ゼミでロシア史を学ぶことになりました。
みなさん、ロシアの歴史について盛り上がってみませんか?
2 :
あ〜あ:2001/05/09(水) 21:28
司馬遼のロシアの本なら読んだことあるな〜。
260年間かな?支配生活が続いたのがロシア国民の感情を作り上げたこととして大きかった。
ロシア文学はすごいよね〜。
そういう土壌なのかな???
>>2 煽りにはsageレス。
司馬遷の在世時代にロシアなどあったの?
遼と遷の字の区別が付かんと見える。
5 :
世界@名無史さん:2001/05/10(木) 10:28
>>1 ロシアに限らず、スラブ人の歴史は面白いね。
日本は明治以後、ヨーロッパはドイツ史観(あるいは西欧史観)が主流だったが、
スラブ史観は新しい視点と発見を提供してくれる。歴史の深さや
複雑さでは西欧に劣っていないね。
明治期から敗戦まではドイツの軍国制度が日本のお手本だったんだから
日本人の興味がこちらに来ないのも仕方ないけどね。
6 :
世界@名無史さん:2001/05/10(木) 11:39
スラブ人が初めて歴史の表舞台に立ったのっていつだっけ?
キエフ公国か?いやもっと前だろうなあ・・・
あとスラブ民族の原産地は何処?
7 :
世界@名無史さん:2001/05/10(木) 11:54
>>6 「表舞台」の意味がちょっとよくわからないけど、
一番古い記述の一つはタキトゥスの「ゲルマーニア」。
少なくともそこのヴェネディー人が、後世の検証により古代スラブ系で
あることがわかった。
考古学的にはスラブ人は紀元前数世紀に西スラブ人(ポーランド人・チェコ人
などの先祖)と東スラブ人(ロシア人などの先祖)とに文化。それよりずっと
以前にバルト人とも分化している。
ゲルマン民族の大移動から遅れること100年、5世紀に主に西スラブ人が
南方や西方へ大移動をした。南方へ行った部族は8−9世紀にかけて独立国を
立てる。例えばスクラヴェン族はスロベニアを、ホルヴァト族は
クロアチアを、というように。西スラブ人は9−10世紀にボヘミア・モラビア・
ポーランド各王国を樹立。これらの西スラブ王国はハンガリーとともに
ドイツに対抗する強国となる。
東スラブやゲルマンのルーシと総称される複数の部族がフランク王国出身の
サモという人物を統領にして国家をきづいたことがあったのは有名な話。
ただ、この国家はおそらく部族連合による妥協の産物で、今の自民党の
小泉内閣のようなもの、しがらみのないサモが統領になっても、サモの
死とともに瓦解。その後はキエフ・ルーシまではっきりした国家はなかった。
モンゴル征服前と
モンゴル独立後では、相当ロシアは変わったと見える。
「モンゴルに蹂躪・征服される前」と
「キプチャクハン国を破ってロシア帝国が台頭した後」と
いったほうが分かりやすいか
10 :
世界@名無史さん:2001/05/10(木) 12:27
独ソ戦の結果、スラブ民族>ゲルマン民族と決まった。
11 :
7:2001/05/10(木) 13:00
>>6 考古学により、スラブ系が他のインド・ヨーロッパ系から
分化したのは前千年紀よりすこし前と考えられている。
前数世紀においての、原産地は大きく分けて2つ。
一つはオドラ川とブーク川に挟まれた地域、今のポーランドあたり。
ラウジッツ文化の担い手の少なくとも一つがスラブ系。
もう一つはドニエストル川とプリピャチ川の間、黒海北岸。
これは遊牧民のサールマチア人と深い関係がありそう(恐らく
スラブ人に同化した)。
実際には北限はモスクワの北のヴァルダイ丘陵から、南限は黒海沿岸までの
広大な地域で、上の2つの地域は西スラブ、東スラブそれぞれの故地と
思われる。
それ以前のことはまだよくわかっていないが、この広大な地域に
「森林の民」として住んでいた部族が殆ど原スラブ人と考えられる。
ヘロドトスの「歴史」に出てくるネウロイ人はスラブ人と同じ
人狼伝説を持っていたらしいので、恐らく古スラブ人。そこに
同時に書かれている「農耕するスキタイ人」も可能性が高い。
古代ゲルマン・ケルトなどと共に、かなり広大な地域に基層住民として
多数存在していただろうが、ローマとの接触があまりなかったので、
ゲルマンやケルトに比べて資料が少ない。今後の考古学の成果が
期待される。
12 :
世界@名無史さん:2001/05/10(木) 13:17
"the Great"が付く皇帝が三人も居るってのも
スゴイよ
13 :
世界@名無史さん:2001/05/10(木) 13:21
14 :
名無し不動さん:2001/05/10(木) 15:00
「大帝」はロシア人がつけたんじゃないの?
だとしたら国民性やお国柄の問題だと思うが
15 :
名無し不動さん:2001/05/10(木) 15:02
日本人にとっても織田信長や徳川家康は
"the Great"なはずだよ
16 :
世界@名無史さん:2001/05/10(木) 16:29
赤軍大粛清ってやっぱハイドリヒの陰謀ですか?
17 :
世界@名無史さん:2001/05/10(木) 16:29
源頼朝こそが武人階級としての
the Greatだろ。
この人がいなかったら、
明治維新まで、とうとう武士は貴族の用心棒のままだっただろう。
平清盛は貴族カブレであてにならないし。
頼朝は日本のカール大帝ですな。
19 :
6:2001/05/10(木) 23:54
>>7さん
親切で解りやすい解説、感謝いたします。
やはり僕が思ってたよりもずっと古い民族なんですね。
タタールのくびき
21 :
世界@名無史さん:2001/05/11(金) 01:03
T34はロシア産。
ゲルマン民族は戦車でスラブ人に負けた。
22 :
名無史さん:2001/05/11(金) 07:32
23 :
世界@名無史さん:2001/05/11(金) 10:58
>>21 英米のユダヤ系の支援で、低利で臨時融資を受けることが出来たからね。
当時のソ連軍事産業は、製品化のための資金に不足していたから
外国からの借款を有効に使った。
スターリンの強権下だから出来たんだけど。
24 :
名無史さん:2001/05/11(金) 13:59
>22
ぎゃーー。止めろキサマ!!!
25 :
実習生:2001/05/11(金) 15:05
>>24 え、なに?ひょっとして首切り映像だった?もしそうだったらかわいそうに・・・
26 :
世界@名無史さん:2001/05/11(金) 15:32
capって書いてあるところで気がつかなかった
>>24が悪い。
27 :
世界@名無史さん:2001/05/11(金) 16:56
見ちまった・・・
しかし、日本の死刑もラク〜な絞首刑なんかやめて
これくらいエグイやつやればいいんだよ。
あれが麻原だったらどんなにせいせいするか。
28 :
世界@名無史さん :2001/05/22(火) 21:00
雷帝とかいるもんな。いかすロシア。
29 :
世界@名無史さん:2001/05/22(火) 21:27
ラスプーチンが存在したロシアは侮れない。
たたかれてもたたかれても生き返りそう。
30 :
世界@名無史さん:2001/05/22(火) 22:42
>>29 毒盛られて、銃で撃たれて、死因が溺死だっけ?凄すぎ。
31 :
世界@名無史さん:2001/05/23(水) 11:50
>>30 だが、昔の検死だから、科学的にも政治的にも信用できない
32 :
ものずき:2001/05/25(金) 23:28
しろうとが失礼
あまり話題と関係ないですが、ロシアのようにアジアとヨーロッパの境界では混血がすすんで白人だか黄色人種だかわからなくなっていくんですかね?
33 :
世界@名無史さん:2001/05/26(土) 01:49
>>32 アジアに黄色人種、ヨーロッパに白人が住んでいるという
二分法の見方は改めたほうがいいよ。
インド人もアラブ人もコーカソイド(白人)なんだから。
でも確かにロシアの欧亜境界あたりはモンゴロイド形質の強い個人・民族と
コーカソイド形質の強い個人・民族が入り乱れているんじゃないかな。
34 :
世界@名無史さん:2001/05/29(火) 10:46
>>32 典型的なロシア人は黄色人種(タタール系)に対する対抗意識が強く、
なかなか異人種間の婚姻が見られないが、中世庶民の間でならばわりと頻繁に
あったと思われる。
東スラブ系と西(および南)スラブ系の顔つきがかなり違うことからもこのことが容易に
納得できる。
ウクライナ南東部やロシアのオセチア近縁など、古くからタタールとの接触があった
東スラブ系にはどこか東洋的な顔つきの人々がいる。コサック(特にドン・
コサック)達はスラブ人とタタール人の混血度が高いと思われる。
35 :
世界@名無史さん:2001/07/05(木) 21:46
コーカソイド
モンゴロイド
ネグロイド
オースト・・・ロイド
だっけ?
36 :
世界@名無史さん:2001/07/05(木) 22:43
>>34 タタール人の顔見たことある?
彼らは完全にコーカソイドだよ。
37 :
36:2001/07/05(木) 22:46
よく見たら
>>34は一ヶ月以上前のレスか…。
もっとも現代民族「タタール人」(の中心ヴォルガ・タタール人)は
主にトルコ系のヴォルガ・ブルガール人の子孫であって
風貌のうえでモンゴル人の影響はほとんどないはずなのだけどね。
38 :
世界@名無史さん:2001/07/11(水) 23:50
オーストラロイド
39 :
世界@名無史さん:2001/07/11(水) 23:51
40 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 05:52
イヴァン雷帝時代、リヴォニア戦争というものが起こったそうですが、
どんなに調べても、この「リヴォニア」なるものが何なのか出てません。
誰か詳しい方、レスお願いします。
41 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 06:16
42 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 16:05
『世界歴史大系ロシア史1』とか
イヴァン雷帝ものの本とかですね。
43 :
世界@名無史さん:2001/08/22(水) 14:20
>>40 リヴォニアは今のラトビア・南エストニアの辺りの地域で、その領有をめぐって、
ロシア・スゥエーデン・ポーランド(当時プロイセンを属国として臣従させていた)の
三大国が入り乱れて戦争した。
これですか?
44 :
りはく:2001/08/22(水) 17:52
19世紀末のロシアを調べてます。この時代、女性運動があったらしいのですが、
どなたか知ってる方はいますか?
45 :
梵阿弥:2001/08/23(木) 16:40
スラヴをまとめて国を成したワリャグというのはヴァイキングの事。
46 :
世界@名無史さん:
ロシアは朝鮮起源 ソースもある