマルハイヤームの対談とか聞いてみたいなあ。
101世界@名無史さん:2001/07/03(火) 10:35
イルハン国は東ローマ帝国と反イスラム同盟を組んでましたが、
蒙欧共同の侵攻作戦などは執り行われたのでしょうか?
102 :2001/07/03(火) 17:16
イスラムはある意味、共同体意識が強すぎて、
「辺境」がなかったのが問題だったのでは?
つまり、プロテスタントはローマから遠く離れた(山の向こうの)
中・北ヨーロッパで生まれた訳だし、
辺境も辺境、ブリテン島で科学が発展していったことが例。
しかし、イスラムは「アラーの名の下に」トルコ、ペルシャ、アラブと
それぞれが役割を受け持ち、結びつきが強すぎて、
却って異端的な科学の発展をうけもつ辺境がなかったのではないだろうか。

その意味で、辺境の最たる新大陸にあたる、
例えば東南アジア辺りの動きが、当時のムスリム世界でどう捉えられていたか、
誰かご存知ありませんか?
103世界@名無史さん:2001/07/03(火) 20:00
>>102
ちょっとずれるけど。

それを言ってしまうと、このスレで何度か槍玉にあげられているオスマン朝なんて
イスラム世界の辺境、フロンティアを開拓(というよりは、征服か)してできた国家だよ。
ルーム・セルジューク朝衰退後にアナトリア各地に割拠した
諸君候国のうちもっとも最前線の西北アナトリアで
ビザンツ帝国と境を接していたことが
小さなトルコ系の軍事集団だったオスマン家の勢力が
帝国へ発展した由来だと考えられている。
104:2001/07/30(月) 09:40
age
105世界@名無史さん:2001/08/02(木) 01:03
イスラムを圧倒したのはカトリックではなくプロテスタント系の西欧国家群だろう
106世界@名無史さん:2001/08/02(木) 02:29
イスラム教徒に、西欧人のような「遊んでいる土地があったら開墾しなければならない」なんていう
妙な強迫観念がなかったのが原因か。
107世界@名無史さん:2001/08/02(木) 02:35
思うんだけど、西洋はたしかに近世まで田舎で栄えてなかったんだろうけど、
それでも学問は進んでいたように思える。
技術的な学問ではなくて、
体系的な学問というか、
うまく言えないけど。

これもでも自分が西洋的価値観の中にいるからそう見えるだけなのかな。
108世界@名無史さん:2001/08/02(木) 05:09
>>101
イル・ハン国がある頃のビザンティン帝国は、十字軍にコンスタンティ
ノープル占領されたり、やっと帝都奪回してもお家芸の内紛ですっかり
弱小国に衰退したりで、とてもじゃないけどイスラムに対抗なんてでき
やしません。むしろ、内紛のためにイスラムの力を借りてるようなあり
さまです。
109世界@名無史さん:2001/08/02(木) 05:21
モスリコ(レコンキスタ後スペインに残ったムスリムで命乞いのため表面上カトリックを装った者の蔑称)が生じた原因を考える。
よくいわれるのは、相次ぐムスリムの内乱、特に慢性的なアラブvsベルベルの対立で国力が弱まったこと。
またしばしばマグリブ地域(モロッコ周辺)の飛び地という感覚でアル・アンダルス(イスラームスペイン)の統治が行なわれたこと。
グラナダ朝末の文化爛熟によるムスリム士気低下とクリスチャン諸侯の戦功が反比例したこと。
110世界@名無史さん:2001/08/02(木) 05:34
元の時代は中国南部の沿海にはムスリム商人が多数行き来していたが、
明の時代にはスペイン・ポルトガルが現れ、イスラムは徐々に追いやられた。
日本へはイスラム商人は現れず、キリスト教徒だけがやってきた。
111訂正:2001/08/02(木) 22:11
>>109
モリスコの間違いでした。すいません。
112世界@名無史さん:2001/08/02(木) 23:01
もし日本にもイスラム商人が来てたら、けっこう戦国時代の人とは相性が良かったかも知れないなあ。
113世界@名無史さん:2001/08/02(木) 23:08
なんで?>>112
114112:2001/08/02(木) 23:14
なんとなく。
115世界@名無史さん:2001/08/02(木) 23:53
20世紀の初めくらいに日本人と会ったイスラム教徒は
「日本人の美徳はイスラムのそれに等しい」なんてベタボメしてるけどね。
たぶん日露戦争のおかげで印象が良かったからだろう。
116世界@名無史さん:2001/08/03(金) 05:11
>>115(余談)
大久保利通がイエメンからの宗教使節に面会したとき「日本人はイスラーム的徳を持っている」と感心されたので、「それなら日本にイスラームは要りませんね」と切り返して、うまく宣教を断ったということです。
時あたかも西欧文化の吸収に国を挙げて励んだ時代。
117世界@名無史さん:01/09/11 22:06
>>116
うまい切り返しだなぁ。
今の外交官に見習って欲しい。
118ゲームセンター名無し:01/09/11 23:25
イスラムがテロ起こす
119世界@名無史さん:01/09/11 23:31
残虐さでカトリックに劣っていたからだろう。
で、一番残虐なピューリタンが世界を制覇して、今に至る、と。
120アマノウヅメ
アメリカ合衆国の歪みはピューリタン文化が最初にイニシアティブを
とったから、という気はしますね。